2. アレク、常連客になる
路地裏の酔っ払いだったアレク――アレクセイは一宿一飯の恩義を返すべく、フローラの舞台を観に行くようになった。出番がないときは劇場に併設されているカフェで働いているという話だったので、執務の時間を縫って休憩がてらお茶をしに行った。
女性に興味がなかった竜王がとうとう番いを見つけたらしい。そんな噂が出るのは時間の問題だった。
「アレクセイ陛下。ヴァルジェ王国の瘴気発生の範囲は日に日に増えているようです。このままだと、我が国への被害も秒読みでしょう」
側近のグリーゼルが苦言を呈し、アレクセイも渋面になる。
「ヴァルジェの王太子も下手を打ったな。大聖女をみすみす手放すとは」
「まったくその通りです。瘴気をすぐに晴らすことができる貴重な人間でしょうに。それが婚約破棄に続き、国外追放だなんて……自ら滅びたいといっているようなものです」
「それで、大聖女の行方はまだわからないのか?」
秘密裏に探させている女の行方を尋ねると、グリーゼルは首を横に振った。
(うちで保護したかったのだが、そうはうまくいかないか……)
将来の伴侶となるはずだった男性から手ひどく振られたのだ。きっと傷心して人間不信になっているに違いない。
「大聖女の特徴は?」
「髪は金髪に近い茶色、瞳は青みがかった灰色。愛らしいというより凜々しい顔つきだそうです。背も少し高めですし、一般的な男性受けがよくないのも婚約破棄の原因かもしれませんね。人間は見た目で判断しがちですから」
「――髪の長さは?」
「腰まで伸ばしていたようですね。ゆるやかなウェーブがかった綺麗な髪だそうです」
ならば、違うだろう。
だいたい名前からして別人だ。髪や瞳の色は同じでも、深窓の令嬢だったと聞く。大聖女とも言われた少女が、歌劇団で男装して元気に動き回っているわけがない。
(しかし、ヴァルジェ王国の手の者も自分たちの過ちにすでに気づいたはず。彼らより早く保護してやらねば、大聖女はただの道具にされる)
一体、どこに隠れているのか。竜王国の間者でも見つけられないとは、よほど警戒していると見える。アレクセイは執務室から窓の外を眺める。
西の空は大きな雨雲を連れてきており、まもなく水滴が窓を濡らし始めた。
◇◆◇
毎週末になると、アレクセイは臣下の目を盗み、竜王の仕事を部下に押しつけて城下町へ出かけていく。竜王だと一目でわからないように魔法の粉で髪色を染め、行きつけとなっている歌劇団へと向かう。
劇団長のミリアムはアレクセイの正体に気づいているようだが、見て見ぬふりをしてくれている。大聖女の行方ももちろん気になるが、それ以上に興味を引かれているのはフローラだった。
動けなくなった自分を介抱してくれた恩も忘れていないが、彼女に近づく虫がいないか、にらみを利かす。端役ばかりだった彼女は今月から主役の弟役に抜擢され、スポットライトの下に出てくる回数が増えた。
それにしたがい、男性客も徐々に彼女の魅力に気づき始めていた。先日、自分以外からも花を贈られていたらしい。それをミリアムから教えられ、歯がゆい気持ちに駆られた。
(僕が彼女の恋人になれば、堂々と牽制してやれるのに――)
竜王国において、竜族と人間の恋は珍しくない。だが、見た目は同じに見えても寿命が違うため、大抵の女性は結婚には慎重だ。恋人にはいいが、人生の伴侶には同じ人間がいいという話もよく聞く。
足繁く通いフローラと会話を重ねるにつれて、彼女は遊びで男と付き合う性格でないことは調査済みだ。やるならば、結婚前提にした健全なお付き合いからだろう。
しかし、日頃から男装が板についている彼女を見ている限り、恋愛事には一定の距離を置いているように見える。昔、悪い男にでもひっかかってしまったのだろうか。
男装が彼女を守る鎧だとしたら、自分に勝ち目はないかもしれない。
それに、アレクセイは自分が竜王だということは伏せている。今まで通りのフランクなお付き合いがしたいのと、正体を明かせば逃げられる可能性が高いことが主な理由だった。
「……また来てくれたの?」
涼やかな声に意識を戻し、壁際にもたれていた体を引き起こす。ワインレッドの薔薇を中心に黄色とオレンジのコスモス、シルバーリーフで作った花束を差し出す。
