第2章 毒蛇の章

プロローグ 密談



「自分が眠ってるのって、なんか変な感じだよな……」


 夕日がそっと差し込む病室の中で、両手に持った花瓶に花を適当に活けながら、ベッドの上で横たわる少年の姿を見た少女が呟く。


「瀬奈、とりあえず俺の方はなんとか生きてるよ。多分、瀬奈のおかげだと思う」


 近場の椅子に座った少女は、少年に語り掛けるように呟く。鞄からいくつかの花を取り出し、花を綺麗に活ける。


「カエデの話だとここは退魔連合が運営に関わってる病院だから、ある程度の入院を認めてくれるみたい」


 少年の身体には無数の点滴が繋げられており、奇妙なことにその点滴の何本かには赤い文字の記されたお札が取り付けられている。その事からも、この病院が通常の病院とは違った場所だという事が分かる。


「‘紙代瀬奈‘としての地位が瀬戸際で生きてるから、‘八雲弥尋‘はここで瀬奈の関係者として入院できてる……ホント、何年経っても瀬奈に助けられてばっかだよ」


 花瓶持つ少女の肩が震え、悔しそうな声が漏れる。


「こっからは俺も頑張るからさ。瀬奈、もうちょっとだけ待ってて」


 少年から当然返事はない。死んだように眠り続ける少年の近くに活けた花瓶を置き、少女は椅子から立ち上がる。


「俺も、俺なりにがんばってみるから。紙代瀬奈として。八雲弥尋として」


 少女は少年の元から離れ、どこか決意に満ちた表情で扉を開けて病室から出る。


「もう、看病は良いのか?」


 扉を出たところで、右方向から声を掛けられる

 隣を見れば、背中に純黒の翼を持ち、空中を浮遊する天狗の面を側頭部に付けた少女が佇んでいた。


「ううん。まだまだこの場所から離れたくないし、瀬奈には早く目覚めてほしいと思うよ」

「なら、引き返すか?」


 その言葉に少女は首を横に振る。


「ねぇカエデ」


 少女は天狗の少女へと向き直り、願いを声に出す


「俺を、強くして。誰にも負けないくらい。瀬奈を守れるくらい。今を変えられるくらいに、強くして」

うけたまわった」


 少女の問いに、天狗の少女はニヤリと見た目に似合わない不相応なほどの妖艶な笑みを浮かべる。


願いに応えるべく、少女たちは動き始めるのだった……












 瀬奈のお見舞いを終わらせた俺とカエデは、紙代神社に戻っていた。


「まず最初に、弥尋。妖力とは何だと思う?」

「全く分からん」


 入れ替わってから頻繁に耳にした単語だが、それがどういったものか、どのように扱うのかは全く分からない。


「妖力とは、人の身に宿る感情や素質から現れる不可視の力。西洋では魔力ともいうし、妖術を起動させる上でとても重要な役割を果たすのじゃ。ゲームだとMPとも言うぞ」

「えっとつまり……人には見えない透明なガソリンって事?」

「まぁ、そんなところじゃ。個人で妖力を持つ量は全く違う。桁違いな量を持っていることもあれば、ワシらの仲間みたいに妖力がゼロという者もいるぞ」

「妖力がゼロ?」

「まぁ、妖力がゼロといっても一部の妖術は使えるし、その分近接格闘に極振りしてるから、下手な退魔師より強いぞ。そういった退魔師は時代を重ねた進化の過程で、妖力を生成する器官を失う代わりに素の身体能力が高くなっている」

