第2話 万智先輩という人

「春。それは別れの季節でもあり出会いの季節でもある。進級、進学、就職。この季節は誰しも自身の環境の変化を少なからず実感する事だろう。そして、我々にとって春と言えば――――」


「春と言えば……?」


「運動会だぁーーッ!!」


 いつも通りの放課後。

 いつものように部室に集まった僕、万智まち先輩に対して浅香あさか先輩は凄い勿体ぶった話し方をし始めた。勿体ぶりすぎて、口を開くまで浅香先輩はトコトコと意味ありげに部室を3周したくらいだ。


 僕はあの浅香先輩がここまで焦らすだなんて一体何事だ!? と戦々恐々で見守っていたが、なんてことはない運動会の話だった。


 そして流石は親友。浅香先輩の言いたいことを瞬時に察した万智先輩は浅香先輩のセリフを横取りして「運動会♪、運動会♪」とテンション爆上がりの様子で、イスの上に立ち謎のダンスを開始している。


「運動会ってそんなにテンション上がる行事なんですか?」


 この高校に入学してからまだ1ヵ月。初めての大きな行事という事もあって僕も少しは楽しみにしていたが、万智先輩程では無い。

 もしかしたらうちの高校の運動会は特別楽しいんだろうか?


「いや、そこそこだな」


 と思ったが、運動会一つでここまでテンションが上がってる人は万智先輩だけらしい。


「こんなに楽しみにしてるってことは、もしかして万智先輩って運動神経良いんですか? 意外です……」


 浅香先輩がスポーツ万能ということは知っていたが、万智先輩もそうだったのか……?


「ううん! 超悪いよ!!」


 悪いんかい!


 万智先輩、そんな太陽みたいなキラキラした笑顔で運動神経が悪い事を告白されても、僕はどうリアクションすればいいか分かりませんよ。


散夜ちるよは確かに運動神経が悪い。クラスナンバーワンだ! だがな、誰よりも運動会を楽しんでいるのも間違いなく散夜なんだぞ?」


「えへへへ……!」


「万智先輩……ナンバーワンって部分だけを聞くと褒められてるように聞こえますけど、浅香先輩のセリフをよぉーく振り返ってください。決して褒められてませんよ?」


「散夜はな、去年の運動会は楽しみ過ぎて全競技に出場したくらいだ!」


「運動神経がクラス一悪いのに!?」


 いくら楽しみだからと言ってそんな暴挙が許されていいのか……。


「あぁ、ただ体力が絶望的に無いからな。途中からは息も絶え絶えだった」


「全競技出場すればそりゃそうなるでしょうね!」


「いやぁ、保健室の先生が松葉杖と車椅子を持ってきてくれて助かったよぉ」


「もはや重病人扱いですね」


 運動会ごときのなにがそこまで万智先輩を突き動かすのか……。


「そのクセ、散夜は大の負けず嫌いでな。勝てないとその度に涙目になっていた」


「超迷惑な人じゃないですか! 周囲の人も扱いに困ったでしょう!?」


 泣いちゃうほど負けず嫌いなのに、運動神経が悪い人が全競技に出場しちゃダメでしょ。誰か止めなよ!


「まぁ最終的には同じく全競技出場のこの私の力でクラスを優勝に導いたんだが……」


「よくこんなお荷物がいて優勝出来ましたね!? 浅香先輩凄すぎない……!?」


「ふふん、まぁな。私ほどになると、散夜がいても優勝するくらい造作もない」


「お、お荷物……。それにハンデ扱い……!?」


 なんだか万智先輩がダメージを受けているようだが、僕には慰めの言葉が思い浮かばない。


「今年も私のクラスが優勝はいただきだな!」


 そう言って笑みを浮かべる浅香先輩。


 なんだ、『そこそこ』とか言っておいて、浅香先輩も運動会を楽しみにしてんじゃん。


 僕も運動神経はどちらかと言えば良い方だ。何とかして浅香先輩達のクラスに勝てたら嬉しいなぁ。


 と、そんな事を考えていたら、


「そうだね! 優勝は今年もわたし達の物だよぉ!! それに、今年もわたしは全部の競技に出場するからね! 今年こそはわたしの力でクラスを勝利に導いて見せるよぉ!!」


 万智先輩が元気よく復活。そして絶望の宣言をした。



「「え?」」



 今年も? 今年も全競技に出場すると言ったのかこの人は!? 


