第12話 待って何それ聞いてない
バスに乗っても降りるところは一緒に帰るための遠回りルートなので、その道の近くで降車することになる。
そのバス停で降りるのは俺達だけで、あとの数人を乗せたバスは次のバス停へと緩やかに発進して行った。さて、ここからが俺の正念場である。
手を繋いで歩く道は、どうしてなのか他に人がいない。ここは特に何の変哲もない、家が立ち並ぶ普通の住宅街。家と道路の境界線はコンクリートブロックの塀で仕切られており、その向こうにはこの時間帯では黒が混じった、深緑色をした山並みがある。
俺達みたいに寄り道をした学生や部活帰りの学生、会社から帰宅の途につくサラリーマンや、犬を散歩させている人。誰か一人でもいてもおかしくないのに、ここには俺達だけしかいない。まるで俺と真妃乃しかいないような、この世界。
もうすぐ、あの通りの道がやってくる。まっすぐ歩いて突き当たればそこから見て俺は右、真妃乃は左へと別たれる。
運命の時がやって来る。真妃乃が話すことに相槌を打ちながら外面は平静に、内心バクバクと心臓を高鳴らせながら、遂にその突き当たりへと辿り着いて。
「ここまでだね。じゃあ寿くん、また明日!」
明るい声でそう告げ、俺の手を離した真妃乃を見守るために、意を決してそちら側を見る――。
カラス。
カラスが。
カラスが、増えている。
「――――真妃乃っ!!!」
俺は今までにないくらいの声を上げて彼女を呼んだ。声の大きさと滲む焦りの色に、先を歩いていた彼女が驚いたように振り返る。
「寿くん?」
「何で、そんな普通に帰れる……?」
今すぐにでも駆け寄りたいのに、足が縫い止められたかのように動けない。何故か俺は、そこから先へと進めない。
困惑した顔を見せていた彼女はどうしてこんな場面で笑うことができるのか、「えへへ」と照れたように笑った。
「寿くんと離れるのは、そりゃ寂しいよ? でも、また明日になったら会えるから」
違う。そうじゃない。そうじゃない!
見られている。見られているから、動けないのか?
「いるだろ? カラス。見えないのか?」
「カラス?」
そう言って周りをキョロキョロして、確認するかのように首を巡らせている。
何でだよ……? そんなことしなくても分かるだろ……!?
嫌な反応に、身体の熱が奪われていくような感覚に陥る。まともに息をすることさえ、難しいような。
「カラスなんて、どこにも見当たらないよ?」
そうして確認を終えた真妃乃が、信じられないことを口にした。
「…………え」
「変な寿くん! じゃあね!」
タタッと軽い足取りで進んでいく真妃乃に、そのショルダーバッグから下げられているカラスのキーホルダーに、どうしてアイツらはその目を向けないのか。
遠くなる。見えている背中が小さくなっていく。
……俺しか見えていない? あんな数いるのに? 昨日より更に増えているのに?
――もう数えるのも億劫なほど、
幻覚? 幻覚かこれ? それとも夢か? バスで寝てんのか俺? 有り得ないだろ? 普通こんな、こんなことってあるのか? 何で動かないんだよ。何で鳴かないんだよ。何で俺だけしか見ないんだよ!?
首も動いていない。アイツら、黒い視線。
真妃乃はもういない。不可解過ぎる光景に、最後の姿を目に映すこともできなかった。
ちゃんと帰れたか? いや、俺だけにしか見えていないのなら、カラスに関しての心配なんか必要ない。
「何なんだよ……っ!?」
動け、動け足! アイツらは俺を見ているだけで、追いかけてきたりしない。ここから離れれば、家には無事に帰れる!
シャアァァァァァーーーーッッッ!!!
後方から聞こえる、何か。
待ってくれよ。これも俺にしか聞こえないのか? 聞こえていたら反応くらいはする筈だよな? 全然。全然アイツら、何も動きもしない。
後ろは俺が進むべき道。俺の帰宅の途。昨日は黒猫がいた。
そうだ、あの鳴き声はアイツだ。ははっ、そうか、あの黒猫は鳴くのか。そうだよな。動いて俺の前を横切ったもんな。カラスよりか、ずっとあの黒猫の方が生きている。
一抹の安心感を覚えた俺は、カラスの呪縛を断ち切って振り返った。振り返ってしまった。
確かに、そこに黒猫はいた。鳴き声からして威嚇をしているのは分かっていた。てっきり俺だと思っていた。威嚇しているのは――
――俺と同じ制服を着た背の高い茶髪の、男子生徒。
口から言葉なんて発せられない。
何でいる。どうしてお前がそこにいる!? つけて、いや、俺と真妃乃しかいなかった。 いなかったんだよ、俺と真妃乃しか! どうなっているんだよ畜生!! 何なんだよ、何なんだよ一体!!
