復讐の改竄術師:ラプラス

アオピーナ

0000 歪曲の悪魔

 一人の魔導兵がそれを目にした瞬間から、その伝説は始まった。


◇◇◇


 廃墟が建ち並ぶその荒野が、決戦の地であった。


 スィトピア戦線。


 王国と帝国の二大巨大国家が中心となって治める大陸にて、帝国が発した「最先端魔法学の独占」という言いがかりを口火として火蓋が斬って落とされた此度の二面戦争は、両国家の間にあった、この忘却の楽園とも云われている荒野を中心としたエリア分布で繰り広げられた。


 リィンルフス王国が擁する王立魔導軍は、ちょうど彼の国の統合魔法学会がテーマとしていた「ステルス・リード」を実戦投入し、サプリメントのような錠剤を一飲みするだけでステルスの術式を付与できるこの手法は、見えない脅威――透明人間による魔法の雨を可能とし、テーマ名さながら、不可視の牽制を可能とするのだった。


 さらに、最先端魔工学の産物たる「魔動機」を用いた「魔動機甲師団」や、通信型魔法器による伝達魔法を越えたスマートな連携、相手方に対する「対魔法ジャミング式スタングレネード」による魔法そのものの無力化などもやってのけ、進歩された技術による圧倒的な格差を見せつける。


 一方で、古くを重んじ、栄えある帝政を旗と己の胸に掲げるサクリファスト帝国の護国騎士団は、世界有数の儀式文明先進国という賞賛を裏切ることなく、数多の召喚獣や軍用魔獣、亜人部隊、ネクロマンサー大隊、大規模結界術などといった儀式系をふんだんに使い、叡智の結晶を文明の利器の数々へとぶつける。


 そして帝国は、この戦線自体を「囮」とし、リィンルフス本土へと攻め入れようとしていた。


 膨大な兵数、戦力を保有する帝国だからこそ出来る、戦争と侵攻、本土防衛のマルチタスク。


 その、一世一代の大勝負は、とある少年の訪れによって瓦解する。



 ――帝国護国魔法騎士団・第三結界起動連隊。


 淡いライトブルーの魔法陣が無数に連なって作られた、巨大な半球状の即席儀式場。百数名の儀式要員と選りすぐりの魔法行使者たちで構成されたその隊列は、戦線の中でも後列に位置するエリアで、主に前線の各隊が急襲、奇襲を行いやすいように敵の鹵獲や速度低下、包囲といったバックアップならびにセーフティエリアやエナジーチャージエリアといった味方の援護といった様々な結界の起動、展開、そしてさらに後列への戦況の伝達なども執り行っていた。


 謂わば、陣営の要。

 少数精鋭の彼らが、目先には味方とその先に鎮座する宿敵たる王国を見据え、背後には此度の戦の本命ともいえる王国侵入部隊や情報操作要員、そのさらに奥に控える我らが愛し誇る帝国の主要都市。


 彼らは、王国が弄する小細工や最新を自負する魔工学の産物など、所詮は寄せ集めのガラクタに過ぎないと嘲笑っていた。無論、王国を侮っているわけではない。未知なる技術、十数年先をいかれた魔法文明に対する畏怖と敬意はある。だが、それ以上に彼らは帝国の、己が身を捧げた偉大なる大国の力を信じているのだ。

 その、過信ともいえる考えが酩酊であると一人でも気づけた者が居たならば、あるいはこれから起きる災厄を免れることは出来ただろうか。


 ――否、たとえ帝国が此度の戦線に動員した一〇〇〇万もの兵数、近隣諸国をものの数分で陥落させうるだろう怪物、術の数々をもってしても、「彼」を撃破出来たとはとても思えない。


『こちらオルトロス小隊、ドラグーン01より報告。探査術式のレーダーに対して未反応な物質を発見。巨大な白い繭であります』


 ……その報告が司令部に伝わることは無かった。

 ドラグーン01を名乗った魔導兵は、掌に刻まれた通信術式方陣に意思とマナを送り込み、再び通信を試みる。返答は、来ない。誰も応じる気配がなく、そもそも通信が伝わっている手応えすらない。


 彼の眼前には、辺りに建ち並ぶ廃墟を淡く照らす、白く輝く「眉」があった。

厳密に言えばそれは繭ではないのだが、目が潰されるのではないかというほどに強く輝く白い光が、繭のような形をしていたのだ。


 ジジジ……、とノイズが走る。

 まるで世界から隔絶されたかのような孤独と絶望が、魔導兵を襲う。

と、そこへ新たな通信が訪れた。


 それは同胞からのものではなく、敵兵からの機械仕掛けの、無機質なメッセージ音声だった。


『我々は役目を終えた。後は帝兵諸君の働きを見守るとしよう』


 挑発にしてはあまりにも意味が無く、子供じみているとまで思わせられるそのメッセージは、しかしすぐに遊びではないと悟る。


 仲間からの反応が、消えていた。


 耐魔、耐衝撃の二種類の防御術式がエンチャントされた鎧と、その兜。白と金をメインとした豪奢な帝国騎士たる装備に組み込まれた常時展開型の戦況把握リマインダー術式は、装備者の意識にマナとマギラインを介して方々の戦況や大まかな隊員の安否を伝えてくれる。


 それが、完全にシャットダウンされてしまっているのだ。


 目と鼻の先で不気味に蠢く、繭の仕業か。それとも、これが、敵勢力が即時徹底するほどまでに威力の高い、もしや「広範囲魔粒子爆弾」や「首都直撃型マナドレイン」の発動の予兆か。


