0003 悪魔の義眼
マーキン専用の結界としても機能していたこの超高層ビル最上階の一室は、「無効化」の他にもう一つ、ある術式が張り巡らされていた。
それは、「複合化」。
マーキンが宿す「眼」に一定量以上のマナを注ぐと同時、それをトリガーとして彼自身の魔術に作用される術式。――敵を閉じ込めて一秒=一億年を味合わせるそれを自らに掛けることができる「第二の術」を可能とする、いわば即席のストレージ拡張システムなのだ。
媒体である「ビリオン・ボックス」を鎧として纏い、自らの限界値を一秒=一億年としてレベルアップさせる禁忌の手。
恐らく、今、彼にはもう、自我は無いだろう。
強化であると同時にこれは老化でもあるのだから。
無論、マーキンほどの魔術師であれば、この老化に対して何らかの手は打っていて、それこそデメリットなど何一つ存在しないと豪語できるほどには綿密に術式を組んでいるのだろうが、
「そもそも。そもそも、だ。ミスター・マーキン」
うつ伏せに倒れているマーキンを見下ろしながら、何故かその場に立っているアビスは、淡々と述べていく。
「過度なマナ増強剤の服用や、その『悪魔の義眼』に頼り切っている時点で、もうあなたの末路は決まっていたんだ」
マーキンは答えない。いや、答えられないのだ。言葉を発するという機能も、発せられた言葉を理解するという機構も、もう彼には無いから。
――だが、そんな彼ですら、アビスは殺せなかった。
「高頻度、高濃度、高強度のマナドーピング……そして、その義眼。魔術に作用させることで術式の威力を底上げすることができる夢みたいな代物だ。だが、その代償はとても大きなものとなる」
「その一つが、この部屋に一生囚われ続けるということ。二つ目が、義眼の主たる悪魔の我儘に延々と応え続けなければならなくなるというもの」
「だからあんたはその義眼を手にした五年前からこの部屋に閉じ込められていたし、毎日のように自分ではなく悪魔のために女性たちを手配し続けた」
「僕の改竄魔術ではないけれど、とっくにあんたの認識は都合よく改竄されていた筈だ。何せ、目の前で食い散らかされる麗らかな淑女たちという馳走に、指一本足りとも触れることなどさせてもらえず……あまつさえ、欲どころか生命すらも奪われ続けるのだから」
少し昔に流行っていた闇市場も、今では人工魔術力学を応用した「魔動式ネットワーク」で秘密裏に成されていることが多く、その中でも禁忌術式を組み込んだ人工魔眼は多額の金でやり取りをされている。
マーキンは当時、「己の一秒間を引き換えに相手を二秒間封じる」といった、地味で扱いづらい魔術を使っていた。ところが、突如彼の前に現れた男が、彼に「試着」という形で悪魔の義眼を授け、それ以降からマーキンは数々の強敵を下し、晴れて巨大極悪盗賊ギルドのパトロンとして君臨することとなった。
簡略的ではあるが、たった今アビスが「トゥルース・スキャニング」で読み込んだマーキンの略歴。その途中途中に生じている、蜃気楼のようで濃霧のような、「靄」。
なるほど、とアビスは口角を釣り上げた。
「やはり、『奴』か」
彼は魔装銃を持つ右手――ではなく、「小型ライト」を持つ左手を、寸前にマーキンを相手にそうしたように、再度、掲げる。
――「マナライト」の、ボタンを押す。
カッ、と白光が瞬く。
照光範囲はそれほど広くはなく、ましてやライトそのものに殺傷性など皆無である。
だが、アビス・アルゴローズが白光を放つという行為そのものが、かの伝説の、王国圧勝の戦線を彷彿とさせる。
それを察してか、あるいは極悪非道な魔術師としてのサガか。
まるで操り人形のように、幽鬼めいた形相で、その足取りで、真っ向から白光を浴びる。
「無駄です」
アビスは短く言い捨てる。
「僕が放つこの光――『改竄魔術』の閃光は、既にあなたの『ビリオン・ボックス:ウェアリングバージョン』の術式を『一秒=一秒』に書き換えている。つまり、あなたはただの人として、僕の目の前に立っている」
しかし彼に何を言っても無駄だろう。
何せ、カーズ・フェイ・マーキンの意識はもう、義眼に宿る悪魔に奪われているのだから。
『見事なものよな、小僧』
黄金の双眸がモールス信号のように不規則に瞬いて、声を発する。しゃがれた、長老の悪魔。
「ミスター・マーキンのマナと記憶は美味かったですか?」
