0004 スカベンジャー・ドラゴン
ところで、アビスの改竄魔術は、現在「第一術式層」という枠組の中でしか発動できない。
そういう縛りであり、そうした制約――「術約」を架せられている状態でしか、通常の生命活動が出来ないのだ。その、あまりの反動とマナの消費量ゆえに。
電灯型魔法器を介して「術の象徴たる光」を全開時の一〇〇分の一程度のマナコストと威力で放つことができるという、コストパフォーマンスと利便性を追求した第一段階。
とはいえ、「光を放つ」という行為そのものが彼に甚大なダメージを与えてしまうので、基本的にはマナライトはあまり使わない。というより、迂闊には使えない。
これらの条件を鑑みたうえで、今、アビスはどうするべきか。
地上二〇〇階立ての超高層ビルさえも優に見下ろしてしまうほどのドラゴンが目の前に居て、そいつは今にも噛み付いてきそうな気配を漂わせている。
マナライトでドラゴン自体を別の何かに書き換えてしまえばそれでおしまいなのだが、ライトの発動はアビスに対して過度なフィードバックを齎し、そしてデメリットはそれにとどまらない。
改竄対象のサイズ。
縦にも横にも大きすぎるこの全身グレープカラーのドラゴンの構造を、一気に読み込んで改竄するとしよう。
トゥルース・スキャニングを限界まで発動すべく、両目にマナと意識を爆発的に注ぎ込む。そして眼前のスカベンジャー・ドラゴンの構造そのものを読み込んで、いよいよ魔弾を撃ち込んで改竄できるぞ――その、一、二前後のプロセスを辿っている段階でアビスは食われていることだろう。
敵対者に、大規模な術式の展開や殺傷能力Sランクの術が組み込まれている可能性は殆どない。
「主の死と共に強制召喚される情報処理装置」であるスカベンジャー・ドラゴンには、ただ対象の血肉を一片も残さず喰らい尽くせ、としか命じられていないから。
逆を言えば、「単純に食われる」ことに対して改竄という小細工が通じないのが、アビスにとって最
大の難点。
であれば、
であれば、
であれば、
一体どうするべきか。
「――とまあ、こんな具合に大ピンチな僕だけれど、」
こめかみに銃口を当てる。
己を撃ち抜くことによる座標改竄?
ドラゴンによっての獲物である自分自身の認識改竄?
いずれもノーである。
これらは作戦的には悪手極まりない。
対象の体温やマナの反応どころか魂の本質までをも見抜いてしまう機能を、その双眸に宿す巨竜である。ともすれば、先のマーキンに寄生していた「悪魔の義眼」よりも脅威度が高い魔眼。
突破口は、限られる。
「『この場に僕しか居ない』という事実を、一体どこの誰が決めた?」
意味不明なセリフに、スカベンジャー・ドラゴンは一瞬、フリーズ。
それが仇となった。
致命的な空白。蜃気楼の誘発や認識阻害、マナジャミングといった様々なギミックの施された、この現実から隔絶された空間に、一発の弾丸が風穴を空けた。
前方で佇むアビスが撃ったものではない。
後方。
それも、遥か遠く――一〇〇キロ以上も離れた位置から放たれた、圧倒的な不意打ち。
何故……、とドラゴンは疑問に思っただろう。
魔術による一切の攻撃手段を封じた結界に、こうも易々と……しかも狙撃にしては有り得ない距離からの奇襲。
「僕の仲間、ですよ。そして、彼女の『保有術』は魔術系統ではなく、『獣術系統』。故に、このアンチ・マギクスフィールドの術式は意味をなさない」
尚も己のこめかみに銃口を向けたままの少年は、不敵な笑みを浮かべながら続ける。
「近年、獣人や蟲人といった亜人種の殆どは淘汰され、世界の人工のおよそ八割は魔術師になった。だから魔術が主流となった今、人工魔術である『魔動力』やその稼働エネルギーとなる『魔粒子』を用いた魔法器、魔導機の民間・軍事への導入でますます魔導文明の台頭が根付いてきているわけだが……」
一度言葉を切って、その魔術師はその場から姿を消す。発砲音。硝煙とマナの反応、そして薄気味悪いオーラの残滓。
『ギギギィ――ッ!?』