「お疲れさま。今夜もいい舞台だった。これから食事に誘ってもいいかな?」
「ふふ。いつもありがとう」
花束を大事そうに抱きかかえ、フローラがふわりと笑う。
瞬間、胸の鼓動がひときわ大きく跳ねた。自分の気持ちはとっくに自覚済みだ。
男物の服を着ていても、彼女の魅力は損なわれない。だが、もし自分のためにドレスで着飾ってくれたと想像するだけで、胸が高鳴る。
贔屓にしている個室のレストランにフローラを連れ、ディナーを楽しむ。赤ワインが注がれたワイングラスを傾け、柔らかく煮込んだ牛肉と野菜のソテーを口に頬張る。
彼女の話題は主に舞台の話。それから仲間から聞いた世間話。アレクセイのことについての質問はほとんどない。触れられたくないのが伝わっているのかもしれない。
「ねえ。竜王国に瘴気が発生したら、どうなるのかしら」
「ん?」
「普通は、神官たちが浄化の儀式をすれば収まるのよね。でも隣国の瘴気はすごい勢いで増えているって聞いたわ」
「もしかして、怖いの?」
顔色を曇らせたフローラは何かに怯えるように、ナイフで切ったお肉を見下ろしている。
アレクセイは彼女を元気づけたくて、とっさに口にする。
「きっと大丈夫だよ。大聖女が見つかれば。彼女なら、この瘴気を簡単に打ち払ってくれるだろうから」
「…………」
「僕が――見つけてみせるから。だから心配しないで」
何の根拠もない言葉だったが、フローラは力なく笑った。
「そうね。大聖女ならきっと、不可能を可能にしてくれるわよね」
「ああ、もちろん」
その笑顔の裏側で彼女が何を考えていたかなんて、アレクセイには想像もつかなかった。
◇◆◇
ディナーの後、いつも通りに彼女を家まで送っている途中、ふとフローラが足を止めた。
「どうした?」
「……何か匂いがするわ」
「匂い?」
言われて左右を見渡すが、特に異変は感じられない。けれども、フローラはそうではなかったようで、まっすぐに小さい公園に向かった。
アレクセイもあわててその後を追う。
「……彼だわ」
遊具の下には十代後半と思しき少年がぐったりと座り込んでいた。さびた匂いは血の匂いだろう。公園の灯りで腹部から血がみるみるうちに服を染めているのが見えた。急所はそれているようだが、このままでは助からないかもしれない。
少年の意識は朦朧としているらしく、浅い呼吸をしていた。
フローラは血がつくのも顧みず、少年の患部に両手を当てて、目をつぶった。
しばらくして淡い光が周囲に浮かび上がり、白い光が傷口を塞いでいく。あふれ出ていた血は止まり、息も絶え絶えだった少年の呼吸も落ち着いていた。
「フローラ。君はいったい……」
神殿に仕える神官であれば、祝詞が必要だ。神の祝福は無詠唱では授けられない。神官も誰でもいいというわけではなく、聖魔法が使える者でなければ治癒術は発動しない。
けれど今、フローラは無詠唱で傷口を癒やした。そんなことができるのは大聖女ぐらいなものだが――。
(まさか……フローラが大聖女だというのか?)
だが、それならば納得できる。大聖女は祈るだけで神の祝福を与えられる稀有な存在。圧倒的な聖なる力を持ち、その存在だけで瘴気の発生をも抑え込むという。
驚き固まるアレクセイに気づいたらしく、フローラが人差し指を自分の唇に押し当てた。
「このことは内緒よ?」
「だが……」
「お願い。今の生活が気に入っているの。だから、誰にも言わないで」
青みがかった灰色の瞳に見つめられ、アレクセイは小さく頷き返した。
怪我をした少年は警備兵に保護してもらい、後日人買いから逃げるために命からがら抜け出してきたことがわかった。次回の取り引き場所を聞き出した捜査当局は人身売買の現場を取り押さえることに成功し、身寄りがないという少年はグリーゼルに預けた。物覚えがいいらしいので、きっと彼の未来の助手として育て上げるに違いない。
そして、行方知れずだった大聖女――フローラには本人にはバレない程度に数人の護衛を配置した。
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