「なるほど……」


 つまり、漫画みたいに妖力の大小で強さが分かる訳じゃないのか……なんだ、戦闘力たったの5か、とか言ってみたかったのに……


「……なんでちょっと残念そうなんじゃ?」

「お気になさらず」


 ちょっと残念そうな顔をする俺に、カエデが怪訝そうな顔をする


「それじゃあ次は妖術の説明じゃ」

「さっきの話を聞く限り……妖力をガソリンとすると、妖術はそのガソリンを使った乗り物ってことでしょ?」

「まぁ、大体はそんなところじゃ」


 するとカエデは、右手から緑色のオーラ……妖力を顕現させ、左手から緑色の風を顕現させる。おそらく、右手が妖力、左手が妖術とでも言いたいのだろう。


「風の妖術ってなんか……天狗ってイメージで、そのままだね……」

「そのことについてだが……弥尋、お主は前世を信じるか?」

「ぜ、前世? いきなり何?」

「うむ。妖力は人の身に宿る感情や素質から現れる不可視の力。妖術とは言わば、転生体てんしょうたいと呼ばれる自分の前世から引き出した術の総称なんじゃ」

転生体てんしょうたい……前世?」


 一気に話の難易度が上がった気がする、もうちょっと会話の知能指数を下げてほしい。


「退魔師とは、前世が妖怪や神だった者のこと。力の根源たる妖怪たちや神々の逸話や伝承といった概念をその身から力として引き出して戦う」

「えっと……つまり、前世が妖怪や神さまだった人達が退魔師で、退魔師はその力を使って悪い妖怪と戦う……ってこと?」

「おぉ、呑み込みが早いな。ワシら天狗は扇を使った風を起こす。それにちなんだ風のイメージから、妖術が使えるんじゃ。まぁ、人間と妖怪とでは、少しだけ仕組みが違うからあまりわしを基本にされても困るが」


 なんとなくわかった気がする。多分、瀬奈が空を飛んだり、バカデカい爆発を起こすのも妖術なのだろう。あれ、でもなんか能力に一貫性がないような……


「……ちなみに、瀬奈は何の転生者てんしょうしゃなの?」


 瀬奈がやったことと言えば、凄まじい速度での移動、空中浮遊、超大爆発……なんだか一貫性がない。妖術と言うよりは、超能力と言った方がしっくりくるような……


「瀬奈は……スサノオノミコトの転生者てんしょうしゃじゃ」

「スサノオノミコト……スサノオ!?」


 思いっきり神さまじゃん!? え、次に会ったら俺、瀬奈様って崇めた方がいいかな……


「スサノオと言えば……なんか、戦う神さまってイメージがあるけど……」

「というか、世界的に見ても神族の転生者てんしょうしゃは珍しい。なにしろ日本に4人、世界に12人しかいないからな」

「少なっ!? てか、日本は神の転生者は多いの?」

「‘八百万の神々‘なんて概念があるくらいだからの」


 なるほど。多宗派の日本だからこそ、そういった転生者てんしょうしゃが多いのだろう。


「一人で戦況を覆し得る力を発揮する場合があるからな。だが、その分もあるし、基本何でもできる万能力があるが、器用貧乏になりがちで苦労するぞ。まぁ、リスク等に関しては追々説明するとするかの」

