密閉された空間の大事件
駅まで我慢したかったけど、もう限界だ。
朝飲んだ牛乳がちょっと痛んでたのかもしれない、そういえば昨日の晩、弟がテーブルのうえに出しっぱなしなのを冷蔵庫にしまった覚えがある。
「ああ、もう」
電車の一番後ろの車両に慌てて移動する。三両編成のここにだけ、トイレが設置されていた。揺れながら用をたすのは落ち着かないので、できれば使いたくなかったけど、背に腹はかえられない。
休日の昼前ということもあって、一両目にも、二両目にも、私以外に乗客は乗っていなかった。
「あっ、えっ」
よりによって、こんなときに、先客がいた。トイレのドアの前に、少し髪の長いお兄さんが困った様子で立っている。
「あの、待ってます、よね?」
「……ええ」
お兄さんは、もじもじしながら答えた。
「どれくらい、待ってます?」
「ええと、次の駅に着く頃までには、大丈夫になると思いますけど」
次の駅! まだ十分以上あるじゃないか。それでもとにかく辛抱だ、と三分経ち、五分経ち、それでもドアは開かなかった。ああ、もうだめ。
「ごめんなさい、私もう限界です!」
お兄さんを押しのけて、ドアをノックする。いくらなんでも長すぎる。お願いして一度出てもらおう。ドアに手が触れた瞬間、なぜか抵抗を感じなかった。
「え?」
カギのかかっているはずのドアはあっさり開いて、私は転びそうになりながら、トイレの個室に踏み込んだ。
「どういうこと?」
個室の中には誰もいない。窓はないし、私たちがずっとドアの前にいたから、出て行ったら絶対に気付いているはずだ。
そこにいるはずの誰かは、忽然と消失してしまった。個室には、わずかな気配すら残っていなかった。
「ごめんなさい!」
人が消えた、と駅員さんを呼んで大騒ぎしてしまったら、お兄さんが慌ててすべてを打ち明けてくれた。
真相はこうだ。トイレの個室から出てきたばかりのお兄さんが、車両を移動してくる私の姿を見て、私を中に入れまいととっさに順番待ちのフリをしたそうだ。
「でも、なんでそんなことをしたんですか?」
お兄さんは恥ずかしそうに、顔を伏せた。
「……においが、消えてくれるまで、時間を稼ごうとしたんです」
うつむくお兄さんは、鼻の先まで真っ赤になっていた。
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