0002 【「一秒=一億年」→「一秒=一秒」】
――アビス侵入、その五分ほど前。
侵入の是非依然に、アビスにとって「難攻不落の居城に踏み入ること」はレトルト食品を食べられる状態にするまでの作業に等しいイージータスクなのであった。
そして比喩抜きに、侵入に要した時間もまた、三分にも及ばず。
結界とセキュリティの内容さえ改竄してしまえば、後は土足で堂々と踏み込んで、実力行使。
ワープエレベーターやジェットシューズといった文明の利器で最上階まで上がることは考えたが、それをするめでの一連の作業工程が面倒に思えたアビスは、目を直接最上階に向け、「トゥルース・スキャニング」と呼ばれる、改竄対象の詳細を読み取るために必要な「魔技」で瞬時に座標を割り出し、己のこめかみに魔装銃を当てるや否や「座標改竄」がトレースされた魔弾で自分を撃ち、見事に地上から二〇〇階にして標的の背後に転移することを成功させたのである。
十年前の初陣で、帝国軍を相手にしたように、その悪魔と畏怖される所以の力を用いて。
――遥か遠方での紛争鎮圧、ご苦労だった。んで、帰国早々悪いんだが祖国で悪さしまくってる悪い犬っころ共の退治を引き受けてくれ。
久々のねぐらに戻って一息つけると思い、喜々として「国境魔壁」の術式を遊び感覚で書き換えていた最中に降ってきた新たな任務。
通信型魔法器のインカム越しにそう言ってきたのは、彼の師匠だ。
十年前の「スィトピア戦線」にアビスが出陣するきっかけであり、彼が家族と故郷を炎に焼き尽くされてから味わった地獄の日々に終止符を打ってくれた、命の恩人でもある。
怜悧な瞳が施された精悍な顔つきが麗しい、自称、現役の花も恥じらう乙女。しかしその実、この超魔導王国の中でも三本の指に入ってしまうだろう屈指の実力者……なのだが、
「師匠も引きこもり生活はいい加減飽きたでしょう。どうです、この際、その『地獄の番犬』とやらを相手に広大な国でエクササイズでも。そうすれば、あなたが大好きな星空ももっと綺麗に見えますよ、自称『
『おかしいな。私の唯一の「弱点」を知っていて尚且つこの私の美しいご尊顔を舐め回すぐらいには私を溺愛しているお前が、よりにもよって凶悪な「ケルベロス」相手に戦え、と? お前はそう言うのか?』
恐らくはチーズケーキでも食べながら高級チェアに腰掛けているだろう自称乙女ことスピカに、アビスはうんざりとしたような表情で「百万通りにも及ぶ術式コード」を改竄させていきながら、
「百花繚乱にして百戦錬磨のハイパー乙女ならば国の裏組織ぐらい、ランチタイムの時間程度で滅ぼせる筈ですが」
『ところがどっこい、話はそう単純じゃあない。――うぉ、ちょっ、今弟子と通話中だから……ひゃんっ』
食していたのはチーズケーキではなく、美女だったらしい。
スピカの喘ぎ声の背後で、荒い息遣いと微かな甘い声を洩らす別の女性の声が聞こえたのだ。女好きの彼女のことだ、またマッチングサービスでも使って女を連れ込んでいるのだろう、とアビスは勝手に決めつける。
(いや、あの人ならそういう伝手がいくつあっても不思議ではないか。戦友のガネシアさんはよく純潔を守れたな……)
ともあれ、
「まあ、別にいいですけど。ちょうど『ひと作業』終えたところですので、これから座標改竄で指定ポイントに行って、標的を――」
『残念だが、敵は三つの組織で出来ている』
息を整えた師匠が、真面目な様子で言う。
『巨大盗賊ギルド「マーキュリー」、異種血統オーディション団体「ブラッド・マエストロ」、ハイネクロマンサー宗教団体「フェニックス」……盗人にピラニアに自称不死軍団。どれも曲者揃いで、おまけに「お守り」というハンデもついてくる」
羅列された組織名は最近になって暴れ回っていると任務中にニュースで見聞きしたから知っているが、後半の「お守り」に関しては初耳である。
「……まさか、師匠。子孫繁栄に関する新しい魔術でも発明して女性との子を身籠──」
『ジョークはその辺にして、作戦の説明といくぞ』
真面目なムードで流されたので、アビスは、つまらない、と下唇を突き出し、同時に手にしていた魔装銃で魔弾を放ち、眼前の透明な障壁にヒビを入れる。
『お前は今から四分以内にタンヴァリンへ赴き、私が送った座標とプランを十秒以内に読み込んで動け。尚、バックアップ要員としてガネシアを百キロ先のビルに配置しておいたから安心しとけ。護衛対象であるお姫様については奴に聞けば分かるし、言い方は悪いがそいつの近くで件のケルベロスをぶっ潰せば──』
