0001 アビス・アルゴローズ

 炎に包まれた街で一人、呆然と立ち尽くす。


 元凶。渦中で一人、魔人がこちらも見て嘲笑う。

 

 生首が三つ、こちらを見ている。惨い死に顔を晒して。


 温厚で家族思いだった父、誰にでも優しく慈愛を向けていた美しき母、いつも魔法を教えてくれて一緒に遊んでもくれた姉。――皆、殺された。


 父は悪辣な拷問をされ、母は母胎として儀式の媒体に、姉は性処理の玩具として弄ばれて。


 ただただ、怒り、狂い、そして泣き叫ぶことしか出来ず。

 愛する家族の顔を、髪の毛を掴んでぶら下げて眼前に立つあの魔人を、殺す。


 殺す。殺すべき。殺させてほしい。……殺したい。

 復讐の成就を夢見る際、自然と昂るこの情動は、果たしてまともな人間のものと言えるのか。


 今となってはそれもどうでもよく、十年という長い時の中で芽生えたそれは、ある種の生き方でもあった。


 もうすぐ。もうすぐ、お前に辿り着く。


 孤児院を偽る狂人の魔窟で奴隷と殺しを教え込まれ、最強の自負する師に拾われて得体の知れない組織に入って、クソったれの王国にも媚を売って、お前の足跡を頼りに世界中駆けまわって――この生まれ育った国で、ようやく。


 待っていろ、「創生の魔人」。


 悪魔は、すぐに貴様を見つけ出す。


◇◇◇


 リィンルフス超魔導王国・王都中枢に位置する、首都タンヴァリン。


 網目状にデザインされた街路の両脇に各大手企業の壮麗なビルディングが控えるこのエリアで、最も異彩と異質のマナオーラを放つ超高層ビルがあった。


 階層数、二〇〇を越える、さながら天空への道。

 そもそもの話、このビルを肉眼で見ることが出来る者はごく少数に限られる。


 認識阻害、蜃気楼誘発式魔導カーテン、光学迷彩系術式、関係者各位による固有魔法データならびにマナオーラの総量、質、使用履歴――これらすべてを通過できて初めて、パスコードや虹彩認証、音声認証、指紋認証、詠唱認証、魔法認証の鍵を開けるべく権利を手にすることが許される。


 明らかに公に名が轟くことを嫌う、言うなれば「裏」の存在。一言で言えば、「ギルド」である。それも、冒険やダンジョン攻略、魔物討伐といった

 一般のクエストではなく、略奪、強奪、簒奪を主に行う最凶最悪の巨大極悪ギルド。


 ――名を、「マーキュリー」。


 アークシーフと称された、ノーマルのジョブには無いそれを冠した闇の実力者たちが集う巣。

その、一番上の階層――文字通り頂上で、その男は晩酌を嗜んでいた。


「ワタシが創り上げた精鋭部隊……働き者が多いとされる蜂や蟻、それら敬服すべき昆虫たちよりに勝るとも劣らない成果を上げてくれている。パパは実に嬉しい」


 誰かに対して、というよりは傾けてワイングラスに映る自分自身に対して放った賞賛。

 鮮やかなクリーム色の長髪に黄金の双眸。身に纏うライトブルーのタキシードはテーブルに並べられた数々の馳走とこの最上階を彩る様々なインテリア同様に、嫌になるくらいの高級感を醸し出している。


 カーズ・フェイ・マーキン。

 没落した貴族を一人で立て直し、そして今の「マーキュリー」を創り上げた、いわばパトロン。


 秀才にして鬼才とも言われたこの麗人は、己の固有魔法とそれ以外にも内包する数々の「マギクス・ウェポン」に不安も劣等感も微塵も感じない。


 たった一つの詠唱、たった一振りのアクション。それだけでここまでのし上がってきた彼を、その自信を、いったい誰が咎め、笑うことが出来ようか。


「来たる祭日に向けて始めたラストプラン。果たして、彼の麗しき囚われのお姫様は一体誰が手に入れ、そしてこのワタシのもとへ献上するのだろう」


 ワイングラスをテーブルに置き、傍らに置いてあった端末型魔法器を手に取って、画面をスクロールさせては口元を緩める。

 まるで食品デリバリーサービスのラインナップのように表示されているのは、目が眩むような美女、美女、美女。


 酒池肉林とはまさにこのこと。

 マーキンは気に入った女性をタップしてメッセージを送るだけで、三十分以内にはその相手を「宅配」させることができる。


 ワンタップの後、表示されるのはその「商品」の固有魔法のデータ、キャリア、血液型や身体のサイズ、持病の有無、ここ数年のメンタルケア、フィジカルケアの登録履歴、そして――、


