0007 改竄VS消失

「ぞぉらぁ‼」

「し――っ」


 地に落ち行くアビスに、宙で前回転して勢いを帯びた少女の両手拳が振り下ろされる。

 一歩間違えば尻や乳房を晒しかねないきわどい動きだが、それに惑わされる程の余裕が、今のアビスには無い。


 依然として霧と髪のみを纏う状態にある少女の鉄槌に対し、アビスは仰向けで地に落下しながら、骨が折れたままの右手を鞭のようにして振った。


 ガッ、と音が鳴って少女の鉄槌が弾かれる。

が、少女の豊かな胸が、たゆん、と弾んだ直後――、


 少女は既に両手拳の鉄槌を解いて双方から拳を繰り出していた。映像が早送りされているようだった。


 アビスも、その変化をギリギリ捉えることができ、もはや指先に神経が通わなくなっている右手にマナを送り込んで無理やりな手法で強化を図る。


 二つの拳と鞭が激突し、不可視のラッシュが始まった。


 拳が複数に見えるような殴打の連撃がアビスを襲うが、彼もまた右腕だけが何本も生えているかのように見える速度で鞭を振るう。


 その、空気を叩くかのような轟音を響かせるラッシュに、綻びが生じた。

 アビスがそれを認めた時にはもう、少女の両手は彼の右腕を掴んでいた。


 ぐりんっ、とアビスの身体がその場で横に回転した。

 恐るべき早業によって急激に捻じられた右腕。


 骨に無数のヒビが入り、肌と肉が断裂を起こして切断間近まで追いやられてしまった。


「が」


 大口を開け、白目を剥くアビス。


 しかし、その耐えがたい激痛への反応とは裏腹に、彼のもう片方の腕は瞬時に動いていた。


 ――少年が、左手に持つ魔装銃で右腕を撃った。


「はぃっ⁉」


 徹底的に破壊された右腕に、銃弾を撃ち込んで自らとどめを刺す愚行。

 少女の目には今のアビスの行動がそのようにして映っただろう。

 だが、認識は覆る。


 右腕に白光が生じた。


 少女はほんの一瞬だけ目を見開くや否や、すぐにアビスが左手に持っている魔装銃と光に包まれている右腕の完全破壊を目論んだ。


 それが、明確な隙となることも知らずに。


「乱暴、お許しを」


 真っ白なヴェールから姿を晒した右腕は、殴打や内出血、骨折の影響など微塵も感じさせない健康的な外見をしていた。


 再び、少女を驚愕が襲う。

 その間に、アビスの曲げられた右腕が少女の白く綺麗な肌へとかざされていた。


 腹部。

 そこにアビスの「逆手」が触れると同時、曲げられた腕が伸びて少女をくの字に折り曲げさせる。


【「骨折」→「元の状態」】

 といった「改竄魔術による回復行為」からの、昏倒狙いの一撃。

 通常の速さの何倍もの速度を帯びた掌打が、少女を吹き飛ばす――筈だった。


「なっ」


 と、アビスは思わず短い声を漏らしていた。

 目の前から、少女が消えたのだ。


 音速を超えた速度域にも対応できるようになったアビスの目と掌打をもってしても、眼前で起こったその出来事を捉えることは出来なかった。


(『速い』というよりは『消えた』……?)


 風が吹いて、少女は消えた。

 そしてまた、ひとたび風が吹き、


「シンボリックドレスを纏って再臨よ!」


 目の端にふと現れた少女に、アビスは即座に視線を移した。


 その拍子に体勢も立て直し、草花が広がる庭にき

ちんと着地する。


 改めて少女を見上げると、どういうわけか宙に浮いたままの彼女は、黄金色や朱色がグラデーション状にカラーリングされたロングドレスと薄ピンクのカーディガンを纏うといった格好をしていた。


 手には、黄金に煌めく双剣。


 円状に膨らんだ柄の部分には、恐らくマナを動力として稼働させるのであろう魔術器――「扇風機」を小さくし、鎌状の刃がそれぞれ四枚、組み込まれていた。


 この一瞬で裸体から外行きの格好に着替えたことに驚いたが、それ以上に少女が握るあの双剣に警戒が行く。

 アビスは、しかし少女の容貌や魔装(?)について言及するよりも先に、つい先ほど右腕を捩じ切られようとしていた危機を感じさせない様子で、ぺこりと頭を下げて謝罪する。


「水浴びの現場に突然現れてしまって、本当にすみませんでした」


 少女は、つい先ほど躊躇なく男の右手首をへし折って右腕を捩じ切ろうとした者とは思えない様子で、目を半開きにしてアビスに問う。


「……。で、本心は?」

「――。局部は隠れていたものの、美少女の裸体を見れて良かったです」

「ハッッッキリ言いやがったわね! そうまで堂々と言われるとこっちも乙女の羞恥心が薄れていくってものよ!」


 ドスの利いた声でのツッコミに、アビスは思わず顔を上げて「はははっ」と笑った。「笑ってんじゃないわよ!」という典型的な返答が言葉として発されるよりも前に──少女はアビスの笑い顔に、逆手で握った双剣の刃を刻み込まんと迫らせていた。


 極限まで高まった動体視力で双剣の軌道を追ったアビスは、魔装銃の銃口を自らの足元に向け、撃った。


 視界が白く染まったのを認めてから少女に問うた。


「お名前を聞きたいところだけれど、まずはその前にいくつか質問よろしいでしょうか」


 にこやかな表情になるや否や、白光に包まれてその場から姿を消したアビス。


 彼はすぐに少女の背後、やや距離をとった位置へと瞬間移動し、間髪入れず、躊躇なく弾丸を放った。


 二発の魔弾を、少女が空を切った双剣へ。


「先程から上げていらっしゃる掛け声、もしかして古武術がルーツですか?」


「フレイヤにゾーラ……クラスメイトの名よ」


 黄金の双剣の柄で、鎌の形をした刃が旋回し、


「消えて欲しいメンバーの、ね!」


 少女の姿がその場から消えた。その瞬間、アビスは思考をフル回転して考える。


 少女の動作は確かに速い。――「神速の舞姫」の二つ名を冠するだけのことはある。


 だが、今この瞬間のように、彼女の姿が目の前から消えた時、香りや殺気などといった、ただ速いだけだと消せないような痕跡までもが跡形も無く消えているのだ。


 ただ一つ残る要素といえば、おぼろなマナの気配のみ。


 とはいえ、肉体もろとも消えるといったこの現象に対し、アビスは、


(ならば、まずは足場を壊す)


 アビスは自分が微かに笑んでいるということに気付かないまま、少女の消失を可能とする起動性――「神速」に挑むべく、右手に魔装銃を持ち換え、地面に発砲した。 

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