第17話 A貴方がいる

A貴方がいる




 あれが良くて、これがダメで


 そんな人生良くないはずで


 私はレールを歩いてた


 このレールは誰のもの




「――なんです」




 朧気に口元が見える。たぶん男の人の口だ。声が男だから。ほわーとした感じだ。男の人が何か言っているのがわかる。何だろう。良く聞こえない。




「――から、付き合って下さい」




 私は今、告白されている。「付き合って下さい」と言われているのだし、たぶんそうなのだろう。誰が告白しているのだろう。よく見えない。見ようとすれば見ようとするほど、ぼわーっと霞んでいく。




「誰」




 自分の声がして自分でびっくりする。というのも違う次元の言葉だからだ。声とほとんど同時に目がぱっちり開く。どうやら夢を見ていたようだ。寝言で目が覚めたらしい。夢のことはぼんやりとだが鮮明に(矛盾してるけど、そんな感じに)憶えている。とは言え夢だ。放っておけば忘れてしまう。私は急いで日記にその夢のことを書いた。






「ふむ。ここに書いてあるのが夢の全て」




 先生にしては珍しく真剣な面持ちでいる。やっぱりあの夢は私の記憶に関係しているらしい。




「はい。あとは全然わからなくて」




 私は素直に答えた。




「起きた時、頭は痛かった」




 いや、全然痛くなかったはずだ。




「いえ、全然」


「まずいな……。いや……。しかし……」




 先生は呟きながら考えるだけで、それ以上話が進まない。それにしてもなんでまずいのだろう。記憶が甦りそうで頭が痛くないのなら、負担なく思い出せているということではないのかな。まあ、素人がいくら考えても意味が無いので聞くことにする。




「あの、何がまずいのですか」




 私がそう聞くと、先生がハッと我に返る。




「まずい……。私はそんなこと言っていたのか」




 どうやら自分で言ったことも覚えていないらしい。




「ええ、開口一番に」




 指摘してあげる。




「ああー。記憶が徐々に回復するようにすべきだって話はしたね」


「はい」


「記憶の断片が夢に出てくると、芋づる方式に次から次へと思い出してしまう場合があるンんだ」


「思い出すのが止められない、みたいな」


「そう、その場合脳が耐え切れなくなり、昏迷する」


「こんめい」




 聞いたことない言葉だ。




「指令がうまく出せない状態さ。場合によってはそのまま植物人間や脳死することもある。回路が壊れてね」


「えっ、植物人間。脳死って死ぬこと」




 それは確かにまずい。まず過ぎる。




「入院しようか。手続きはしとくから」


「えっ、ちょっと、ま、入院」




 話が大きくなり過ぎだよ。全然ついていけない。こちらが混乱しているうちに先生が電話で既に準備を始めている。




「ご家族には私が説明するから」




 待った。今日。今日なのか。全然心の準備が出来ていない。着替えは。携帯の充電は。私も混乱していてどうでもいい心配をする。




「また隔離室ですか」




 あの閉鎖空間は苦手だ。だから一応聞く。いや、ほら、混乱してるので。




「いや、集中治療室だ」




 隔離室じゃなくて良かったと思う。でも、集中治療室ってあんまり変わらない気がする。ってか私、もっと良い質問しろよ。




「空いたから、そのままの格好で良いよ。後でまた様子見に行くよ」




 そう言われて、看護師に連れられて歩いて行った。歩いている最中も頭の中は整理するのでいっぱいいっぱいだ。記憶が戻りそうだ。これはやったぁ。脳死するかもしれない。これは最悪。入院しなきゃいけない。これは意味不明。いや、何が意味不明って、まずなんで今すぐなのか。そんなに緊急ですかこの事態。私の身体、全然平気ですけど。そりゃ夢は今夜も見るかもしれないけど。ってか集中治療室って高いんじゃないの。家族の了解……は取れるか、あの家族なら。いやいや、でもそれだけの問題じゃないというか。いや、というより何よりも今気になっているのは、




 夢のことを考えるべきか否か。




 これは迷いどころだよなー、ほんと。もしかしたら、芋づるを軽減出来るかもしれないし、そもそも記憶が戻るかもしれない。戻り方にもよるけど。戻れば完治だ。後で先生に聞いてみようか。




「どうだい。久しぶりの入院は」




 しばらくして、先生がひょっこり顔を出した。




「急過ぎてついていけないです」




 少しくらい文句言わないと気が済まない。いや、もちろん私のための行動なのはわかっているけど。




「ああ、ごめんよ。でも、植物人間にするわけにもいかないからね」


「はーい」


「この病室は持ち込み色々出来るから、隔離室より快適だと思うよ」




 隔離室の時は本当に何も持ち込めなかった。暇過ぎて寂しくて歌を歌うことがあるんだけど、歌詞がわからなくて歌詞が欲しいと言ったのに、貰えなかった経験がある。まあ他にも色々あったけど、ともかく何も持ち込めなかった。