黒猫が威嚇し続けている。鳴いている筈なのに鳴き声が聞こえない。俺の耳が音を拾わない。ドッドッドッドッとうるさく跳ね続ける心臓の鼓動しか分からない。もう頭が現実を拒否し始めている。
動いているのは黒猫だけ。男、あの男は後ろのカラスどものようにジッと俺を見つめている。表情なんて何もない。
真妃乃をつけ回しているストーカー。憎悪の表情を向けられるのならまだ理解できる。無表情って何だよ。無表情って何だよ!?
「……ぁ」
ストーカーが動いた。
自分の足元で威嚇をしている黒猫を抱き上げている。黒猫は暴れて手やら制服やらを引っ掻いているのに、ストーカーはビクともしていない。一見その光景は男が不機嫌な猫を宥めているかのような、穏やかな憧憬だとさえ感じさせられて。
あまりにも不気味で不可解で、だからこそ脳がそんな現実逃避のような感覚を生み出したのか。
暴れる黒猫をものともせず、再度頭を上げたそのストーカーの顔は俺へと向けられた。そして、その口が。
口が、何かを喋ろうと――……。
理解した瞬間、俺は脇目も振らずに元来た道を全力速度で駆け抜けた。
走って、走って、走り続けて。呼吸なんか忘れるくらいに、あの道から遠くへと。
意味なんか分からなかった。どうしてあの場所から逃げなきゃいけなかったのか。喋っていた。確かにあのストーカーは何かを話していた。
聞こえなかった。あの距離であの男が話す言葉なんて、聞こえなかったのだ。
何で聞こえないんだよ、おかしいだろ? 中庭よりずっと、ずっと近くにいた。それなのに、聞こえなかった。
口パクではない。確かにストーカーは何かを俺に伝えようとしていた。でも俺はストーカーが、あの男が言った言葉を理解してはいけないと本能的に悟った。
理解できないこと。聞こえないことこそが、安堵すべきことなのだと。
だってそうじゃないと、そうじゃないとおかしいだろ? 聞こえないのに。聞こえなかった筈なのに。離れた遠くの方から、ミギャアアアァァァァッッって、断末魔のような音が聞こえてくるなんて。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
家には無事に辿り着いた。
アパートの扉を開けてすぐに洗面所へと直行し、蛇口を捻って頭から水をぶっかぶる。後頭部の一点に当たる水が四方に分かれて流れ、篭っていた熱ごと排水溝へと落ちていく。
暫くそのまま水に打たれ、ようやく落ち着いた頃に蛇口を捻って水を止めて、取り出したタオルで拭く。
ついでに手洗いとうがいをして洗面所から出て、何を思うこともなくリビングへと足を向ければ、エプロンをつけたままの母親がリクライニングソファで気持ち良さそうに寝ていた。正面にあるテレビが点けっぱなしなことから、料理の合間にテレビを見ている最中に疲れて寝てしまったのだろう。
未だ点いたままのテレビでは、夕食の時間とあって報道番組が展開されていた。その中で今日の出来事というラインナップで、全国のこういった事件や宣伝などが並んでいる。
ただそのラインナップの中に二駅先の高校の行方不明事件に関することは、ない。
リュックを降ろしてキッチンへと向かいコンロの上にある大鍋の蓋を開ければ、とても美味しそうなホワイトシチューが湯気を立てて俺の顔に当たった。ただしその中にブロッコリーが入っているのだけは頂けない。
料理も途中でないことを確認した俺は、次にリビングを出て廊下へ向かった。起きた母親が気づいてもいいように見える位置に座り込んで、制服のズボンポケットからスマホを取り出し連絡先一覧をタップする。
渾名ではなくSSR級の名前で登録しているそれをタップし、耳に当てて出るのを待つ。
オカルトマニアのくせにおどろおどろしいメロディでなく、ポップでキャッチーなメロディなのはいつ聞いてもどこか納得できない。オカルトマニアなら嗜好は一定に保てと言いたい。
『もっしもーし。寿ぃ? 俺いまガーリック炒めにんにくおろし黒にんにく食べてたんだけどぉ?』
「お前絶対寝る前と朝起きたら三回ずつ歯磨けよ。あと十粒くらい消臭タブレット食っとけ。……食事中悪い。ちょっとさ、相談したいことがあって」
『……ふぅ~ん? なになに?』
「……あのさ」
『うん』
「俺、彼女のストーカーにターゲット変更されて、俺のストーカーになったかもしれない」
『待って何それ聞いてない』
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