紅潮に彩る黒蜥蜴

神﨑らい

ハッピーエンドがお好みで?


 ねえ――控えめにそう声を掛け、私は幼馴染みの肩を指先で突つく。彼はこちらに顔を向けることなく、なんだよと無愛想に返して歩速を速めた。

「演劇の練習、ちゃんとやってる?」

 私たちの高校は、来月に学園祭が迫っている。クラスの出し物で劇をすることになっていた。テーマは江戸川乱歩著の【黒蜥蜴】。演劇を推したクラスメイトが明智小五郎の大ファンで、学祭の劇にしてはかなりマイナーな作品が選ばれたのだ。

 私の個人的な意見としては、シンデレラや白雪姫なんかのプリンセスをメインとした、幸福で華やかなストーリーが好みだ。やはりヒロインは可憐で、美しく、誰からも愛される方がいい。それに、お姫様であれば白馬に乗った――乗っている必要はないが、お伽の国の王子様が迎えに来てくれる。ラストはハッピーエンドと決まっているのだ。

 黒蜥蜴のように、美しく妖艶で、一人であっても生きていけるような、強くてかっこいい女性も憧れるし好きだ。けれど、やはり守られたいと思ってしまう。強く優しい王子様に守ってもらえるような、そんなお姫様になりたいと願うのは幼稚だろうか。

「ねえ、あんた主役なんだよ? 主役がいないと劇の練習自体進まないんだよ?」

 逃れるような彼の歩速に食らい付きながら、私は控えめに、機嫌を伺うように言葉を投げ掛ける。

 幼馴染みの彼が明智小五郎役に抜粋され、長い黒髪でミステリアスだから、と言う理由で黒蜥蜴役は私に決まった。私はミステリアスなんじゃなくて、感情表現が苦手で表情があまり変わらないと言うだけなのに――。

 ため息が出そうだった。救いと言えば、明智役が幼馴染みと言うことだろう。彼が相手なら、多少はやりやすい。気兼ねないとまではいかないが、それなりに恥ずかしがらずにやれるだろう。

 やると決めてからは、練習も楽しくなってかなりやる気になっていた。放課後の練習は、部活そっちのけで頑張っているし、真剣に取り組んでいる。

 ただ――、彼はそうでもないらしかった。あからさまに乗り気じゃなく、部活にかまけて練習にも顔を出さない。私は本気で取り組んでいるのに、主役の彼にやる気がないのは酷く悲しかった。だから、私は意を決して帰宅する彼の肩を叩いたのだ。

「部活が忙しいのはわかるよ? けど、もうあんまり時間ないしさあ、劇の練習にも顔だしてよ」

 彼は私と並んで歩こうともしない。私は置いていかれないよう彼に着いていき、その背中に再び話しかけた。

 彼は一つ息を吐いてから、面倒臭えんだよ――そう冷たく吐き捨てた。堪らなくショックだったけれど、元々演劇なんかに興味のない彼が乗り気じゃないのも、役を押し付けられて嫌がっているのも知っていた。だから、責める気にはならない。

 けれど、やはり寂しいものだ――。

「似合ってるからって、無理やり押し付けられたんだもんね。あんた演劇とか興味ないし、面倒臭いのはわかるけどさあ――」

「それだけじゃねえよ」

 ため息混じりに彼から放たれた言葉が、私の胸を掻き乱し、不安の波を作り出した。嫌な感じに脈が唸る。ゾッと血の気が引くような、暗い井戸の底に落とされたような、不吉な予感が胸中に蔓延った。

「もしかして、私が相手だから――?」

 私は恐る恐る尋ねた。

 言ってしまった――そう後悔しても遅かった。私の鼓動は不快なほど暴れまわり、苦しくてしかたない。そうだよ――そんな声が聞こえそうで、ずっともやもやと胸中に渦巻いていた疑念を、今まで吐き出せずにいたのに。なのに、私はその疑念を吐き出してしまった。

 薄々気づいていたと言うか、確信に近いものはあったのだ。劇の配役が決まってから、私は彼に避けられていたし、ずっと彼の機嫌は良くない。

 もし、劇をやりたくない原因が私なら、今からでも遅くないはずだ。配役を変えてもらい、彼に快く明智小五郎を演じてもらおう。黒蜥蜴の配役が気に入らないってだけの理由で、クラスの全員が適役と推した彼が役を降りるなんて勿体ない。

 返事がないのは、そう言うことだろう――うつむく私は決心し、悲しみを飲み込んで口を開いた。

「そっか、そうだよね。私が黒蜥蜴の役なのが嫌だったんだよね」

 声が震えている。悲しい――あんなに練習を頑張ったのに、こんな結果になるなんて悔しい。目の奥がぎゅっと熱くなり、視界が滲んだ。

「私もみんなと同じで、明智小五郎の役はあんた以外にないと思ってる。だからさ、あんたにはちゃんと劇をやって欲しいんだよね。私が理由でやりたくないんなら、演出担当の子に頼んで今からでも配役を――」

 いいえ、緑川婦人――上質なヴェールに包まれる優美な声が舞って、私はなぜだか夕闇の空を見上げていた。あまりのことに理解が追い付かず、続くはずだった言葉は失われ、混乱する間も与えない。

 私の眼前に彼の真剣な眼差しがあるのだ。吐息を感じる、鼻先が付く距離。左手は彼の右手に高く絡め取られ、逆の腕に背を抱かれて、私は弓なりに胸を反らせていた。

「僕は貴方に恋い焦がれています。ずっと前から、幼い頃から――」

 いつか必ず、是認させてご覧にいれましょう――と、優美に微笑み、そっと私の額に口付けをした。彼に演技の練習は不要かもしれないな、なんてどうでもいいことに思考を使い、私は平静を保とうと高鳴る鼓動に抗う。

 時間の感覚など失われていた私に、ただ――と、彼は一言寂しく言って、呆気なく私を手放した。こちらに背を向けて距離を取る。一瞬にして侘しい損失感に襲われた。

「結ばれねえじゃん、明智と黒蜥蜴って――」

 彼はこちらに顔さえ向けず、そんな言葉も相変わらず無愛想に吐いて、さっさと歩き始めた。

 私は呆然と立ち尽くし、去り行く彼の姿を見送る。顔が熱くて、とてもじゃないが追えやしなかった――。


 だって――最後に放たれた言葉。


「それ、どう解釈すればいいのよ」

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