スカベンジャー・ドラゴンは一拍遅れて敵を察知。即座に後ろを振り返る。
既に、アビスはドラゴンの背後に建つビルの屋上に転移していた。
そして、
「ピース」
『…………』
あろうことか、敵前で、ピースサイン。
舐め腐っているにも程があるぞ……、とドラゴンは怒りの咆哮を上げようとしたが、その考えがあまりにも愚かであったことに、これまたワンテンポ遅れてようやく気付く。
アビスはピースサインを頭上に掲げた。
人差し指と中指の間には、僅かながらにマナエネルギーが通う気配を感じた。
だが、彼は魔装銃による発砲しか攻撃手段を持たず、仮に左腰のホルスターに仕舞ってあるマナライトを使えるほどの余力があるとはいえ、ライトを引く抜くために空けておくべき「左手」でわざわざピースサインを作って、しかも掲げるだろうか。
『――ッ!』
ドラゴンはピンと来た。
やがてその爛々と煌めく「透視の魔眼」で、ある一つの情報を取得した。
――座標……。
プツン、とドラゴンを思考回路が途絶えた。
反射的に、脊髄でもって理解したのは、「二発目の魔弾」。
……座標。アビスがピースサインという形で示した、狙撃用の座標。
一発目の狙撃も、きっとこのように座標を作って誘導していたのだろう。内側か外側か、いずれにせよ、結界そのものに己のマナをマーキングして。
一発目の魔弾は「破壊」。
これで認識阻害の結界を無力化した。
二発目の魔弾もまた、「破壊」。
今度はドラゴンの脳機能を無意味化した。
だが死骸処理という重大な役目を、敬愛する亡き主の命を受けて授かっている以上、このようなところで死するわけにはいくまい。
ましてや、余裕綽々の、侵入者にして主の仇を目前にして。なにより、その仲間で今も尚、姿を見せない外道を野放しにして。
負けていいわけがない――ッ!
『ギ、ア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ‼』
強靭で、強力で、強者たれ。
主の命を全うすることを己の全てとするドラゴンの、咆哮。
害敵に立ち向かう気高きスカベンジャー・ドラゴン――その果敢たる姿が、一瞬にして恐怖に染め上げられる。
赤黒い雷光が鳴った。
血の色の稲妻が目の前で轟いた。
少年の消失と入れ替わるようにして君臨したのは、未だかつて見たことのない、一目で凶悪にして凶暴の──それ以上に絶対的に「勝てない」と悟らざるを得ない、最強の魔物。
巨大な、象だった。
紫紺色の牙とマグマのような体表、辺りに散らす赤黒い轟雷。
『──後はこのガネシア・ホワイトリリーが務めるわ、アビス君。……それにしても、全く。軍を退役しても尚、この姿にさせられるなんてね。後でバカスピカにチーズタルトでもご馳走させてやるわ』
スカベンジャー・ドラゴンよりも遥かに巨大な、超巨躯の象がそう毒づいた。
――「アーク・エレファント」。
ドラゴンの中枢演算処理機能は、一瞬でその名前を割り出した。
同じ魔物として、生存本能が訴えかけている。逃げろ、殺されるぞ、食われるぞ……いや、それ以上に、死ぬ以上に、酷く恐ろしい目に遭うぞ。
『とはいえ、腐れ縁の戦友の愛弟子君とのタッグですもの。イーリャ様の防人にして筆頭メイドたるこのガネシア、容赦なく蹂躙させてもらうわよ』
視界一面が赤と黒で塗り潰される。
昼下がりの澄んだ青空が、フィルムを一気に飛ばしたかのように、空恐ろしい曇天に。
けれど、けれど、けれど。
いかに相手が「獄象」と称される魔物界のトップランカーとて、負ける訳にはいかないのだ。
『ギ、ギ、ギィィ』
今一度、
『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ‼』
吠える! 咆える! 吼える!!
『獄象術式……』
そして勇敢たるドラゴンは。
『――「ラー・トリシューラ」、発動』
超巨躯の象の、蹂躙を受ける。
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