追放された大聖女は隣国で男装した結果、竜王に見初められる

仲室日月奈

1. 大聖女、隣国で男装の道に目覚める

 領地でのんびり暮らしていたフェリシアのもとに、王家の紋章入り箱馬車がやってきたのは今から五年前のこと。


 きっかけは、毎朝の日課となっていた森の散策だった。その日は侍女を一人お供にして木苺摘みに出かけ、歌を口ずさみながら歩いていた。子鹿に気を取られていたフェリシアは気づかなかったが、森の中には瘴気に冒された草が点々とあった。

 名もない花はしおれて黒ずみ、周囲に黒い気を発生させていた。

 次の瞬間、帰宅を促そうとした侍女は目を丸くした。

 フェリシアの歌声が響くと、瘴気でしおれていた花が息を吹き返し、黒いもやも綺麗さっぱり晴れていたからだ。よどんだ空気は雲散霧消し、清浄な空気が広がっていた。

 侍女は帰宅後すぐに領主に事の次第を報告した。

 教会から牧師を呼び寄せ、他の森での実証を積み重ねた結果、領主は娘の能力を「聖女」のものであると認めた。

 ツェート子爵家の聖女の噂は領地中に留まらず、王都にまで広がっていた。噂が噂を呼び、いつしか「大聖女の再来」とまで言われるようになった。その噂を聞きつけた王家の使者が婚約の打診にやってきたのだ。


 かくして、フェリシア・ツェートは大聖女として、ルミール・ロア・ヴァルジェ王太子の婚約者の座に収まったのである。

 ルミール王太子は王都に不慣れなフェリシアにも優しく接し、二人の関係は特に問題もなく順調だった。王妃主催のお茶会の帰り道で、大理石の柱の陰でこそこそと話している婚約者の姿を見つけるまでは。


「俺は運命の恋に落ちた。婚約破棄するためには、あいつを偽聖女として罰するよりほかない」


 耳を疑う話に、心臓が跳ねた。

 聞いてはいけないと冷静な自分が叱咤するが、足がすくんで動けない。


(これは本当にルミール様の声……?)


 話し方も話の内容も、まるで別人だ。物語の王子のように慈愛に満ちた口調とは似ても似つかない。

 世の中には、表の顔と裏の顔を使い分ける人もいる。知ってはいたが、まさか婚約者の素顔がこんなだったとは露ほども思っていなかった。

 結局、自分は浮かれていたのだ。田舎の領地にいた小娘が王太子から求婚されるという、夢のような話を信じて、うわべだけの付き合いしかしてこなかった。そのツケが今、回り回ってやってきたのだ。


(……偽聖女はきっと国外追放ね。いいわ。そっちがその気なら、たとえ泣いて詫びたってもう助けてやらないんだから!)


 未来の王太子妃にふさわしいよう、楚々とした淑女の猫かぶりの生活とはおさらばだ。

 フェリシアはきたるべき未来に備えて、水面下で準備することを決意した。


 ◇◆◇


「フェリシア・ツェート! 貴様は聖女の風上にも置けない悪女だ。聖女と偽った罪は重い。よって、国外に追放するものとする!」


 王家主催の舞踏会で突然行われた断罪に、真っ先に抗議したのはツェート子爵だった。


「王太子殿下! あなたも聖女の術の効果をその目で見たはずです。娘の力は本物です。それを――」

「本物の聖女ならば、ソフィーに悪質な嫌がらせなどするものか。証言も証拠も揃っている。……そうだろう、ソフィー?」


 ルミール王太子は横にいた金髪碧眼の美しい令嬢に同意を求めた。

 ソフィーはフェリシアと目が合うと、びくりと身を震わせた。獣から必死に身を守るうさぎのような反応に、これが演技なら表彰ものだと感心する。


(冤罪で国外追放されるのはわかっていたけど、これは一体、何の茶番なのかしら)


