第27話 A光と闇2
A光と闇
カカカカカカカカ。
つい、机を指で叩いてしまう。話すことが見当たらないからだ。記憶の状態なんて聞けないし、小説の事も話せない。事件の前後の話なんてそれこそご法度だ。ただ、机を指で叩いているとイライラしているみたいだ。久しぶりに花と話せるのにそれでは失礼、というかなんというか。今度は鼻や唇をポリポリし始める。因みに視線は合わせられるはずもない。
「ふふっ、変わらないんだね」
花がしゃべった。
僕はちょっと安心する。視線を合わせるきっかけになったとかそういうことではない。その声色が落ち着いていて、笑いを含んでいたからだ。色々心配していた状況と逆だったから安心した。しかしすぐに固まった。今、変わらないと言った。確か花の記憶は告白当時までしか回復してないはずだ。
「変わらないってもしかして」
「今思い出した。昔からその指で机叩いたり、その後に鼻とか口に手を運ぶ癖。変わってないなって」
僕はがっと机を掴んで覗き込む。
「大丈夫。痛くない。何ともない」
「うん。大丈夫だよ。全然大丈夫」
花が力こぶを両腕で作ってみせる。ふぅと、腰を戻すが、僕はすぐにこう言った。
「やっぱりダメだ。先生に診せなきゃ。記憶戻ったんだし」
と、立とうとすると先ほど机を掴むために残った手を花が包んでくる。それ自体に大した力はなかったが、僕は動けなかった。
「大丈夫だって。私が言ってるんだから大丈夫なの。久しぶりに話したくないの。先生には後で報告すればいいんだし」
そして僕が何かを言い返そうとごにょごにょしていると、
「はい、私の目を見る。じっと見る」
命令されて従わされて
「あなたはだんだん話したくなーる。あなたはどんどん話したくなーる」
まじないをかけられた。
これは会話に詰まった時に花が良く使う手だ。基本的に二人の時はおしゃべりな花の方がしゃべるのだけど、それでも会話が詰まる時がよくある。僕もそこまでしゃべる方ではないから。すると花はこのまじないで「お前がしゃべれ―、おまえがしゃべれー」と訴えてくるのだ。
「はいはい、わかったわかった」
もうやけだ。しゃべれるだけしゃべろう。
「で、今彼女いるの」
二つの意味で心の中でガクッと膝を折る。お前がしゃべるんかい、そして
「いるわけないだろ」
割と大きい声が出たと思う。周りがぎょっとこちらを見た。ちょっと恥ずかしくなって肩を窄めた。
「ふーん、そうなんだぁ」
何やら意味ありげな反応をされた。
「ずっといないの」
「いないよ」
意図はわからないけど普通に応える。
「じゃあ、私が記憶を取り戻さなかったら、どうするつもりだったの」
グサッと来る質問をされた。
考えたことが無いわけじゃない。何人かに告白されもした。しかし、良い返事をしたことはない。理由は二つ。一つはその気になれなかったから。そしてもう一つは……闇の住民だから。
「一人身、だったかも」
「はぁ」
花は大きく溜息を吐いた。
「純ちゃんに物申す―。
えっとね。それ私は嬉しいよ。とってもね。変わらぬ愛を貫いてくれるなんてロマンチックだし。
でも、それじゃあ純ちゃんが幸せになれないじゃん。別に彼女くらい出来てもいいよ。いや、結婚しなさい。赤の他人の道を選んだ時点でもう相手は死んだも同然なの。わかった」
至極真っ当な意見である。
「いや、そうなんだけどさ」
とは言え、僕の闇を話すのも違うか。
「言い訳しない」
「……はい、わかりました」
上手く丸め込まれてしまった。
「因みに私は彼氏いるよ」
ドドキンッと心臓が痛む。話の流れからして僕の事ではないだろう。僕のことであって欲しいが。つまり、別に彼氏がいるということだ。世界がグニャグニャに曲がって見える。
「もう別れるつもりだけどね」
えっとえっと、それはやっぱり僕の事じゃないから、別の人の事だよね。
「それって僕のこと」
小さく聞いてみる。
「何言ってるの。純ちゃんと付き合いなおすために別れるんじゃん」
ふぅ。と背もたれにどっしりと身体を預けた。
「良かったぁ」
地味に冷や汗が出るや。
「って、付き合ってたんだ。誰と」
少し余裕が取り戻せたので突っ込んでみる。そう言えば、ゲームで聞いてたじゃないか。すっかり忘れていた。
「先生が紹介してくれた人。外科医かな」
なるほど、あの先生が絡んでいたのか。術後のアフターケアというやつだろうか。後で問い詰めたい内容だ。
ところで、この様子だとゲームで色々話してることは知られていないらしい。それすら制限されている中で、直接会って話して、記憶甦っちゃって、本当に良いのだろうかと思う。
「蜘蛛の糸って作品知ってる」
