第4話 入れ替わり

「……ろ。せ……きろ……な!」

(うるさい……こっちは寝てるのに……)


 まだ十分に覚醒していない意識の中、俺は自身を襲う睡魔に身を委ねてそのまま爆睡しようとしていた。が、誰かを呼ぶ声に無意識に顔をしかめる。


「起きろ! おい瀬奈! 絶対起きてるじゃろ!」

(おい瀬奈……呼んでるぞ……)


 まだ幼さの残っているかのようなアルトボイスの少女の声が、幼馴染みである瀬奈を呼ぶ声だと気が付き、心の中で瀬奈を呼んで俺は再び眠ろうとするが、どういう訳か少女の声は俺の近くで、ずっと俺に対して呼びかけているかのように感じるし、ついには俺の身体を掴んで勢い良く揺らし始めた。


「起きろ瀬奈! お主ならその程度の怪我なぞ秒で治せるじゃろが! さっさと空飛ぶなり瞬間移動するなりして起きろ瀬奈!」

「いやどんなバケモンだよそ……れ……」


 少女の喋っていた内容に脊髄反射でツッコミを入れようと勢いよく胴体を起こす。が、その声の主の姿を確認した瞬間、俺の声は勢いを失い、目の前の声の主を凝視してしまう。


「おぉ! 起きた! ほら、さっさと起きてお主の最愛の幼馴染みの様子を確認しに行くぞ!」

「………………」

「なんじゃその目は……まだ寝ぼけてるのか?」


 目の前には、鮮やかで艶のあるキレイな黒い髪をショートカットにし、奇妙な天狗の面を被った小学1年生くらいの小さな体躯の少女がで立っていた。

 その少女の周辺に椅子などの踏み台になるものは何処にもない。にも関わらず何故少女が同じ高さの目線にいるのか。その答えの一つが少女の背中から生えたである。その翼の力なのか何なのか分からないが、その天狗の面の少女は空中でふよふよと


「………………?」

「んん? なんじゃ瀬奈、お主頭でも打ったか?」


 天狗の面の少女はいつまで経っても喋らない俺を見て心配そうな顔を向けてくる。

 辺りを見渡すが瀬奈の姿は何処にもない。


「……瀬奈、様子がおかしいぞ。何があったんじゃ?」


 俺の周囲はすべてがカーテンで遮られている。だから俺とこの少女以外の人物は確認できない。何故だろう、意識を失う前に見ていた光景も十分信じられないものだったが、それを遥かに超える異常事態が俺の身に起こっている気がする。


「…………?」

「(コクコク)」


 天狗の面の少女に視線を向けて、人差し指で自分を指し、「俺ですか?」と無言で尋ねると、天狗の面の少女はその意図を汲み取ってコクコクと首を縦に振る。

 オーケーオーケー、落ち着いて情報を整理しよう俺……名前、八雲弥尋。年齢17歳。彼女、ナシ。現在、健全という名の道をド真中で生きる平凡な高校生。え、悪霊とかいう意味分からないモンに日常的に取り憑かれる奴が平凡な訳がないだろって? そりゃごもっともだ……って、誰に向かってツッコミ入れてんだ俺……


「のぉ、さっきから黙ってどうしたんじゃ?」


 天狗の面の少女はいよいよ可哀そうな人を見るような目で俺を見てくるが、そんなこと気にせず次の確認事項に移る。


「…………っ!?」


 視線をゆっくりと下に向けると、そこには見慣れぬ光景……言い換えるならド健全な男子には本来存在しないはずのがあった。


(まさか!?)


 頭を勢いよく触る。


「髪が長い!?」


 どういう訳か短髪だった俺の髪は背中の辺りまで伸びている。

 そして胸をガシッと触る。


「めっちゃ柔らかい!?」


 どういう訳か手の形に合わせてふにゃりと形を変え、極上の感触が両手に広がり、すさまじい罪悪感を感じる。

 そして最後に股を辺りを慌てて服越し触る。


「俺のアレも無い!?」


 ここについては……言及するのは止めておこう。人としてそれ以上は最低だ。

 そして今更ながら気が付くことが新たに一つ。


「声も高い!?」


 普段の自分の身体は考えられないほどの、どこか聞き覚えのある少女の声が自身の喉から発せられる。

 明らかに自分の身体に異常が起きている。慌てて周囲を遮るカーテンを除けると、そこにはやはりというべきか、病室が広がっていた。幸い室内には誰もいない。


「鏡! 鏡は!?」

「鏡ならそこにあるぞ」

「ありがとう!」


 天狗の面の少女が指をさした先には一枚の鏡がり、俺は裸足にもかかわらず布団から飛び降り、その鏡に向かって走り、鏡の前にたどり着くと、鏡を見る前に最終確認を行う。


(よし……最終確認だ……八雲弥尋17歳……性別は……男だっ!!)


