0006 神速の舞姫

 転移先は、だだっ広い庭園だった。


 見渡す限り一面に草木があり、目と鼻の先にある「城」から、遠巻きにぐるりと庭園を囲む壁に向かって、渦を巻くようにして色とりどりの花が咲いて

いる。


 その、花の渦の中心に奇麗な泉があった。


「……」

 

 陽の光に当てられて煌めく水面に、金髪の少女が一糸纏わぬ姿で足を沈めていた。

 

 背まで伸びた美しい金髪がたわわな双丘と白磁の素肌を覆い、そよ風に吹かれて舞い散る花びらと相まって、泉の妖精が佇んでいるかのように見える。


 アビスは、つい自分が完全に不審者のような立場に居ることを忘れて、その少女に見惚れてしまっていた。


 その一方で、少女は、ぱしゃり、と音を立てて、立ち尽くすアビスの方に向き直った。前髪から覗かせる夕焼け色の双眸は、明らかにアビスを警戒している。


 乳房と同じように、下腹部から下のあたりも、妖精の御業であるかのように霧を纏う。


 そんな、時が止まったような錯覚を味わうこと数秒、少年は、しかし年相応に頬を赤らめることなどはせず、水浴びの現場を覗いてしまったことに対する非礼を詫びねば……と頭を下げようとした瞬間だった。


「水浴びの現場に立ち入ってしまって申し訳な――」


 ゆるやかに下げた頭、その鼻先に。


 ――白く滑らかな、少女の右脚が飛び込んで来た。


「っ!」


 アビスは目を見開き、右に顔をずらして突然の蹴りを避けた。


 ブンッ、と空気を切る音が間近で生じ、アビスは自分の認識が「間に合っていなかった」ことをすぐさま悟る。


(瞬きする前まで、この子は二○メートルも離れていた。でも、瞬きした後にはもう、ゼロ距離で蹴りをぶつけて……)


 心中での分析。それもまた、次なる一手で阻まれる。


「ふれいやッ‼」


 物騒な叫びと共に、アビスの鳩尾に少女の両手拳がめり込んでいたのだ。


「が、は……っ⁉」


 目で追えないどころか、気配で軌道を捉えることさえままならず。

 

 半ば反射的に反芻が行われた最中、アビスは既に空へと舞い上がっていた。両手拳で鳩尾を突かれた直後、彼は少女によって蹴り上げられていたのだ。


 寸前のリベンジ、と言わんばかりにきちんと右脚で。

 

 一拍どころか二拍遅れて、鳩尾に続いて腹部と脇腹あたりから嫌な痛みと音が生じた。下手をすれば、今の一撃であばら骨を数本やられたかもしれない――人並みよりはずっと鍛え抜かれているアビスの肉体をして、そのダメージは尋常では無かった。


 いや、

 少し違う。

 この少女は、


(疾、過ぎる――ッ!)


 豪速で中へと打ち上げられている状況で、アビスは右手に持つ魔装式リボルバーへの魔弾の装填を急いだ。


 轟音が、耳元で鳴った。

 続けざまに、何かが砕けるような鈍い音と衝撃も。


「脆いのね、覗き魔さん」

「――ッ!」


 右手首が、九十度に曲がって折れていた。


 たった今、この少女の手刀によって折られたのだ。

 少女は嘲弄を滲ませた笑みを浮かべると、唇を舌なめずりして手刀をひときわビキビキと硬くし、今度はアビスの首を狙って放った。


 刹那の果てに、自分の首が草花の絨毯に転がって血の噴水を撒き散らしている情景が見える。


「『極致きょくち……」


 アビスはその末路を、


「――延竄えんざん」‼」


 切り札を使って回避する。


「はぁっ⁉」


 少女が素っ頓狂な声を上げた。


 音速を超えた速さを誇る手刀に、アビスの手刀がぶつけられたのだ。


 強打の音が、響く。衝撃波が、広がる。

 今度は、少女の瞳が驚きに見開かれる番だった。


 その、少女が射抜くアビスの瞳には、白光りする魔術陣が刻まれていた。


 ――「極致延竄きょくちえんざん」。


 アビスの保有術である「改竄」。

 その術式が組み込まれた魔弾をあらかじめ魔臓に撃ち込んである彼は、「己の限界値を進化する書き換えの術式」を示す旨であるこの魔術名を唱え、一定時間、特定の部位を瞬時に強化させることが出来るのだ。


 因みに、撃ち込んだ方法は、これまた位置改変による転移。

 そして、その手法で体内に撃ち込んである弾丸は計四発。

 うち、使用した弾丸は二発。


 アビスが強化対象に選んだのは、自身の「右手」と「眼球」。

 その証明が、右手には白いスパーク、瞳には白い紋様として成されている。


 ――セピア色に染まっていた一瞬に、再び色が灯り出す。


「あなた、何をしたの?」


 少女が怪訝な顔で問うた。

 限界を超えたアビスの右手は、ミシミシと骨が軋むような音を鳴らしていた。


 常の範疇を超えた速度で振るったのだから、「強化」や「軟化」を並列して取り入れていない分、もって五分が限界といったところだろう。


「種明かしはショーの後、ですよ」


 当然、その条件は眼球にも適応される。


「反吐が出るような不快感がマックスで反吐ックスだわ」


 右手に施した「適応加速度」と「動体視力」の限界値の書き換え。


「デトックスみたいに言わないで下さい」


 各部位に対して単一的な効果しか書き変えることは出来ないので、例えば右手を振るう速度が音速を超えても、その速度域に耐えられる骨肉の再現はままならないのである。


 ――空中で、少年の、白き光の印を宿す血濡れた眼と、少女の夕焼け色の眼が交錯する。


 再戦のゴング、鳴る。

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