第16話 B先生との出会い

B先生との出会い




 あれが良くて、これがダメで


 そんな人生良くないはずで


 私はレールを歩いてた


 このレールは誰のもの




 静かな空間。目を開けた瞬間に飛び込んできたのはそういう空間。音らしい音もない、落ち着いた色合いが映える不思議な空間。




 怖い。




 本能的にそう思った。飛び起きて徘徊する。壁、ベッド、掛け布団、枕、奥にトイレ、二重の開かない窓、取っ手の無いドア。




 痛い。




 状況が確認出来ると、今度は頭痛に襲われる。それに伴い身体が均衡を崩す。




 ダメだ。立てない。




 ベッドにへたり込む。意味が分からない。ここはどこ。私はどうしたの。




「誰か、誰か来て」




 今出来る限りの大声を上げる。しかし、しばらく待ってもどこからも反応がない。私は更に怖くなって、今度は金切り声のような声を出す。




「誰か来て」




 ……やっぱり反応がない。転がりながらドアらしきところへ行く。必死になってドアをバンバンと叩きまくった。




 バンバンバン、バンバンバン、ドンドンドン、ドンドンドン。




 身体はヘロヘロだったけど、ありったけの力を使う。ありったけの声も使う。




「お願い、誰か来て」




 涙が出ていた。怖くて怖くて怖くて、泣いていた。孤独死ってこんな感じなのかな。死んでしまうような気持ちだった。




 ガチャ




 そんな時にようやくドアが開く。




「月風花さんだね。担当医の田原です。ここは病院です。安心して下さい」




 どばーっと、涙が溢れて、溢れて、溢れて、止まらない。




「怖かったよー」




 ぐぢゃぐぢゃになったその言葉が泣き声と共にその空間に響いた。その間、田原と名乗った医者は私を抱え上げ、ベッドに運び、私の頭を胸で支えて撫でてくれた。




 それが先生との出会いだった。






「大体、自分の病気についての説明はわかったかな」


「はい、大体」




 先生から説明を受けて、私は伏せてしまった。確かに何も思い出せない。直近の記憶は受験の合格の時の記憶だ。もう二一歳だなんて信じられない。タイムリープしたような感覚だ。




「説明はいつでもするから安心して。あと、社会に戻るとどうしても今までと同じような生活が送れるとは限らないから。それも必要なら説明する」


「ありがとうございます」




 正直、今の私にはそう応えるしか出来ない。何が何だかまだ完全には把握出来ていないから。




 ただそれでも家に帰るとすぐにその違いは分かった。一人暮らししていたはずのお兄ちゃんが帰って来ていたのだ。確か大学卒業と共に一人暮らしを始めたはずだから、一年、いや四年ぶりの帰郷になる。




