3. フローラ、パフェを食べ損ねる

 アレクが持ってきてくれた季節の花を生けた花瓶の水を入れ替え、丸テーブルの上に置く。その横に置かれた書類の束が目に入り、フローラは表紙のタイトルを読み上げる。


「竜王様の秘めた恋……ですか」


 脚本も担当しているミリアムが新聞から目を上げ、にやりと口の端をあげた。


「気になる?」

「いえ……でも、定期的にやっている演目ですよね」

「なんて言ったって、竜王様のお膝元だからね。観客からも好評なのよ。とは言っても、話の流れは毎回違うけどね」


 フローラはぱらぱらと脚本を斜め読みし、表紙に戻る。

 少し黄ばんだ用紙は否応なく年月を感じさせた。


「結構古そうですけど、いつの脚本なんですか?」

「ふふん、それは記念すべき一作目よ。二十年ぐらい前のものかしら」

「ということは、次の脚本は今から作るってことですか?」

「ご名答」


 冷めたコーヒーを飲み干し、ミリアムが頷く。


「確か、今の竜王様って即位して五年でしたっけ……?」

「そうそう。圧政を敷いていた伯父を追い出し、無血開城させた英雄王! 内政のお仕事にかかりきりで、まだお妃様の話は出ていないけど、民が待ち望んでいるのはラブロマンス。その期待に応えるのが私たちの仕事よ!」

「はあ……」


 当然ながら竜王の姿なんて見たこともないので、雲の上の存在だ。

 本来の姿は、この国でも珍しい黒竜らしいが、庶民のフローラではまず見る機会もないだろう。そもそも接点がない。


「城下町でのお忍び中にヒロインと出会うシーンの演出はどうしようかしら? 花売りの少女との出会いもいいわよね」

「ああ、出会い頭にぶつかって、花かごから花が散らばる展開ですね……」


 見せ場となる重要なシーンだ。

 あわてて花を拾う竜王にヒロインがときめく表情を考えるだけで、役者魂に火がつく。


「お城では竜王様の影武者がせっせと執務をしていて、主の戻りを今か今かと待っているのよ」

「え、影武者がいるんですか?」

「いたらいいなっていう妄想よ」

「…………」

「会うたびに、赤みかがった紫の瞳に見つめられ、愛を囁かれるの。だけど、そんな惹かれ合う二人に魔の手が――」


 ミリアムの妄想は膨らむ一方で、フローラは話半分で聞き流した。


(竜王様か……どんなお人なんだろ……?)


 黒竜というぐらいだから、髪色は烏の濡れ羽色だろうか。


(赤みかがった紫の瞳といえば、アレクも同じよね。だけど、髪の色が違うし、そもそも竜王様が下町で酔い潰れているわけないし……。うん、あり得ないわね)


 フローラは余計な考えを頭から排除し、コーヒー好きのミリアムのためにおかわりを入れに行った。


 ◇◆◇


 商業会議所の定期報告会に付き添いに行った帰り道、ミリアムに連れられて近くのカフェに入る。店内は満席だったので、外のテラス席へと案内された。

 ミリアムの奢りということもあり、フローラは苺のパフェを注文した。

 注文したものが来るまでの待ち時間、ミリアムは外の旅行者を見てしみじみとつぶやく。


「ヴァルジェ王国からの避難者が増えてきたわねえ……」

「そう、ですね……」


 旅行鞄を持って避難してきた家族連れを見ながら、フローラはなんとも言えない気持ちになる。もし自分が国外に出ていなければ、今より状況はマシだったかもしれない。聖女の周囲は瘴気が発生しにくいから。


「瘴気は減るどころか増える一方ですって。ファルタカ竜王国でも山間部では瘴気が発生しているらしいし。このままだと、ここも危ないかもしれないわね」

「……もし瘴気が城下町にも出てきたら、どうなるんでしょうか?」

「瘴気の濃度にもよるけど、地方に避難する必要も出てくるでしょうね」


 じわじわと広がる瘴気の包囲網に焦りが募る。

 自分は歌うだけで瘴気を消すことができる。祈るだけで傷を癒やすこともできる。

 竜王国にも瘴気が出始めている以上、いつまでも隠れてはいられないだろう。けれど、今さら、どうやって名乗り出ろというのか――。


「……フローラ? 怖い顔をしてどうしたの?」


 ミリアムが労るように声をかける。フローラはすぐに表情を取り繕って笑みを浮かべた。


「なんでもありません。大丈夫――」


 です、と続けようとした言葉が途切れる。


(どうして、ここに……この人が……)


 ここにいるはずのない人物と目が合い、戸惑いが先に立つ。


「探したよ。フェリシア。君の力が必要なんだ」

「ルミール王太子……」


 白金の髪は肩口までまっすぐと伸び、緑の瞳がジッと自分を見つめる。ルミール・ロア・ヴァルジェ。だが、いつものきらびやかな衣装とは違い、質素な旅装束だ。護衛だろう、目つきが鋭い男が一人、後ろで控えている。