 当然ながら、フェリシアはソフィーに嫌がらせなどしていない。

 ルミール王太子と仲良くしている伯爵令嬢がいるとは聞いていたが、してもいない悪事の首謀者だと言われるとは、さすがに想像していなかった。


「……フェリシア様は、私が視界に入ると、ここでは言えないような辛辣なお言葉を投げかけてきました。私、どうしてそんなに嫌われているのか、わからなくて……。弁解の機会を設けようとしたのですが、聞く耳を持ってくださらなくて……」


 鈴を転がしたような声が響き、周囲の目が一斉に冷たいものに変わる。

 どう考えても、状況はこちらが圧倒的に不利だ。

 社交界において、真実は権力者の望む方向へ、いともたやすく歪められる。嘘が誠になるのだ。自分より目上の者に追従する姿勢が、貴族社会で生き延びていくコツである。

 要するに、フェリシアの味方はいない。先ほどは抗議した父親でさえ、今は口を閉ざしているのがいい証拠だ。


「何か申し開きはあるか」


 威圧的な言葉に、フェリシアは首を横に振った。


「それが殿下のお望みでしたら……」

「もう二度と顔を見ることもあるまい。どこへなりとも行くといい」

「かしこまりました。失礼いたします」


 ルミール王太子のもとに、中央の貴族たちがごますりに近寄っていく。フェリシアはさっさと踵を返した。

 元婚約者への未練など、もうなかった。 


 ◇◆◇


 ヴァルジェ王国の隣国ファルタカ。竜王を頂点にし、人間と竜族が暮らす国だ。

 竜族は人間に化けることができ、一見しただけでは竜族だとわからない。だが、力は人間の数倍あり、寿命もはるかに長く、膨大な知識量を蓄えている。

 竜族を敵にして勝てる者などいない。それが世界の常識だった。


「フローラ! 買い出しに行ってきてくれる!?」


 自分を呼ぶ声に、フェリシア――改め、フローラは声を張り上げた。


「今から行ってきます!」

「よろしくね」


 栗毛をゆるく結い上げたミリアムから折りたたんだメモ用紙を受け取り、フローラは外へ飛び出した。

 突き抜けたような空は高く、ぷかぷかと浮かんだ白い雲が流れていく。

 フェリシアを拾ってくれた歌劇団は女性だけで結成された、首都アン=カルネオールを代表する劇団だ。

 つまり、男役は男装して臨まなければならない。

 平均身長よりやや高かったフェリシアは劇団長に誘われてフローラと名を変え、新たな人生を歩み出していた。たまに名のない役を与えられることもあるが、基本的には裏方の雑務が主な仕事だ。

 そして、役になりきるため、普段より男装することが常となった。今は男物の服を手直ししたものを愛用している。

 腰まであった髪は肩につくまでの長さで切り、金に近い茶色の髪を後ろで結ぶ。首元にはレースのクラヴァット。舞台衣装にもなっている緑地のフロックコートには金糸や銀糸で刺繍がされ、袖口にもレースがあしらわれている。

 中には袖なしのジレを着込み、膝丈のブリーチズに白い絹の長靴下。フローラが貴族男性の格好で歩くのは劇団長が言い出したことで、宣伝も兼ねていた。


「フローラちゃん。今日もおつかいかい?」

「ええ。ここに書いてあるものをお願い。代金はつけておいて」

「あいよ。ちょっと待ってな――」


 店の奥に消えた女主人の背を見送り、フローラは店内を見渡す。外国製のアンティークランプや一見ガラクタにしか見えない変わった形の置物、店主の趣味で揃えた商品が雑然と並ぶエリアはいつ見ても異質な雰囲気をまとっている。

 だが、この店の本業は手芸店だ。大小さまざまな布が揃えられ、珍しい糸やビーズの種類も豊富だ。舞台で使う布や小道具は大抵この店で揃う。

 少しして女主人が両手にいっぱいの品物を抱えて戻ってきて、フローラはうげっと顔を引きつらせた。わかってはいたが、ミリアムはとことん人使いが荒い。


 ◇◆◇


 コートを脱ぎ、身軽になったフローラは廃棄直前だったパンの山を抱え、裏通りを歩いていた。歌劇団に入団してから護身術も身に付けた。アン=カルネオールはもともと治安はいいほうだが、用心するのに越したことはない。