「本日のデザートは、果たして『フレッシュ』にすべきか、それとも『ドライ』にすべきか」


 即ち、生きた状態か死んだ状態か。

 生きた状態なら拷問やセックスを楽しめるが、死体であるならそれはそれでオブジェやサンドバックの仕様がある。

 マーキンの趣味はイカれている。彼の矜持も思想も価値観も、常人では決して想像し得ない、異常と異質を極めたものなのだ。

 

 大陸特有のリィン語、というには些か他地域の言語特有の訛りが見られる口調も、彼を彼たらしめるパーソナリティに仕立て上げたおい立ちとも関係している。


「さて、昨日はフレッシュデザートを相手に少々ヒートし過ぎてしまったからね。今日はクールに――、」


 と、その時。

 鳴る筈の無い警鐘が、鳴り響いた。

 メニューを吟味していたマーキンは食後の楽しみに水を差された不快を露わにして、タブレットを放り投げると「おい」と使用人を呼んだ。

 使用人は応じなかった。この時点で既に処刑ものではあるが、本当に近くに居ないのだとマーキンはすぐに分かった。


 代わりに生じたのは、今にも這い寄ってきそうな、得体の知れないマナの気配。

 マーキンはホルスターから魔弾装填済の魔装銃を抜き、意思とマナを波紋させてこの部屋一帯を専用の魔導空間にし、扉に向かって歩を進める。

 やがて、ふと彼は足を止める。


「どうやって、フィールドとゲートが無数に織り成す鍵を抉じ開けた?」


 振り返らず、しかしその問いは確かに背後へと投げかけられた。



 生じる筈の無い声が、そう答えた。

 麗人はゆっくりと振り返り、ついさっきまで自分が座っていた席に足を組んで坐している、黒髪と赤い瞳が特徴的な少年を見遣る。

 ところがマーキンは一瞬強張った表情を和やかにし、


「お腹でも空いたのかい?」


 と、優しく問うたのだ。

 少年は灰色のワイシャツに地味にマッチしている赤と黒のネクタイを緩め、


「ええ、外は暑いしここ数日激務続きだったものですから、つい」


 少年もにこやかに返す。

 二人の間に、常人がそこに居たなら半秒も経たずに圧死されそうな、重く、それでいて鋭いムードが漂う。

 それは、殺意。それは、マナの昂り。

 それは――、


「――『ビリオン・ボックス』、発動」


 一流の魔法行使者としての、激戦の予兆。

 マーキンの詠唱と同時、少年は淡いライトブルーの色をした立方体に閉じ込められた。彼が座っている場所に突如として発生したその箱が、彼が抵抗する間も無く彼を封印したのだ。


 ――幽閉魔法。ビリオン・ボックス。


 身に纏っていたタキシードを封印結晶へと変換させて放つ、その内容を知れば最凶最悪な魔法。……ただ閉じ込めるだけならばどれほどいいだろうか。


「一分経てば、君は一億年を味わうことになる」


 耳を疑うような言葉が放たれる。


「五分ぐらい経ったらワタシは気まぐれに君をそこから出すだろう。そして、懇願するんだ。その箱の中で暗闇と共に過ごした『五億年』を、白紙に戻して欲しいと。ワタシは君にただ僕のお友達になってくれればいいとだけ要求して、君を解放するんだ。それが、君が覚える想像し難いほどの絶望とワタシが齎す甘美でまろやかな希望をブレンドした絶対的なシナリオ――」


 演説の最中、音がした。

 ピキッ、と。何かが砕けるような音が。

 ビキビキビキッ、と。有り得ない音があってはならない現象と共に、連続して、響く。


「そのシナリオは訪れない」


 霧散した「ビリオン・ボックス」の残滓、舞う粒子と共に黒髪の少年は微笑と共に再臨する。


「だって、僕が書き換えたから」


 改竄魔法。


 およそ存在する筈のないと言われ、一笑に付されてきた、言うなれば都市伝説の、その降臨。


 少年は――悪魔は、魔装銃の銃口を困惑に侵されたマーキンに向けて、一言、告げた。


「アビス・アルゴローズ――改め、〈ラプラス〉。対象を竄破ざんぱする」


 かつての伝説が、今一度動き出す。ある者への強い復讐心を胸に秘めて。

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