「でも、家族は持ち込めないんでしょ」




 そう言えば、まだ来てないなと思って話題に出してみる。




「そうだね。彼氏も無理だ」




 と、先生はにやにやしている。




「彼氏はいいよ別に」




 いるにはいるが、別にラブラブってほどじゃない。




「なるほど、新しい家族より今の家族か、女の子はそういう感じなのかな」




 ふふっと二人で笑った。理由はわからないけど、私は彼の顔が浮かんだから。




「今日は家族は面会に来れないけど、時間的に。着替えとかは看護師が持って来てくれるから」


「はーい」


「それと、これ、入院見舞いのプレゼント」


「蜘蛛の糸。私これ知ってるよ。昔お母さんに読んでもらった記憶ある」


「ああ、絵本のやつだね。それとは違うよ。なんたって最新版だから」


「最新版」




 著者を見ると、桃龍之介という名前だった。見たことない名前だ。




「知り合いの作家がやっとデビューしたんだと、それで。まあ読んでやって」


「わかりました。ありがとうございます」




 まあ、暇だし、何も無いよりかはましだ。昔聞いた話を読み直すのも悪くない気がする。




「じゃあ、あとは夢のこと考えないように」




 あっ、先に言われた。




「やっぱり、ダメですか」


「ダメ。絶対に。危険だから」




 かなり念入りに言われてしまった。ははっ、これは敵わないな。




「わかりました」






 蜘蛛の糸。昔読んでもらった時のは確か結局天国に行けなかったはずだ。でも、この作品は天国に行っている。悪人は悪人でしかないという主張が正しいか。悪人にも救いがあるというのが正しいか、ということなのだろう。今回のはつまりハッピーエンドだ。




 バッドエンドだと思っていたものがハッピーエンドになっていたのは素直に衝撃を受けた。私も、病気が治ればハッピーエンドなんだよなって思う。大悪党は蜘蛛を助けてチャンスをもらった。そしてそのチャンスを掴んで天国へ行った。




 私も誰かを助ければいいのかな。




 思えば私は病気になってから助けられてばかりいる。助けるなんてとんでもない。それでも、チャンスは欲しい。




 わがままかな。




 そもそも私のいるところは地獄というには平穏な場所なんだよな。私がそんなこと望むのはバチ当たりかもしれない。それでも大悪党よりは良いことたくさんしている自信はある。




 そうだよ。もしかしたらあの夢がチャンスかもしれない。




 考えてもみろ。今までこんなことあっただろうか。いや、全くと言って無い。それを天啓と考えずになんと考える。




 ……考えてしまおう。




 どうせ今は病院の中だ。何かあったら医者や看護師がすぐに駆け付けてくれる。そのための入院なわけだし。




 田原先生はダメと言っていたけど、良いよね。




 ゆっくり思い出してみよう。まだ夢の感触はあるんだ、実は。




「――なんです」




 そう男の人に言われたんだ。




「――から付き会って下さい」




 ああ。告白だ。告白されてたんだ。




 ん。




 告白の記憶があるってことは、誰かと付き合ってたってことか。空白の三年間で。(四年時の)大学生活色々を考えると会わせてくれることはなかったんだろうな。でも、そんな彼がいるにも関わらず、記憶の回復を待たずに先生は新しい彼を紹介した。




 あれっ、なんで。




 元彼のことをあの先生が知らないわけないし、元彼の気持ちを踏みにじるほど非情ではないと思う。元彼が諦めたってことなのかな。




 そもそもなんで記憶が甦ったんだろう。やっぱり重要だからかな。それとも逆にどうでもいいからかな。前者を仮説一、後者を仮説二としよう。




 一なら話は早い。元彼は私の空白の三年間を埋める重要人物だ。このままリスク承知で思い出す価値はある。




 二はどうだろう。二なら思い出す価値は無いだろう。ただ、反証らしきものがいくつかある。まず、先生の反応。明らかにどうでもいい記憶を見た反応とは思えない。急に入院なんてやり過ぎ感が強い。そして、記憶自体の内容。どうでもいい相手だったのにその人の告白を憶えてるってどうなの。




 うん、一だよねやっぱり。




 でも、これくらい頭を巡らせたのに、夢以上の記憶は全く甦ってこない。わかったのは記憶の重要性だけ。ふぅ、どうすれば思い出せるんだろう。




 私は大きく伸びをした。見ると、もう二二時を回っていた。病室も消灯されている。




 夢か。夢を見ればいいんだ。




 夢なんて見ようと思って見れるものではないのはわかっている。でも記憶の断片を見れたのは夢だ。夢を見れることに期待するしかない。




 私はそう思って目を閉じた。


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