 何にせよ、これは徒労だった。

 今、目の前で胎動している白亜の繭が何なのか、それを考えること自体、無駄な行いだった。


『――シークレットコード〈ラプラス〉、起動。内包者のマナエネルギー残量、ならびに魔殿直結マギラインをオーバータスクに移行。魔殿第三階層「ロード・ルミナス」強制解放。オールクリア、オールクリーン』


 繭が、瞬く。

 今にも内側から何かが羽ばたこうとしているかのように。

邪悪な、産声が、聞こえる。

 やがて、


「あ……」


 繭が開き、白い翼をはためかせた「子供」が現れた。朧なシルエット。だが子供ということだけは分かる。自分も、ちょうどこのくらいの娘を持っているから、嫌でも、分かる。

 翼は白い薔薇の花弁が連なって出来ていて、その子供の腹部には箱舟のように見える紋様が刻まれていた。


「こちら〈ラプラス〉、」


 冷ややかに、紡ぐ。


「対象を『竄破』する」


 閃光が、迸った。 

 目が焼き切れたのではないかと言わんばかりの、強烈なフラッシュ。

 咄嗟に顔を庇っていた腕の感触に、今更気付く。そして敵に致命的な隙を見せてしまったことに不覚を悟り、腕をどけて魔法剣の切っ先を向けるまでに何秒要したかは不確かである。だがここで背を向けてしまっては誉れ高き帝国騎士の名が――、


 ――と思考を巡らせたところで、「そんなことはどうでもいいからさっさと逃げろ」と脳に警鐘が轟く。


 ドラグーン01は身を硬直させた。


 誉れ? 誇り? 騎士道? 護国? ……そんなもの、一体何になる?


 意識せずとも、焦点が目の前の少年に固定されたままの両目が、その端が、辺り一帯に広がっている有り得ない光景を捉えてしまう。おぞましい、ともいえよう。明らかに、人智を――それこそ、魔道という超常たる事象すら軽々しく凌駕してしまうような、言うなれば、厄災。

 仲間は生きていた。それが肉眼で視認できる。他の隊も殆どが生き残っている。それが肉眼で視認できる。自分もまだ、無事だ。それが肉眼で視認できる。


 では、なぜ「廃墟が建ち並ぶ場所」で大勢をいっぺんに視認できるのか。

 全ての廃墟が、巨大な「爆弾」と化していたからだ。


 爆弾。

 そう、爆弾だ。

 閃光が瞬くや否や、数えることすら馬鹿らしいぐらい建っていた廃墟が、一斉に、爆弾へと姿を変えたのだ。


 死角が消えたことにより互いの姿を捉えている仲間たちの、言葉にならない恐怖と驚愕が、装備に内包されているリマインダーを介して響き渡る。

 伝染する、強烈なまでの、戦慄。


「改竄、成功」


 その言葉を、少年の眼前に居た男は忘れない。いや、忘れないことに特に意味はないのだろうけれど、心の奥深くに刻み込まれた筈だから。


 目に見える全ての廃墟を、爆弾に、改竄した。書き換えた。


 自然、笑いが込み上げてくる。


 どうしようもない局面に立たされた時、人は狂ったように笑ってしまうという。

 それが今だ。


 勝算は今ここに消えた。戦術もクソも無く、帝国が掲げる、古くを重んじ誇り高き強者たれとかいうスローガンもここでは意味をなさない。


 ドラグーン01は、この時初めて、敵に背を向けて逃げ出した。方々では術者の負担も考えずに必死に大規模術式を編んだり、何を血迷ったのか多種類の魔法を纏って特攻しに行ったり者が居た。


 彼らのような者が一割だとして、他の九割の騎士は逃げ出した。

 命が惜しいとか、敵がヤバすぎるとか、そういった理屈は存在しない。

 ただ、野生の獣が偶然鉢合わせた相手に怯んで反射的に逃げ出すが如く――ただひたすら、走った。逃げた。腕を振るって、高性能且つ強靭な鎧を重くて邪魔であると思ってしまうぐらい、一所懸命に走って、走って、走った。


 白光が、瞬いた。

 死の予兆。

 音と色が消える。


 ああそうか、と、帝国の騎士は思った。

 王国は「あれ」があるから、少数精鋭で挑んだのだ。帝国の本命たる本土侵略も全て見透かしていて、しかしそんなことはどうでもいい、どうせお前らはそこで死ぬのだからと嘲笑うかのように、今、王国が望んだ通りの結末が実現している。

 そしてあの少年が本当に色んな物事を好き勝手に書き換えてしまうのなら、そもそも鎧に付与された術式や陣営の中枢である儀式連隊も意味をなさなかっただろう。


 何せ。

 多くの兵があの繭を見つけていた筈で、しかし、誰も、その連絡をよこさなかったのだから。

 観察されていたのだろう。観測されていたのだろう。


「初めから、我々など相手では無かったのだ」


 虚無感と共にそう呟くや否や。

 

 戦場が、真っ白に染まる。


 道理、摂理、倫理を容易く「改竄」という魔の力で歪ませる。


 相対者の心を簡単に曲げ、ともすれば世の事象すら捻じ曲げかねない悪魔の力。


 一〇〇〇万を超える帝国軍を、たった一人の少年がものの数秒で滅ぼした此度の出来事。


 ――「歪曲の悪魔」と呼ばれる魔術師、その初陣である。


■■■■


あとがきコメント


ドラグーン02(――書き換え=リライトと光=ライトで掛けた、ということか……?)

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