「お兄ちゃんまで戻ってくることないじゃん」




 私は当然のことを口にする。




「いや、愛する妹のことが心配で心配で仕方なくてな。いいじゃないか別に、四年ぶりに家族で、いや、一年か」


「いいよ。四年で」


「わりぃ」


「住んでたところは完全に引き払ったの」


「ああ、うん、まあ、引き払ってはない」


「えっ、家賃払いっぱなし」


「ああ、違う違う。今は彼女が住んでる」


「えっ、彼女いんの」


「いるよ。馬鹿にすんな」


「そうじゃなくて、彼女いるのにほったらかして帰ってきたの」


「ああ、まあ、うん、そうだけど。いいんだよ」


「良くないよ。すぐ帰って。ゴー、ナウ。私、身体大丈夫だから。ほら、何ともないから」




 私はお兄ちゃんの前で動き回って見せる。




「ばーか。家族が一緒にいた方が思い出しやすいんだよ。悔しかったら早く思い出しやがれ」




 うっと、言葉が詰まる。確かに先生もそう言っていた。




「じゃあお兄ちゃんとの三年間思い出せたらちゃっちゃと帰ってよ」




 それくらいならすぐ思い出せそうなので、強気にそう言った。




「はいはい。了解了解」




 次に衝撃を受けたのは大学だった。SPのごとく誰かが必ず付いてくる。ここまでやるか、普通。私は心底そう突っ込む一方で、自分の病気が怖かった。四年生にして一年生のような新鮮なウキウキ気分―だったのは入った瞬間だけだった。完全に奇異な目で見られているし、時々話しかけてくれそうな人達とはSPが邪魔で話せない。四年生は就活の年ということで、取らなくてはいけない単位が極端に少ないし、必要以上の滞在が許されなかったので、そもそも大学での生活は無いに等しかった。後期だけ、去年取れなかった分があるので、少し多いくらいだ。私は成績優秀だったみたいで、選択制の科目は二年までで終わっていたし、取りたい科目も取り終わっていた。私の大学生活って何だろって思った。




「人生がつまらない、か。ま、社会人になれば考えも変わるさ」




 先生が私の日記を読みながらコメントをつける。先生が優しかったのは出会ったときだけだ。それからはいつもこんな感じ。私はむしゃくしゃしていたので、思いっきり先生に噛みついた。




「って言うか、人の日記読むのってプライバシーの侵害じゃないですか」


「治療に必要なことだし、了解は取ってあったと思ったが」


「こんなに嫌な気持ちになるとは思わなかったので、プライバシーの保護を優先させたいです」




 そう言うと、先生は顎に手を当てて考え始める。




「なるほど。不可能じゃないな。それで、日記はやめてしまうのかい」




 おお、意外とすんなりと言い分が通りそうだ。




「まあ、日記自体は続けます。もう習慣になってますから」




 人に読まれなければそんなに嫌なものじゃない。何やらテレビで日記を毎日つけている人は出世するみたいなことを言っている話もあったし。




「なるほど、治療のために始めた日記は続けるが、その日記を治療のために使うのは拒むわけだ」




 ん。なんか雲行きが怪しい気がする。




「はい」




 でも大丈夫。きっぱりと言えばいいはずだ。




「治療は続けるんだよね。つまり、記憶は取り戻したいのだよね」




 うーん、なんかやっぱり怖いなこの質問。




「……はい」


「オーケーオーケー。しかし困った。日記が無いと治療が難しいのも確かだ。私が読まずに君に声出して読んでもらっても構わないが、結局それだと内容が私にわかってしまうな。何か良い方法はないかな」




 くっ、やっぱりそんな感じか。治療に日記が必要で、先生に読ませることが一番効率的なことを間接的にかつ確実にわからせる手を選んできたか。うーん。言い返せる手がない。




「それを考えるのは先生の仕事です」




 なんかすぐに打破されそうだけど、強い手だと思う。




「いやー、恥ずかしながら日記を書いてもらって私が読むというのが、最大限君のプライバシーを守れて、最大限治療に反映出来る良い方法だったんだ。治療については言うまでもないだろう。プライバシーに関しては音声にしてしまうと、この部屋の録音機器に録音されてしまうからね。どうしても私以外の誰かに聞かれることになるんだよ」


「えっ、録音されているんですか。初耳ですが」


「あっ、説明が行き届いていなかったようだね。こちらのミスだ。もっとも、説明しなくても良いことになっているんだが。精神科の患者が混じることになるし、変に緊張させないために、ね。だが必要に迫られたらちゃんと明かすよ。録音されている。どうだい、私のやり方は間違っていたかな」




 最後の録音がやたらと強調されていた。はぁ、無駄な抵抗はやめよう。




「わかりました。従来通りで良いです」




 私は半ば投げやりにそう応える。




「つまり、私が日記を読むことに同意するということだね」




 こいつー、追い打ちなんてしやがってぇー。




「はい、そうです」




 今度は完全に投げやりに応えた。




「ありがとう、助かるよ」




 何が助かるよーだよ、白々しい。




 先生と私は時々こうなる。仲が良いって思って下さい。恋人では絶対無いけど。これでも私は先生にたくさん感謝しているから。  




 これが私の最初の一か月でした。

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