第16話 神楽坂高校の女子

 もしかしたらホームルーム後に真妃乃から突撃されるかもと思ったが予想は外れ、彼女は俺の教室にはやって来なかった。俺が話したことに納得してくれたのなら良いのだが。


 そういう訳で、無事俺は数日前までは正規ルートだった校門近くのバス停からバスに乗車し、座席の上に付いている手摺を掴んで揺られながら、窓の向こうの景色を見つめた。

 あの道を通って帰らなくてもいいという、安心感。それだけで穏やかな気持ちになる。


 ホームルームが終わってすぐに出てきたから割合早くに来たバスに乗れたので、見える空模様もまだ水色と薄ら黄色が混ざり始めた色合い。夏休み前まではこれが俺の日常だった。


 おかしくなり始めたのは、やはりあの告白された日から。もしこれで家近くの電線にカラスどもが止まっていたら、俺はカラスからは逃れられない運命だということだ。そうなったら仕方がない、諦めよう。ベアの言う通り大人しく病院へ行くしかない。


 静かな決意を胸に秘めた俺は降りるバス停にて降車し、ゆっくりと足を踏み出す。


 ……大丈夫。人がいる。通行人がいるだけで、こんなにも人がいるというありがたみを感じるなど思いもしなかった。朗らかに気分よく歌い出したくなるような安堵感がある。そうして暫く歩き、アパートよりも手前の公園に差し掛かった時。



「多田野くん」



 呼ばれて振り向けば、その公園内のベンチに座っている神楽坂高校の制服を着た女子が俺を見ていた。え、だれ。


 見覚えのない他校の女子に名前を知られていることに、まさか第三の新たなストーカー……!?と戦慄し掛けたところで、その女子はベンチから立ち上がって俺のところに来た。


「覚えてる? 私、中学で三年生の時に同じクラスだった、白兎しらと すみれ

「えっ。白兎……白兎……。あっ、三つ編み眼鏡の白兎!?」

「……うん、その白兎です」


 苦笑する彼女の現在は三つ編みでも眼鏡でもなく、肩までのふわりとパーマがかけられた髪型に、コンタクトをしているのか眼鏡は掛けていなかった。名前を名乗られなければ、一生分からなかったに違いない。


「へぇー。女子って髪型と眼鏡なしで、印象ってこんなに変わるものなんだな」

「あの頃より可愛くなった?」

「なってるなってる」


 懐かしいな。でも一年と半年の間に、何だか随分性格も明るくなったようだ。


 彼女とは同じクラスの時に委員会でペアになったことがあって、クラスでも俯きがちだった彼女に自分からよく話し掛けていたことを覚えている。その時は白兎も顔を上げて、言葉をつっかえさせながらも楽しそうに会話してくれていた。


 しかしどうしていきなりその白兎が、俺のアパート近くの公園に? 高校は二駅先だが、近くに住んでいる友達でもいるんだろうか?


「どうしたんだ? ここで誰かと待ち合わせ?」

「ううん、多田野くんを待っていたの。ほら中学の連絡先一覧で住所とか載っているから、それを見て」

「……へぇ」


 ちらと真妃乃の顔が脳裏を過ぎった。

 いや待て、俺。真妃乃だってまだ予備軍だ。そもそも白兎は多分、俺に伝えたいことがあってわざわざその連絡先一覧を引っ張り出したんだろう。


「何か、話でもあるのか?」

「……うん。昨日のショッピングモールで私と目が合ったの、覚えてる?」

「ん? あ。あの時目が合ったのって、白兎だったのか!」

「やっぱり気づいてなかった。モールから帰る時も目が合ったのに不思議そうな顔してたから、そうだと思ったの」

「いや、そんな印象変わっていたら普通気づかないって」


 だからあの時「あっ」ていう顔をしていたのか。

 白兎は俺の存在にすぐ気がついて、もしかしたら昔話に花でも咲かせたかったのかもしれない。それは悪いことをした。

 取り敢えずずっと立ったまま会話するというのもアレなので、白兎が座っていたベンチに隣り合って座る。


「あの、聞きたいことがあるの」


 そう言う白兎の表情は、どこか聞き辛そうだ。


「なに?」

「私が通っている高校、神楽坂なんだけど。いま行方不明が起きてるって、知ってる?」

「ああ、そりゃな。近くで起きていることだし、ニュースで見た。やっぱり同じ高校で起きていることだから、白兎も怖いよな」


 問いに何気なく答えた俺は白兎の顔を見て、疑問に感じた。……何か、さっきより強張ったか? 自分からその話題を振ってそういう顔をするのは、どういうことなのか。


「……うん。昨日、見たよ。一緒に手を繋いで歩いていたの、もしかして彼女?」

「そう。あっ、平平凡凡な俺にあんな美少女な彼女がいるって驚いたのか!? これ本当の話なんだけど、彼女の方から俺に告白してきたんだぞ。たまたま道でハンカチ落としたのを拾ったことに感動してくれたらしくて。まぁ今日ちょっと、ケンカ?しちゃったけどな」