 意を決して顔を上げ、目の前の鏡を見る。

 そこに映っていたのは見覚えのある長い髪、ぱっちりとした綺麗な黒い瞳、高校生の平均身長より少しだけ低い身長、人形のような非常に整った顔立ち……それすなわち、鏡に映っているのは


「……なんで……なんで俺が瀬奈になってるんだよっ!?」


 そう、鏡に映っていたのは八雲弥尋でもなければ顔の知らない少女でもない…………俺の幼馴染みである













「それじゃあ紙代ちゃん、後で先生が来ると思うけれど、何か聞きたいことはある?」

「い、いえ……とりあえずは……」

「う~ん……病院食というのはどうも味が薄いのぉ……」


 どういう訳か弥尋が瀬奈になってから30分が経過した。冗談抜きで混乱していたため、その様子を後から部屋に入って来た看護師に見られたときは焦ったが、弥尋は何とか誤魔化して布団に戻ったのだ。

 近場には看護委が話し相手となっており、弥尋のいる布団の近くには病院食が置かれている。


「あ、あの……俺の身体……じゃなくて、私の近くに男の子が倒れてませんでしたか?」

「えっと…………その子の名前は?」

「八雲弥尋です」

「この漬物、味が薄いぞ……」


 看護師の女性は一瞬何かを躊躇うような表情を見せ、迷ったようだったが弥尋の名前を聞くとパアッと顔を明るくした。


「えぇ、倒れてたけれど、八雲くんはちゃんと生きてるわよ。まぁ、両足の骨を折っちゃったみたいだからしばらくは入院だけど」

「そうですか……」

「あ、でもこの味噌汁は意外と美味しい……」


 弥尋の身体が現在どうなっているのかは分からない。が、とりあえず無事ではあるらしい。


「いやぁ、彼氏が無事でよかったね」

「いえ、違います」


 とりあえず即答する弥尋。


「あ、そうなの……?」


 何かを察したのか、それとも何かとんでもない勘違いをしたのか、勝手に納得の表情を浮かべて看護師はそれ以上の追及を止めた。


「あ、それじゃあ私はちょっと先生に連絡してくるから、ちょっと待っててね。あ、紙代ちゃんの私物はその机の上に一通り置いてあるわよ」

「分かりました」


 そういって看護師は病室から立ち去って行った。


「むぅ……この魚料理、もっと味付けを濃くしても良いんじゃないかの?」

「お前はさっきから何食ってんだよ!」


 看護師が病室から立ち去って行ったタイミングで、ようやくツッコミを入れる弥尋。看護師と弥尋が話していた最中、天狗の面の少女はずっと、本来弥尋のために作られたであろう病院食を食べていたのである。


「病院食」

「いや、そういう事を言いたい訳じゃ……てかあの看護師さん、なんでこの子供について何もコメントしてくれなかったんだ?」

「そりゃまぁ、一般人には見えてないからな」

「あー、やっぱりそーゆーヤツですか……」


 少女の発言に弥尋は大きなため息を吐いてようやくその質問を口にする。


「君は…………誰なの?」

「やっぱりと言うか、お主は瀬奈では無いのか」


 味噌汁を啜りながら少女は嘆息する。


「うん……俺は、君の知ってる紙代瀬奈じゃない」

「だろうな……というかお主、瀬奈の思い人の八雲弥尋じゃろ?」

「そうだけど……瀬奈の思い人ってところは否定しとくよ」


 なぜこんな子供にまでそんなことを言われないといけないのか。そんなことを思った弥尋だが、子供に強く言っても無駄だろうと考え、それ以上は何も言わないことにした。


「さて、質問の答えじゃが……わしの名前はカエデ。見てのとおり天狗じゃ」


 天狗。大昔から土砂崩れや突風を起こしたり石を降らせたり人を迷わせていたずらするが、迷子を送り届ける、不思議な力を与えるなど山の神としての側面も持つ妖怪である。


「天狗……」

「まぁ、わしのことについては、あやつに任せるとしよう」

「あやつ?」


 いったい誰の事か聞こうとした瞬間だった。


「あーっ! やっぱりここにいた!」


 ガラガラと扉が開くと同時に男の声が弥尋の病室に響く。


「え……俺?」

「あ、私だ」


 扉が開き、弥尋が声のした方向を見るとそこには、病院の入院服を着た姿をした誰かが車椅子に座っていた。


「ってそれよりカエデ! 何でよりにもよって弥尋の所に来ちゃったのさ!」

「だって、お主が朝になっても帰ってこないし、夜には凄まじい妖力を感じて屋台のモノをつまみ食いしてうたた寝をしているところを強制的に起こされるしで、何が起きているのかさっぱりだったのじゃ!」

「オイ待てその感じ、もしかしてお前瀬奈か!?」

「んなもん友達の顔したトンデモ妖怪に襲われたせいで私と弥尋の2人がこんな状態になってるんでしょうが! 中身入れ替わってんのこっちは!」

「そんなの初見で分かる訳ないじゃろがい!」

「妖怪!? 祭りの時に見た玄也って妖怪なのか!?」

「というか弥尋にアンタの正体バラしてないよね!?」

「安心せい、ほとんど喋ったわ!」

「何喋ってんのこの馬鹿!」

「玄也の顔したあのバケモンはいったい何なんだよ瀬奈!」


 お互いが言いたいこと、聞きたいことを連続して、聖徳太子も呆れ果てるような速度でマシンガントークをしていたその時だった。


「いい加減に静かにしなさいっ!!! 病院なのよここはっ!!!」

「「「はいっ!」」」


 扉の奥から、看護婦の怒鳴り声が響いたことで弥尋、瀬奈、声は聞こえないであろうカエデも条件反射で返事をして黙るのであった。




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