「──『奴』が、姿を現す」
一拍の沈黙が流れ、
『遠征先で色んな手がかりを掴んだようで何よりだ』
アビスが口元に笑みを浮かべると同時、計ったかのようなタイミングで透明の障壁が盛大にひび割れて、砕け散る。
左端から右端まで、水平線の彼方から彼方までが見える国境が、粉吹雪でも舞うが如く爆散していく現状。
アビス・アルゴローズが片手をかざしてその瞳で術式を読み解き、一発の魔弾でその崩壊を成したという事実。
アビスの「トゥルース・スキャニング」をもってすれば、果てしない面積を誇る壁のほんのわずかな「歪み」を読み取って、そこに魔弾を撃ち込み、壁の術式を一時的に書き換えることは造作もない。
――「歪曲の悪魔」とは、よく言ったものである。
「『ペイシトラス共和国』であの男が成したこと、そして『お姫様』関連で奴が王国に侵入し、大規模なテロを起こし得るだろうことも、全て演算済みです」
『オーケー、それではちょうど四分を切ったところで頼むぜ、愛弟子』
「頼まれました、我が恩師」
海色の粒子が吹き荒ぶと共に、少年はその場から姿を消した。
◇◇◇
とても緩慢に、それこそ一秒が五秒にでも書き換わったかのように、一発の魔弾がマーキンへと迫っていく。
彼からすればきっと、そんな風に見えていることだろう。
「馬鹿な……」
己の大成と神による祝福を独占していると信じて疑わない美青年は驚きに打ちひしがれ──、
「馬鹿なぁぁ──ッッ!」
それでもしかし、極悪盗賊集団のパトロンは自らの必死を有り得ないと断じ、部屋の結界をフルに使う。
魔弾が鼻先で止まる。
マーキンを真っ赤なマナオーラが包み込む。
アビスに次弾を装填する素振りは無い。
「できないよな、出来るはずがないものなぁ。なにせ、ここはワタシの国──ワタシの楽園! ワタシをワタシたらしめる最高にして最上のディストピアなんだ!! だから、貴様のような得体の知れない侵入者如きに侵害されるべき代物ではない!!」
激昂。のち、明滅。
赤く猛るマナのオーラがマーキンの怒りを表しながらも、しかしその実、部屋中に予め張り巡らされていた術式の起動を成す。――魔術師泣かせと言われてきた、術式無効の術式。
「魔術であって魔術に非ず……大方、貴様のその奇天烈な術にはこのワタシですら知り得ない、未知で崇高なる技術が齎されているのだろう。それが侵入者如きの手に渡ってしまっているのが何とも残念でならない」
「現実逃避はやめろよ、お山の大将」
アビスの鋭い一声が放たれるや否や、停止していた弾丸が不意に動いた。
つまり、命中。
マーキンの心臓部を、確かに穿った。
「な……、ぜ、」
「侵入者たる者、予め対象エリアに仕込まれている術式を無力化するには当然だろう」
冷ややかに、さも当然であるかのように、アビスはそう言った。
【「無効化」→「無効」】
これが、アビスがこの部屋の術式に齎した改竄の内容である。
因みに、先程「ビリオン・ボックス」に閉じ込められた際は、彼はこのような内容で術式を書き換えていた。
【「一秒=一億年」→「一秒=一秒」】
倒れ行くマーキンを冷めた目で見遣りながら、アビスは思う。
(改竄によるマナロストのコスパを考慮しないと激務続きの身としては十分きつくなってしまうから、全てを一気に無効化とか無力化とか、『なかったこと』にできないのが厄介だけど……彼もまた同じようなリスクを背負っていたらしい)
そのマーキンは、尚も歯を食いしばり、その黄金の瞳に底知れぬ怒りを宿しながら――恐らくは最後のカードを切るのだろう。
「あんたのその『眼』が、あんたが『偽物』であるという証明だ」
アビスにしか分からない言葉の真意を、しかしマーキンは知ろうと躍起にはならず、代わりに彼は、たった今指摘された「眼」を瞬かせた。
照り輝く黄金。
部屋中にひしめく衝撃波と、瞳と同色の光。
「――『ビリオン・ボックス』、奥義術式」
アビスにその内容を書き換えられた箱が、マーキンを包み込んだ。
直後、彼は依然としてその双眸を黄金に輝かせながら、淡い碧色に彩られた箱を鎧のようにして纏い、紅のオーラもまた、健在。
「なるほど」
アビスはやや感心したように頷き、納得する。
「一秒=一億年の術式を自らに掛けることによって、自らの能力値を底上げした、と」
「――――」
一瞬で一億年分の力を得た盗賊ギルドのパトロンは、もうその場には居なかった。
刹那、アビスの視界が真っ白に染まった。
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