 硬直して動けないフローラを見て何かを感じたのか、ミリアムが話に割り込む。


「人違いではありませんか? 彼女はフローラです」

「……なんだと? 髪は確かに短くなってはいるが、その顔はフェリシアだろう。俺が元婚約者を見間違えるはずがない」

「いいえ。彼女はフローラで、うちの歌劇団の団員です。フェリシアという少女はここにはいません」


 ミリアムがキッパリ言うと、ルミール王太子は虚を突かれたような顔になった。


「劇団員……?」

「シャイン・ドロッセル歌劇団です。今夜も舞台がありますので、ご興味がありましたらぜひ一度ご観覧くださいませ」


 ミリアムの言葉が正しいのか判断がつかぬ様子で、ルミール王太子がフローラとミリアムを交互に見やる。その視線が居たたまれなくて、フローラは椅子から立ち上がる。


「し、失礼します……!」


 荷物を抱えて、大急ぎでカフェを後にする。

 ルミール王太子とミリアムの声が遠くで聞こえたが、一度走り出した足はすぐには止められない。誰もいない劇団の控え室の椅子に座り、どっと息を吐く。

 急いで帰ってきたから、呼吸が乱れている。胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。


(び、びっくりした……。やっぱり、連れ戻しに来たのよね……?)


 王太子が自ら来るなんて、よほど状況が切迫しているのかもしれない。けれど、自分は国に戻るつもりはない。その気持ちは変わっていないが、本当にこのままでいいのかと自分に問いかける。


(私はもうフェリシアじゃない。殿下の婚約者でもない……)


 だが、いくら考えても、答えは出なかった。


 ◇◆◇


 余計な考えを頭から追い出して臨んだ舞台が終わり、帰宅の準備をする。

 関係者専用の裏口を出ると、建物の影から一人の男が姿を現した。外灯の灯りの下、待ち構えていたのはルミール王太子だった。

 彼はずんずんとこちらに歩いてくると、動けないフローラの腕をつかんだ。


「二人で話をしよう。君が偽名を名乗りたいのなら、それでも構わない。知っていると思うが、我が国は今――」


 けれど、その言葉は途中で途切れる。

 バサリと翼を広げる音が耳に飛び込んできて、二人して夜空を見上げる。墨をこぼしたような暗闇に紛れて、何かがこちらに飛んでくる。

 かと思えば、ドスンと大きな音を立てて着地した。石畳の地面がわずかに揺れた。

 目が合うと、威嚇するように鋭い牙がのぞく。闇色に染まったような、漆黒の鱗を持った竜だった。


「な、なんだ!?」

「去れ、人間。そこの娘は竜王国の人間。許可なく連れ去ることは許さない」


 人語を操るのは成竜の証しだ。

 竜は不機嫌な様子を隠しもせず、口の中に火玉を作る。ルミール王太子は形勢不利を悟ったのか、小さく舌打ちをした後、脱兎の如く逃げ出した。

 フローラは緊張の糸が切れたように、その場に力なく座り込んだ。

 そのフローラの前に男の手が差し伸べられる。視線を上げると、真面目な顔をしたアレクがいた。なぜか、髪色が黒になっていたが。


「あなた……アレク……?」


 手が合わさると、ぐいっと引き起こされる。


「本当の名はアレクセイという。今まで言い出せずにいて悪いと思っている」

「そんな……じゃあ、あなたはやっぱり、竜王様……?」


 この国で、黒竜といえば竜王のことを指す。

 その姿を見たときにまさか、と思ったが、助けてくれたタイミングといい、驚くことが多すぎる。脳内の処理も追いつかない。

 アレクセイは赤みがかった紫の瞳を伏せ、懺悔するように声のトーンを落とした。


「正体を知ってしまったら、今までのように接してくれなくなると思っていたんだ」

「わ、私……不敬罪で投獄……?」

「そんなことにはならない。僕は敬ってほしいわけでもないからな」


 その口調はよく知るアレクのもので、動揺していた心が落ち着きを取り戻す。

 冷静になると、疑問が頭をもたげた。


「どうして、助けてくれたの? あんな見計らったようなタイミングで……」

「……怒らないで聞いてほしい。君には護衛をつけていた。君が大聖女だと知ったときから」

「…………」


 ということは、昼間に元婚約者に出会った件も当然知っていたのだろう。

 護衛なんて話も聞いていないし、言いたいことはあるが、彼が助けに来てくれなければ今頃どうなっていたかわからない。

 怒るべきか、感謝すべきか、すぐには判断できない。

 押し黙るフローラを見下ろしていたアレクセイは、ふと小さな包み紙を差し出した。


「僕のことが嫌いでなければ、これを受け取ってほしい」

「……これは?」

「僕の気持ちだ」


 訝しみながらもその包みを開ける。細長いチェーンの耳飾りだ。先端には雪の結晶がモチーフとしてついている。

 フローラは耳飾りを包みにしまうと、アレクセイに押しつけた。


「こんなの、受け取れないわ。だって、これって番いに渡すものなんでしょう? そんな大事なもの……」

「君より大事なものなどない」

「え――」

「竜族は一途だ。この先、君以外を愛することはないだろう。たとえ気持ちを受け入れられなくても、願うのは君の幸せだ。僕の愛は君にとって重荷だろうか」


 重いか軽いかと聞かれたら、重いに決まっている。

 軽い気持ちで受け取っていいものではない。そう、だから――時間が必要だ。


「すぐには答えられないわ。だから今の私たちの関係は、友達のままよ。そのうえで聞くわ。アレク、友達からの願い事を聞いてくれる?」

「聞こう」

「竜の姿になって私を乗せてくれない? 行きたいところがあるの」

「それは構わないが、どこへ行くつもりだ?」


 包みを抱きしめて、フローラは西の方角を見やった。


「瘴気が濃い場所に近い国境へ」

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