「――そのまま別れればいいのに」

「ん? 何か言ったか?」


 ボソッと小さく呟かれたので、地獄耳ではない俺の耳は白兎の呟きを拾えなかった。聞き返しても首を振られ、その視線が俺の抱えているリュックへと向けられる。


「その不細工なカラス、帰る時には付けてなかったよね?」


 リュックではなく、白兎も認める不細工カラスのキーホルダーへ向けられていた。それを摘まみ、プラプラと揺らす。


「これな。あのショッピングモールからの帰りのバスの中で付けた。彼女からお揃いのキーホルダー付けて欲しいって言われて」

「……お揃いの、キーホルダー……?」

「白兎?」

「多田野くん、その彼女と付き合っていま何日目?」

「え」


 何だ突然。何かベアからも昨日似たようなこと聞かれたし、言われたし。知られざるブームか?


「告白された日を数えなかったら、今日で四日目だな。その日をカウントするんだったら五日目」

「それ、今すぐ外して」

「え。……白兎!?」


 伸びてくる手から咄嗟に不細工カラスを庇う。

 一応こんなのでも小遣いはたいて買ったカラスだ。幻覚カラスに対する守り神的カラスをまだ外す気はなかった。


「ちょ、ダメだって! こんな不細工でもコイツは役立ってくれると俺は信じている!」

「なに言ってるの!? 今すぐ外してよ! 外さないと、外さないと……っ」



「――なに、してるの?」



 ハッとして俺と白兎が顔を上げて見た先に、真妃乃が公園の入り口で目をかっ開いて俺達を見つめていた。

 何でここに真妃乃が? 家とか教えてない筈だ。つか、友達と一緒に帰らなかったのか?


 俺が真妃乃を見つめて呆然としている間にも彼女はいつものようにヒョコヒョコとではなく、ズンズンと足取り荒く近づいてくる。


「寿くん、私に嘘吐いたの?」


 目の前で目をかっ開かれたまま静かに言われた言葉に、ハッとしてブンブンと首を振る。


「いやっ、違う! コイツ中学の時の同級生! 話し掛けられて、そのまま話し込んでいただけ!」

「本当」

「本当! というか、真妃乃は!? 何でここにいるんだ!? 友達と一緒に帰れって言っただろ!」

「掃除の時に寿くんと同じクラスの子に住所聞いたの。それで寿くんの乗る行き先のバス見て、その後の便に乗ったの。本当にまっすぐ家に帰っているのか確かめたくて」


 ヤバい! 俺が話したことに全然納得してなかった! むしろ犯罪予備軍ストーカー化加速した!


 ストーカー検証がとんだ結果を招いてしまいおののいている内に、真妃乃の視線が俺の隣で固まっている白兎へと向いたと思った、ら。


「え……? アンタ。アンタアァ!!!」

「きゃあっ!?」


 驚いたような顔をした次の瞬間、まさに鬼の形相と化して真妃乃がいきなり白兎へと掴みかかり、彼女をベンチから引き摺り倒していた。


「真妃乃何してんだ!! 大丈夫か白兎!?」


 まさかそんなことをするなど想像だにしていなかった俺は一瞬呆気に取られてしまったが、慌てて白兎の制服を掴んでいる手を外させ、倒されている彼女を助け起こす。


「だ、大丈夫。ちょっと擦りむいただけ」

「ばい菌とか入っているといけないから、あそこの水道で洗おう。真妃乃! 白兎に謝れ!」


 振り返って謝罪するよう促した俺に、しかし真妃乃は大声で言い返してきた。


「なんで! なんでなんでなんで!! なんでこの女を庇うの!! この女、私から寿くんを奪おうとしてる!!」

「いい加減にしろ! 被害妄想が過ぎるぞ!!」

「私の彼氏を盗る泥棒猫!! この女が私の元彼の浮気相手でも!!?」

「えっ……」


 真妃乃の発言に耳を疑う。

 白兎が、元彼ストーカーの浮気相手? 彼氏を盗られた……?


 恐る恐る白兎の表情を確認すれば、まるでそれが事実であるかのように、彼女は顔を青褪めさせていた。

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