「わ、分かった……」


 やっべ、瀬奈って想像以上に大物じゃん……というか、そんなに強いのに瀬奈は玄也や吏狐に負けたのか……


「なんじゃ、怖気づいたのか?」

「うん……ちょっとだけ」

「じゃあ、逃げるか?」

「まさか」


 俺は恐怖を誤魔化すように笑みを浮かべる


「始めよう。強くなるための修行を」














「ホラ! 逃げろ逃げろ逃げろ! このままだと全身ハチの巣になるぞ!」

「無理無理無理! 死ぬ死ぬ死ぬ!」


 俺は絶叫にも近い悲鳴を上げながら全力で逃げ続ける。

 上空を横目で見れば、緑色の妖力を纏わせたが降り注いでいる

 俺の片手には鉄パイプが握られており、俺はそれをお守りのように握り締めながら逃げ続ける。


「ちょっ、ホントに死ぬってば! 殺す気なの!?」

「安心しろ、峰打ちで済ませる!」

「地面抉れてるけど!? 岩バキッって壊れてるけど!? 鉄パイプでどうやってこれを対応しろっていうんだよ!? ソレ言ってみたいだけだよね!?」


 カエデは右手で矢を数本掴むと、右手に纏わせた緑色のオーラが矢に流れるように纏わり付き、木色の弓に掛けて上空に向けて放つ。

 カエデによって放たれた矢が地面に突き刺さった瞬間だった。地面が音を立てて爆ぜ、その中心には矢が深々と突き刺さっている。


「お主は妖力の視認はすでにできてる。だから最初に戦いにおいて最も重要な生存術を身に付けるんじゃ!」

「生存術以前に俺死にそうなんだけど!? 一回でも当たったら死ぬやつだよね!?」


 泣きながら必死に逃げて逃げて逃げ続ける。先ほどまで通った道は矢が突き刺さり、地面が深々と抉れている。


「戦いにおいて重要なのはまず生き残ること! すなわち回避と回復術! だからもっとも簡単にできる回避術を身に付けろ!」


 そう……カエデの発案した修行方法は、カエデの放つ矢を避けて避けて避け続けるである。正直、今も避けられているのが奇跡としか思えない


「死んじゃう! この鉄パイプ一本でそれどうやって防げばいいんだよ!」

「野球みたいにかっ飛ばせばいいじゃろ」

「無茶言うな! ……クッソぉ、どうにでもなれ!」


 ちょうど頭上に矢が一本降って来る。このままでは直撃は免れない。俺は必死の思いで鉄パイプを振り、なんとか矢にぶつける。


 バキッ!!


「折れた!?」


 おまけに鉄パイプを握っていた手が衝撃でジンジンと痛む。

 そして頭上を見れば、また新しい矢が降り注いでいる。一つ一つに緑の妖気がこもっており、矢の弾幕の雨となる。それはとても避け切れる量ではなく……


「いやあああああああああああああ!!!!!」


 紙代神社の境内には、俺の断末魔が響くのだった。











 街の警察署内の署長室。ここには、以前弥尋と瀬奈の元を訪れた若手の刑事、桧山ひやま幸太郎こうたろうが訪れていた。


「捜査中止……ですか」

「あぁ、そうだ。この事件は我々の管轄から外れることになった。捜査の続きは違う部署から人員が派遣されることになった。君たちはこれ以上、この事件に関わらないでくれ」


 自分たちの上司……警察署長から言い渡された事に、幸太郎は唖然としてしまう。以前弥尋達と面会した時となんら変わらない灰色のスーツを着ているが、シワが広範囲に広がっているだけではなく、目元に黒いクマが薄っすらと出来ており、髪もボサボサで、疲労が溜まっていることは誰の目から見ても明らかである


「その……理由をお伺いしても?」

「知らん。本庁からの命令だ」


 あんまりである。自分がまだ熟練とはいいがたい比較的若手の刑事だからだろうか? といった考えが浮かぶが、署長の様子からして唯のイジワルでも理不尽でもない事はなんとなく予想できる。


「とにかく、この事は美島みじまくんにも言っておいてくれ。彼、絶対不用意に首を突っ込むだろう?」

「ですよねー……」


 幸太郎の上司である刑事、美島みじま壮介そうすけ。彼はどんな些細な相手の変化も見逃さない高い洞察力や読唇術、持ち前の勘の鋭さで高い捜査能力を持つ優秀な刑事ではある。が、勘の鋭さ故か、その過程で様々な問題に首を突っ込み、警察署では良くも悪くも話題の尽きない男である。


「ちなみに、僕の方で美島さんを抑えられなかったら?」

「減給だ」


 幸太郎は目の前に署長がいるのにも関わらずとてつもない速度でポケットから携帯を取り出し、上司へと掛ける。そして意外なことに、数コールで電話が相手に繋がる。


「もしもし美島さん? 今どこですか? 今直ぐ警察署に帰ってきてくださいお願いします」

『紙代神社に車で向かってる。お土産は持ってってやるからお前は署長黙らせとけ』


 ブツッ


「…………」

「…………」


 沈黙が、署長室に流れる。


「あ、あの……給料……」

「あー、うん……流石に減給は可哀そうだし、無しでいいよ……」

「ありがとうございます! 今直ぐ美島さんの捜索に向かいます!」


 署長の優しさに思わず渾身の敬礼をし、署長室の外に出る


「はぁ……最近良く分からない殺人事件やテロ騒ぎに加えて美島さんの監視役……あ、でも殺人事件は管轄が外れるのか……」


 無駄に高めたテンションを一気に落ち着かせ、息を大きく吐きながら壁に寄りかかる。


「さーてと、美島さんが余計な勘を働かせる前に僕も仕事しないと」


 どこか冷えたような声で幸太郎は壁から離れ、コツコツと無人の廊下を歩くのだった。




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