 ベルトにつけた短剣が歩くたびに揺れる。


(今夜はシチューにしよう)


 少し硬いパンもシチューに浸せば、いくらか食べやすくなる。今夜のメニューを考えながら飲食店裏の狭い通路を横歩きで通過していると、視界の先で男性が倒れていた。ざっと見る限り、身なりは悪くはない。武装している気配もない。


「ちょっ――あなた、大丈夫!? しっかりして!」


 パンを入れた袋を横に置き、うつ伏せになっていた男を仰向きにさせる。襟足が少し伸びた灰銀の髪がさらりと耳元に落ちる。

 フローラが肩を叩くと、うう、とうめき声がもれた。


(よかった。息はしてる。……見たところ、出血した様子もないわね)


 しかしながら、男の顔立ちは作り物めいた美しさがあった。均整の取れたパーツの並びに長い睫毛。形のよい薄い唇。体は細いかと思ったが、意外としっかりしている。

 ふと、男の瞼がふるふると震え、赤みがかった紫色の瞳が開く。オレンジを足せば、朝焼けの色だと思った。


「……み、水……」

「水が欲しいのね? わかったわ、ちょっと待っていて!」


 男を壁際に座らせ、フローラは急いで家からコップに入れた水を持ってきた。焦点が合っていなかった男は少し意識がはっきりしたのか、ゆっくりとコップを両手で受け取り、ごくごくと水を飲み干した。


「大丈夫?」


 フローラが顔を近づけると、男は低音だが耳に馴染む声で返した。顔色はまだ悪い。


「……ああ。死ぬかと思った」

「こんなところで倒れているなんて、何があったの?」

「……下町の皆と酒の勝負をしていたんだ。くっ、やつら……あれほど高い度数の酒を仕込んでいたなんて。おかげでこのざまだ」

「つまり、飲み過ぎたということね」


 呆れた声を出せば、男は返す言葉が見つからないのか、うなだれた。男の右耳には肩につくほどの長さの耳飾りがある。竜族のしるしだ。耳飾りはいろんなデザインがあり、番いとなる者に同じ耳飾りを贈るという風習がある――らしい。

 彼の場合は小さな雪の結晶をかたどったデザインだ。


「……で? 酔っ払いさん。家まで帰れそう?」


 両腰に手を当てて聞くと、男はきょとんと瞬いた。見た目は二十代前半だろう。ただ、長命な竜族なら見た目と実年齢はイコールとは限らないが。


「いや……まだ当分まともに動けそうにない。このまま捨て置いてくれて構わない。君には世話になった」

「仕方ないわね。肩を貸してあげるから、つらくても歩いてちょうだい」

「は?」

「今晩は泊めてあげる。秋も終わりかけ、こんな夜空の下で寝ていたら風邪を引くわ」

「だ、だが、見ず知らずの女性にそこまでしてもらう道理は……」

「いいから歩く!」


 やや強引に腕を引っ張ると、男が立ち上がった。彼の右腕を自分の肩に乗せると、むわんとお酒の匂いがした。その匂いだけで頭がクラクラしそうだった。

 飲酒量が明らかに彼のキャパを超しているのは明白だ。


「今後は飲み過ぎ禁止! わかったわね!?」

「は、はい」

「――ところで、あなた名前は?」

「アレク……」

「私はフローラよ。さあ、アレク。きびきび歩く!」


 よたよたと千鳥足のアレクを叱咤しながら、帰り道をいつもよりたっぷり時間をかけて歩いた。酔い潰れたミリアムの介抱で慣れたつもりだったが、力が出ない男はなかなかに重い。一歩一歩が牛歩のようだった。

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