「ち、散夜? それ、本気?」


 珍しく浅香先輩が狼狽えたように万智先輩に訊ねる。


「当然だよぉ! わたしもこの一年で成長したからね!! 今年こそはバンバン一位を取って、クラスを優勝に導くよぉ!!」


「万智先輩、成長って具体的にはどのくらい?」


「あのねぇ! 身長が145.2㎝から145.5㎝になったの!! このペースで行けば、あと20年でシズの身長を超えちゃうかもね!」


 万智先輩…………。


 それは誤差の範囲では? そう思うものの、言えない……。こんな嬉しそうに自らの成長を語る先輩の笑顔を曇らせるような真似は、僕には出来ない。


 てかあと20年ってアンタ何歳まで成長するつもりなんだよ。


 そして20年じゃ6㎝しか成長しないから浅香先輩には遠く及ばない。計算、間違ってますよ?


 僕は万智先輩に対して次々と湧いて出てくるツッコミを決して口には出さずに心の内に押し留め、浅香先輩にアイコンタクトを取る。


『浅香先輩、あなた親友でしょ? 夢見てる万智先輩に現実を分からせてあげてくださいよ!』


『なにを馬鹿な事を! 親友だからこそ言えないこともあるんだぞ!? むしろ後輩のお前が先輩の為に一肌脱げ!』


『無理無理無理無理。僕には万智先輩の太陽みたいに輝く笑顔を奪うようなことは出来ませんよ!』


『あぁ? なぁにが太陽みたいだ! このロリコン野郎!』


『ロ、ロリコン!? あんた同級生を……それも親友をロり扱いしたな!!』


『う、うるせえうるせえ! 大体な! 去年だって僅か5点差での優勝だったんだぞ? 勝てたのは奇跡みたいなもんだ! それが今年もだと? 勘弁してくれ!!』


 さっきは自分がいれば余裕で優勝みたいな口ぶりだったのに、実際の所、昨年はかなりギリギリでの勝利だったようだ。


 そしてアイコンタクトは終了したと言うのに、じぃーっと浅香先輩が僕から視線を逸らさないからなんかめっちゃ怖い。


 恐らくあの目は、『早く散夜に現実を教えて、全競技出場の愚行を止めろ!』とでも言っているのだろうが、僕は浅香先輩と万智先輩ではどちらかと言えば万智先輩の味方だ。絶対にそんな事は言わない。


「そ、それで運動会で風紀委員会はどんな仕事をするんですか?」


 だから強引に話題を変えることにした。


 たぶん、浅香先輩は当初こっちの話題をするつもりだったのだろう。その証拠に浅香先輩も渋々この話題に乗って来る。


「あぁ、そうだな。簡単に言うと見回りだ」


「見回り?」


 運動会で見回りって、一体どこを?


「運動会は競技に出ていない人は意外と暇なの。だからぁ、そういう人たちが教室とかで遊んでいないか見て回るのがわたし達の仕事」 


 なるほど。確かに暇を持て余すと、中には碌なことをしない人達がいるからね。


「あれ? でも先輩達は2人とも全競技に出場するんですよね? てことはこの仕事は……?」


「そうだ、菱井ひしい大道寺だいどうじの2人にやってもらう!」


 やっぱりそうなるのかぁ……。まぁ僕は全競技に出場だなんて無茶なことは絶対にしないし、見回りくらいは甘んじて受け入れよう。


「ちなみにどんな人がチェック対象なんですかね?」


 これはきちんと事前に聞いておかないとね。まさか教室でお喋りしただけでアウトだなんて事はあるまい。


「去年は、時計を作ってた人がいたらしいよぉ?」


「時計? 修理とかじゃなくて製作ですか?」


「なんでも生粋の時計オタクだったらしくてな。歯車の1つ1つが全てオーダーメイドの世界に1つだけの時計が作りたかったらしい」


 とんでもない生徒がいるんだなうちの学校! 時計とか滅茶苦茶繊細な作業が必要とされるだろうに、よく学校中が騒がしくなる運動会でやろうと思ったね。


「あとはぁ、生のイカを干してた人もいたみたい」


「何目的で!?」


「なんでも世界一旨い酒のおつまみが作りたかったそうだ。青森の八戸から直送してもらって、届いた新鮮なイカをその日の内に教室で干したかったらしい。


 なんで未成年なのに最高のおつまみを作ろうと思ったんだよ……。そしてその教室、最高にイカ臭そう。――……いや健全な意味でね? って、この場合も健全ではないな。


「他にも、葉巻を製造していた人もいたんだってぇ!」


「うちの生徒にはバカしかいないのか! 葉巻なんて作り方がパっと思い浮かばないぞ!」


「なんでもいつか生まれてくるであろう自分の息子に送りたかったそうだ。キューバから最高の葉を仕入れて、YUTUBEを見ながら見よう見真似で作っていたらしい」


 それ確実に今やる必要無いよね!? 少なくともあと20年は放置で良いよ! それと、最高の材料を用意しといて作るのはYUTUBE頼りってそれはそれでどうなの!?