『不味いといえば嘘といえよう。……が、やはり半世紀ほど前の宿主の味が忘れられなくてな。この焦がれよう、さながら恋慕のようじゃな。我ながら己の心の在り方をみずみずしいと思えて実に愉快愉快』
「なるほど、ではその恋路に終止符を打たせて頂いても?」
『ほう、お主が儂の新たな宿主になってくれるということじゃな?』
「意思疎通は図れそうにない、か。まあ、それもその筈か。何せ、相手は二世紀以上も図々しくこの世に居座り続けている長老の悪魔。思考回路はとっくの昔に錆びついているだろう」
『おいおい、いくらこの儂が老いぼれとはいえ、真っ向からそれを言うのは失礼ではないかえ? どうじゃ、この際、この儂が二百年もの時を経て培った知識と常識をお主の頭に――』
「その必要は、無い」
義眼に宿る悪魔は、媒体であるその義眼で見た相手に義眼ごと宿ることを可能とする、寄生型の魔物。悪魔は宿主に己の欲を満たさせ、自らはマナと魂と記憶を貪り続け……それを対価としてようやく、「固有魔法の強化」を成す。
故に、悪魔はマーキンに寄生した時と同様に、アビスの目を見た。彼の目を見なければ、目を介してその本質を視なければ、宿主に寄生出来ないから。
そう、悪魔は見てしまった。視てしまった。
アビス・アルゴローズという人間に宿った、得体の知れない魔法を。その神秘を。その無限の可能性を。
――底知れない、彼の業を。
『……嗚呼、この唐突な膨腹感』
ところで、生物はモノを無理に食べ続けると、いつか死ぬという。
義眼の悪魔が感じたのは、まさしくそれに近かった。
「――僕の深淵に、貴様が踏み入る余地など、無い」
冷ややかに言い放った刹那。
二発の魔弾がそれぞれの義眼に撃ち込まれ、やがて、
『お主……いや、貴様、この儂に「そんなこと」が許されると――』
アビスが流し込んだ改竄内容を一瞬でも早く理解してしまった悪魔が嘆く。
アビスは依然として冷淡に、薄ら笑んで言った。
「でも、さ。――豚を豚に書き換えて悪いなんて法律、存在しないでしょう?」
マーキンの身体が消失。
黄金に煌めく義眼は一抹の悲鳴を上げると共に、人の眼球というサイズからは想像もつかない大きな豚となった。しかもご丁寧に、二つの眼球に対して、豚も二匹に。
「人間の網膜として永遠に囚われる家畜。搾取を楽しんでいたようで、しかしその実、こうして『未知の強敵』には敵わない圧倒的弱者。それがあんたの本当の姿だ」
アビスは二匹の豚にそれぞれ二発の弾丸を撃ち込み、今度は豚をポークステーキへと書き換えた。そして、魔装銃とマナライトをホルスターに仕舞い、皿ごと宙を舞う二食分のポークステーキを両手の掌でキャッチして優雅にソファへと座る。
「人を貪り続けた悪魔はこうして本物の悪魔に食われてしまうのでした、めでたしめでたし」
とはいえ、彼は決して嗜虐趣味ではない。対象を食べやすい形にしてそれが持つ情報を流し込むには、対象を食事に書き換えて食すのが一番合理的だと判断したまでのこと。
……しかし。
彼は、やはり今回も気付いていなかった。
心なしか、逆立って見える癖毛の目立つ黒髪。肌に迸っている鳥肌。
――ファスナーがはち切れんばかりに股間で主張されている、大きな膨らみ。
興奮しているのだ、彼は。自らに敵対する相手を完膚なきまでに叩きのめすという行為自体に、自慰行為以上の快楽を覚えるサディスト。
あくまで「敵」に対してだけとはいえ、その性根は――心の深淵は、ある日を境に歪み、とことん捻じ曲がってしまった。
「もうすぐ会えるぞ、ケラノス」
ポークステーキを食べて流れ込んで来る「鍵となる数多の情報」を吟味しながら、アビスはどこを見遣るわけでもなく、ただ呟く。
「もうすぐで、あんたをぶっ殺せる」
本人でも自覚できないぐらいに、密かに、静かに、それでいて残忍な笑み。
と、そこへ。
「まったく、主が死した後だというのにお元気なことで」
都市を見下ろせる巨大な窓を一斉に破壊するほどの風圧を伴って。
「遅いぞ、『スカベンジャー・ドラゴン』」
主の血肉を貪った不届き者を、決して五体満足では返さぬと咆える紫色のドラゴン。
簡単に言えば、そいつは二〇〇階立てのこのビルよりも巨大で、盗まれた情報を必ず取り返すことを命じられている、獰猛で従順なペットなのであった。
ドラゴンが猛々しく唸る。
向けられた鋭い眼光を見返して、アビスは再度その手に魔装銃を構え、銃口を向けた。
「さて、任務を続けよう」
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