ドキッとする。小説のことはバラしてはいけない。
「ああ、うん。知ってるよ。もっとも、記憶にあるのは最新版の方だけど」
つかず離れずだ。
「最新版。もしかして純ちゃんも桃先生のやつ読んだの。私は先生に貰ったの」
ああ、先生に貰ったのか、花は。
「僕は違うよ。普通に書店で気になったから買った。昔から知ってるでしょ。僕が読書好きだって」
「え、ああ、うん、そうだよね」
何か歯切れが悪い。あっ、その記憶は戻ってなかったのか。
「あっ、ごめん。今のは忘れて」
とりあえず取り繕う。
「ああ、ううん。私が悪いから」
「違うよ、僕が悪いんだ。記憶を奪ったのは僕だから」
二人して沈黙する。
カッカッカッカ、ポリポリポリポリ。
「あ、またやったー」
花は子供がおもちゃを見つけた時のようにはしゃいだ。
「あっ、ごめん。これは悪い癖だね」
今度は二人して笑う。こうして笑えるとすごく安心する。心配事が吹き飛んでいくから。
「で、蜘蛛の糸どうだった」
花が興味津々である。何か話したいことがあるのかな。
「うん。良かったよ。エンディングの辺りがやっぱり好きかな。バッドエンドだったのをハッピーエンドにしたところ。でも内容的には変わらないのがまた味があるというか、斬新というか、面白いよね」
「うんうん。それもそうなんだけど花はね」
そこで一瞬勿体ぶる。
「蜘蛛の糸が私達にも垂れてくればなっておもったんだよ。そしたらあの夢が見れたの」
花の言っている夢とは告白の時のものだろう。なるほど、そんな感じだったのか。
「じゃあ花は大悪人なんだね」
ちょっと茶化してみる。
「うん。そうなのかもしれない」
が、本人は割と本気で思っているようだ。
「花が大悪人のわけないじゃん」
一応突っ込んどいた。花は悪いことしていない。
「そうなのかな。そうだといいな。ほら、因果応報って言葉あるでしょ。だから……」
「絶対違う。花は何も悪いことしていない。僕が保証するから」
悪いのは明らかに一方的にあいつだ。
「……ありがとう」
まあ、記憶が戻ってないんじゃ、不安になるのも仕方ないよな。
「大丈夫。絶対それがわかるから、待ってて」
僕は立ち上がって、入口の方へと向かって行った。
「それと蜘蛛の糸。僕が大悪人になる。君は天国に行くのに気付かせてくれた悪人くらいじゃないかな。悪い人じゃないけど。ともかく僕が天国へ連れて行くから。二人で糸を手繰り寄せようね」
そう言って、僕は扉を開け放った。
ちょうど一時間弱使った。普通に行っても、あのオフィスに一八時頃に着く。だけど、先生がいなくなってるかもしれない。少し先生と話したかった。報告もあるし。かなり急いで帰って走って到着した。一七時三〇分。先生がいるかどうか……。
扉を開けると先生がまだカタカタと作業していた。先生は時計を見ると、
「あら、早いんだね」
と言う。
「先生、花と会いました。カフェで。記憶が少し戻ってます」
まずは報告する。先生はすぐに立ち上がり、動き出した。
「容態は、いや、いい。花君は今どこにいる」
医者として当然の動きである。
「あの、花はたぶん大丈夫です。笑っていたから。一応今は病室にいると思います。それよりーー」
「病室だな。またすぐに連絡す――」
「花は大丈夫です。それより話を少しだけ聞いて下さい」
「なんだ。花君より大事なことがあるのか」
「花のために大事なことがあります」
僕がそう言うと先生がようやく動きを止めた。
「花君のために大事なこと」
「はい。小説のことです」
「小説のこと。何か問題があるのかな」
「問題、ではありません。ただ提案があります。鹿島のやつと先生にも書いて欲しいんです」
先生が訝しい顔になった。
「ん、どういうことだ」
「これ、ノンフィクションで書くんですよね。でも、事件のとことか治療のところとか、僕が書くとフィクションになっちゃうんです。だから、先生たちが直接書くことで、本当のノンフィクションにしたいんです。メインはもちろん僕が書くんで」
これが僕の思い付き。どうせみんな素人だし、その方が良いと思う。花に正確に三年間や事件を伝えるために。
「ふむ、鹿島君と僕が、か。いや、悪くないかもしれん。桃の負担は増えるが、元々暇人だから問題はないだろう。しかしいいのか。鹿島との共同作業……。まあいい、わかった。アウトラインを作ってくれ。誰がどこを書くか、構成を考えよう。
「はい。わかりました」
この作品、意外と面白くなりそうだ。あっ、もちろん。花にしか見せないものだけど。花に本当の三年間を見せるんだ。
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