第7話 悪霊
「お前、その頭は大丈夫なのか?」
「……あ、結構血が出てる」
俺は頭を触ってみると、ぬるりと生暖かい血の感触に気が付く。
「それで、お前は本当に八雲弥尋なんだろう?」
「…………だったらなんです?」
美島の睨みつけるかのような視線に、俺も同じようにする。
両者ともに穏やかな雰囲気ではなく、不穏な時間がただ流れる。
「今回の花火祭りの唯一の生存者である紙代瀬奈について身元の調査をしてた。それで、幽霊退治を生業にしていた一族という事が分かった。さらに、しばらくの間張り込みをしてお前の行動に違和感を覚えた」
「違和感?」
美島刑事は淡々とした様子で説明を続ける。
「被害者が出た高校の生徒に紙代瀬奈についての噂や印象を聞いた。それが、病室で見たお前の様子と180度違ってな。それで、さっきの質問でカマかけてたった今確信した」
「……凄い洞察力ですね」
美島刑事の解説に俺は思わず舌を巻く。その様子だと、言い逃れはできないだろう。
「貴方の言う通り、俺は紙代瀬奈じゃありません……八雲弥尋です」
「やはりそうか……それで、どうして八雲と紙代は入れ替わっている?」
「…………」
続けて行われる質疑応答に、言葉を詰まらせる。
(退魔師の事は……刑事さんに言っていいものなのかな? 正直、この場にカエデとかがいれば説明は楽なのに……)
いつまで経っても喋る様子のない俺に痺れを切らしたのか、美島刑事は大きくため息を吐く。
「言えないなら別に良い……ただ、これだけは教えろ。今回の殺人事件の犯人は三倉玄也なのか?」
「…………うん」
絞り出すように口から出た肯定の言葉。しかし、俺はそのまま流れに任せて言葉を紡ぐ。
「で、でも違うんだ! アイツは玄也だけど、犯人じゃない!」
「なに?」
言ってる意味がわからないのか、美島刑事は顔を
「じゃあ誰のせいだって言うんだよ。どう言う訳か上からの圧力で表向きの捜査は中止になった。今回の事件、お前は真相を知っているって言うのか?」
「その……悪い妖怪のせいで……」
小さく、か細い声で俺は犯人についてを語る。
「は?」
当然、美島刑事は信じられないものを聞いたような顔をする。
「と、とにかく玄也は悪くないんだ! 玄也の身体を乗っ取った本当に悪い奴がいて、俺はそいつを追ってるんだ!」
「……」
まくしたてるように叫ぶ俺の様子に、美島刑事は沈黙を続ける。
「仮にそれが本当だとしても、子供がこれ以上事件に関わるな。中身がどうあれ、三倉は既に人殺しだ。何のために警察がいると思っている。お前がどう抗議しようが、奴は俺が捕まえる」
美島刑事はそう告げると、俺が胸ぐらを掴んで気絶させた男の元に向かい、担ぎ上げる。
「普通なら暴行罪で逮捕するところだが、情報提供に免じて今回は見逃してやる。こいつは俺が署まで運んでおくから、お前もさっさとこの廃墟から家に帰れ。それとも、こんな中年のゴツイ男に補導されたいか?」
「…………」
何も言い返すことはできない。正直、美島刑事の言う通り俺はまだまだ子供だ。みしろ達みたいに強い退魔師でもなければ、事件を解決するような探偵や刑事でもない。少し前までは、本当にただの高校生だったのだ。
「それじゃあな。もうこの件には関わるな」
「ま、待って!」
美島刑事が男を担いで帰ろうとしたその瞬間だった。
「ん? なんだ、地震か?」
「え?」
ふと、今俺たちがいるこの場所が軽く揺れていることに気が付く。
(なんだろ……変な感じがする。嫌な予感……いや違う……本当に何か来てる!?)
地震に紛れて何かが近くにまで接近してきている。そんな感覚がする……いったいどこから?
(これ……あの時の中学校と同じ……下から来てる!?)
近づいてくる者の正体がなんなのか気が付く。だが、ソレはもうすぐそこまで近づいていた。
「刑事さん、今直ぐその場所から離れて!!」
「っ!?」
美島刑事も流石に普通の状況ではない事に気が付いたのか、男をより力強く担ぐと、急いで出口に向かって走る……だが。
(マズイ!)
ソレはとてつもない勢いで、壁や床を無視して一直線に向かってきている。このままだとこのボロボロの廃墟は崩れ落ち、美島刑事とあの男は間違いなく生き埋めだ。
「刑事さん、そいつを絶対離さないで!」
「なんだ、何が起こるっていうんだ!?」
次の瞬間、床を突き破り、黒い
その衝撃により、元からボロボロだったこの場所は一気に全体に亀裂が走り、俺と美島刑事は一気に床に重力に従って落下する。
(身体の中の妖力を……一気に脚にッ!!)
妖力は身体の一部に巡らせることで、その部位の筋力を爆発的に上昇させる効果がある。
俺は身体強化術で脚力を強化し、落下中の美島刑事と男に向けて、崩れ落ちる瓦礫を空中で飛び移りながら二人に向かって飛ぶ。
「うおっ!?」
俺はそのまま美島刑事の着ているスーツを掴み、落下中の別の瓦礫を軸に一気に壁に向けて跳ぶ。
「おい、このままじゃ壁にぶつかって……っ!!」
「問題ないっ!!」
右手に意識を集中させる。まだ完璧ではないし、粗も目立つ。だが、少しの間だけ顕現させる程度なら問題ない。
「
俺はそのまま概装……刀を片手に顕現させる。
(妖力を刀身に流して……衝撃波に変換ッ!)