「そうそう、キーボードクラッシュ選手権っていうのも密かに開催されてたみたい」


「気でも狂ってんのか、うちの学校は!?」


「なんでもキーボードクラッシャーの動画をたまたま見て開催を思い付いたそうだ。参加者は各々が持ち寄ったキーボードを自らの衝動の赴くままに好き放題破壊するらしい」


 選手権って事はそれに順位が付けられるんだよね? 怖いもの見たさでちょっと見てみたい気持ちはあるけど、とても正気の沙汰とは思えないよ!


「他にはぁ――――」


「万智先輩、万智先輩。もう大丈夫です。十分分かりましたから。そういうぶっ飛んだ連中は先輩方に聞くまでもなく、僕もアウトだって分かります。そうじゃなくて僕が聞きたいのはグレーゾーンというか、アウトとセーフの境界線というか、そういった部分なんです」


 これ以上この高校の奇人変人達の話を聞いていたら頭がおかしくなりそうだ。そうなる前に、逸れかかかった話題を軌道修正。


「なんだぁ! レンレンってば、そっちが聞きたかったのぉ? もう、早く言ってよね!!」


「そうだぞ菱井。てっきり私達はお前がそういうエピソードを欲しているのだとばかり……」


 あぁ良かった。先輩方的にも今のは大分普通じゃない例だったらしい。


「うーんとねぇ、アウトかセーフかの判断が難しかったのは……」


「難しかったのは?」


「ボードゲームかな?」


「ボード……ゲーム……?」


 運動会の最中にボードゲームで遊んでたってこと? 

 先程までもっとイカれた話を聞いていたから特に驚きは無いんだけど、一般的に考えたらこれも余裕でアウトなのでは?


「あぁ、いたなそんな連中も。菱井も知っての通り、学校でのボードゲームは不要物の持ち込みで即没収と教師による厳重注意が原則だ」


「……では、なぜ?」


「それがな、奴らは勉強に使う様々な道具を駒やカードに置き換えて遊んでいたんだ」


 置き換えて? うーんあまり想像できない。


「例えばね、将棋をやっていたグループは消しゴムが歩、HBのシャー芯が金、Bの鉛筆が桂馬、みたいに傍から見たらただ勉強道具が散らかっているようにしか見えない様に工夫して遊んでたんだよ!」


 あぁなるほど。確かにそうすれば道具を持ち込まずにボードゲームが出来る。


「初めの内はその企みも上手くいっててな。誰も気に留めてなかったんだが、ずうーっとその集団は無言で鉛筆や消しゴムの位置を少しずつ移動させていたからな。悪魔召喚の儀式でもやってんじゃないかってうちに多数の苦情が来たんだ」


 いや悪魔召喚って……。どんだけ不気味な状況だったんだよ。


「当時の風紀委員の先輩は現場に急行し、そして彼らに告げた。『貴様らを風紀委員の権限で、悪魔召喚の容疑によりバチカン送りに処す』ってな」


 なんか浅香先輩クラスの傍若無人ヒューマンな香りがする人だな……。


「てか風紀委員にそんな権限ありませんよね」


「当時はあったんだ」


「当時はあったの!?」


「レンレン……。なんて騙されやすい子」


 やっぱ嘘なのかよ! 


「将棋をやっていた連中はその言葉を聞くなり泣いて詫びたそうだ。『僕たちはただ将棋をやっていただけなんです。決して悪魔召喚なんてしてません』と」


「えぇ、そいつらバチカン送りを信じちゃったんですか?」


「レンレンはまだ入学して日が浅い。風紀委員会の歴史を知れば知るほど、どんな突拍子の無い事でも風紀委員会なら本当なんじゃないかと感じるようになってくる」


「バチカン送りを信じるレベルって、一体どんな酷い歴史がこの風紀委員会に隠されているんだ……」


「ちなみにその件は、やった本人達が自ら証言したことで生徒指導室送りに成功した。だが、連中が自白しなかった場合、それはきっと難しかっただろう。なにせ、傍から見れば連中は机の上で筆記用具を動かしていただけなんだからな」


 た、確かにこれは結果としてみればアウトかセーフか微妙な案件。だけど、なんか僕の聞きたかったこととはちょっと違うような……?


「よっし。これで菱井も立派に仕事をこなせるだろう。私も気兼ねなく運動会に集中できるってもんだ!」


「ふふふ、楽しみだねぇシズ。よぉし、私も今日から運動会に向けて町内をお散歩するよぉ!!」


 本当にこんなんで僕は見回りの役目を果たせるのだろうか。奇人変人エピソードを聞いていただけなような気がするんだけど……。




  

 その後、無事運動会は開催され、僕と大道寺さんは先輩方が語ってくれたエピソードと同等、いやそれ以上の出来事に遭遇し、とおーっても苦労したとだけここでは言っておこう。

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