次の瞬間、俺の持つ刀の刀身が蒼く光輝く。
「
次の瞬間、刀身に込められた蒼い妖力が周囲を照らすように放出され、その数々が壁に当たる直前、あらゆるものを切り裂く斬撃へと変形し、壁に無数の斬り傷を与える。
「ハアッ!!」
空中で壁に向けて跳び蹴りを放つように体勢を変え、斬撃によって脆くなった壁を蹴り破る。それにより、壁はバラバラになりながら吹き飛び俺たちは最小限の衝撃で廃墟から外へと脱出する。
(どこか着地できる場所……あった、あの公園!)
「うおっ!? 八雲お前っ!!」
空中を彷徨いながら着地できる場所として近場に会った公園を見つけ、俺は刑事のコートを掴んだ方の腕を勢いよく公園に向けて投げる。
何やら美島刑事が怒鳴り声を上げていたが、俺はそれを無視して一人だけ近くの電柱に着地した瞬間に全身に妖力を纏わせ、美島刑事たちが地面に落下するよりも早く足場を蹴り、地面に落下する前に二人を受け止める。
「ど、どんな身体能力をしてやがる……」
「はぁ……はぁ……すみません、結構乱暴して」
俺は息を切らしながらも、美島刑事と男を地面におろす。
「八雲……お前髪が……それに服装も……」
「え?」
美島刑事がカメラモードにしたスマホを渡してきたため、自分の容姿を確認する。
「これって、あの時見た瀬奈と同じ……」
俺の髪は黒から青色に変色し、瞳も青く輝いている。それに、服装もジーパンとパーカーのラフな格好から青と白の巫女服へといつの間にか変化している。
この姿には覚えがある。瀬奈と身体を乗っ取られた玄也が初めて戦った時、俺はその姿を一度見ている。
「いや、それよりも……なんなんだあのバケモノは?」
美島刑事が指を指した方向……俺たちがいた廃墟は音を立てながら崩れ、半壊状態となっている。だが、半壊した建物からまるでガスが漏れ出るように紫色の妖気があふれ出し、異形の形を形成を始める。
「刑事さん……あれ見えるの?」
「あぁ、ばっちりとな。なんだありゃあ、お前が言ってた真犯人とやらか?」
「いや、真犯人とは違う……あれは悪霊って言って、俺もまだ詳しい訳じゃないけど……って言うか、刑事さん悪霊が出るって分かっててこの廃墟の調査依頼書を書いたんじゃないの?」
「いや、噂を聞いたから適当に書いて入れただけだ」
「あのきったない字で?」
「悪かったな、汚くて」
建物の隙間から漏れ出た紫色の妖力はやがて虎のような形を……否、少しだけ違う。おおよその外見は虎だが、顔が猿のような形を成し、しまいには3メートルはありそうな長い尻尾……ではなく、蛇を形成する。その姿はそう……
「
鵺の悪霊は俺たちの方を見つけると、低い唸り声を上げる。
「おい、あれは妖怪じゃないのか?」
「妖怪の特徴とは一致しない……多分、悪霊だと思う」
そもそも妖怪と悪霊の違いは明確にある。悪霊とは人の想像や畏怖から生まれる思念や妖力からなる異形の存在。
妖怪とは意思疎通が可能であり、人間よりも遥かに優れた能力を持ち、種族として確立した存在の事である。
「悪いけど刑事さん、先に警察署に逃げるなりして今すぐこの場所から離れて」
「アレに挑むつもりなのか? 今直ぐ安全な場所まで逃げ、そのまま警察に応援部隊を呼んだ方が……」
「刑事さん、お願い……今直ぐここから離れて」
俺はもう一度概装を展開し、鵺の悪霊を睨みつける。安全な場所まで逃げる? 確かにその方が生き残る上では確実だろう。だが、逃げることなど絶対に無理だ。
「お前……」
「お願い。下手に止められると……殺しかねない」
どう見たって冷静な判断ではない。この感覚は……あぁ、瀬奈と一緒に九重吏狐と戦った時の、瀬奈の封印を解くために誓った時に感じたあの闘争心だ。心の底から湧き上がる悪意とは明確に違う純粋な殺意。生き物としての闘争本能。その全てが自分の意志では止められない。抑えきれないのだ。
(なるほど……これが
みしろは代償として、身体に変化が起きていた。そして、先ほど力を強く使った影響で俺にも代償は現れている。
闘争本能の過剰強化。同格、格上の敵相手に逃げることも諦める事も絶対に許されない。代償が悪化しようものなら逃げようとしただけで、自我が崩壊しかねない程の不快感を感じ、敗北した上で生きながらえれば発狂死しかねないほどの極限状態となる。この代償から解放される方法は二つ。敵に勝つか、死ぬか。その二つだけである。
「分かった。だが、無理そうなら撤退しろよ」
「…………分かった」
俺は絞り出すように言葉を吐く。その言葉を聞いた美島刑事は、男を担いでこの場所から去り始める。
「ふぅ……これで、1対1になったね……」
「グギア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」
一人になった俺を見て鵺の悪霊はまるで、己の存在を誇示するかのように咆哮を上げる。
「深夜だし、この辺りに人もいない……」
俺は刀を強く握りしめ、歪んだ笑みを浮かべながら構える。
その笑みは関係のない人を巻き込まないで済む安堵から。
その笑みは自身の実力を知ることができる楽しみから。
その笑みは敵と戦える悦びから。
「さぁ、どっちかが死ぬまで戦おうか!」
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