第9話 映像劇シナリオ「36.5°」後編(終)


〇台所。(朝)


  美空、優海の遅い朝食を作っている。

  優海、来る。目を擦っている。


 美空「起きたね」

 優海「お父さんたちは?」

 美空「もうとっくに出かけたよ」

 優海「そう……」(あくび)


  優海はそのまま立ち尽くす。

  美空の包丁の音、軽快に響く。


〇居間。(朝)


  動物図鑑、星の本、テーブルの上に置かれている。

  優海、本を開く。


 優海「これ、何?」

 美空「昨日、お父さんが優海に買って来たとよ」

 優海「本当ね!」


  優海、動物図鑑の頁を捲る。

  アフリカゾウや、ライオン、キリンの絵。

  美空、優海の様子を見て、ホッとしたように溜息を吐く。


  ★ ★ ★


  優海、肉食動物が草食動物を捕食している絵に見入っている。


 美空の声「じゃあ、買い物行ってくるけん。帰るまで、ちゃんと家におらなんよ」

 優海「うん。アイス食べたい」

 美空の声「はいはい。じゃあ、行ってくるけんね」


  ドアの閉まる音。


〇自転車置き場。


  美空、自転車に乗り、出て行く。


〇三秋家居間~寝室。


  優海、図鑑を手に行ったり来たりしている。

  図鑑には、相変わらず肉食動物が草食動物を捕食している絵。

  風鈴の音。

  優海、窓に目をやる。

  差し込む光。風に揺れるカーテン。

  優海、窓へ。

  外を眺める。


〇窓からの眺め。


  公園では、子供達がはしゃいでいる。

  ぼんやり見ている優海。

  優海、自分に軽く拳骨をして、居間へ戻る。


〇同、居間。


  優海、再び図鑑を開く。

  外を気にしながらも、視線は図鑑に釘付けとなる。


〇自転車置き場。(夕)


  美空、自転車の籠に買い物袋を入れて帰って来る。


〇三秋家玄関。


  美空、入って来る。


 美空「ただいまあ」


  返事は無い。


 美空「アイス買って来たよお……」


  返事は無い。


 美空「……!」


  美空、慌てて靴を脱ぎ、中へ。


〇同、居間。


 美空「優海!」(入って来るなり)


  優海、居る。図鑑に見入っている。


 美空「なんね。居るなら返事しなっせよ。びっくりするでしょう」

 優海「……」

 美空「優海?」

 優海「お母さん」

 美空「なんね」

 優海「犬とか猫とか、死んだら悲しい?」

 美空「……別に、悲しくはないけど」

 優海「なんでね!」

 美空「だってお母さん、犬も猫も好かんもん」

 優海「じゃあ、うさぎは?」

 美空「別に」

 優海「なんでね!」

 美空「なんでも。動物好かんもん」

 優海「じゃあ、僕が死んだら?」

 美空「……何言いよると。悲しいに決まっとるたい」

 優海「……なんでね」

 美空「……なんででもたい」


  風鈴、夕風に揺れて鳴る。


 美空「アイス溶けるよ……」


〇夜の公園。


  街灯。公園には三人の若者達。

  花火をしてはしゃいでいる。

  花火は手持ち花火。

  小さな打ち上げ花火、上がる。

  火花が砕け散る。


〇寝室


  優海、布団の中。

  花火の光が部屋の壁に反射している。

  優海、壁をぼんやり眺めている。


〇居間。


  陸男、つまみを食している。美空、来る。


 美空「優海、喜んどったよ」

 陸男「ああ、絵本か」

 美空「今日は珍しく大人しかったとよ」

 陸男「そうか。じゃあ、明日は何処か連れて行ってやろうかな」

 美空「ああ、それなら照子が海ば見たいってだけん、海に連れて行って」

 陸男「海か……」


〇海へ向かう県道。(午前)


  陸男の自動車、疾走する。


〇同、車内。


  車内は窓が開いている。

  優海と照子は後部座席で風に吹かれている。


 照子「まだね?」

 美空「まだよ。待っときなっせ」

 照子「早く着かんかなあ」


〇郊外の道。


  陸男の自動車、走り抜けて行く。


〇海辺の道。


  陸男の自動車、停まる。


〇同、車内。


  陸男、後部座席に目をやる。


 陸男「着いたぞ」

 優海と照子「ヤッホー!」

 美空「山じゃないとよ。海は、山彦さんはおらんとよ」


〇浜辺。


  優海と陸男、海水パンツ姿で海へと駆けて行く。波打ち際に辿り着き、はしゃぐ。

  照子も、水着の上にTシャツを身に着けた格好に白い帽子を被って、遅れて走ってゆく。

  美空、Tシャツ姿で三人を見ている。


  ★ ★ ★ (夕方へ)


  美空、レジャーシートに座り、一人で海を眺めている。

  辺りはもう、夕方。


 優海「お母さーん」


  優海、手に何か持って走って来る。


 優海「ほらあ!」


  優海の手にはヤドカリ。


 美空「きゃ。何するとね」

 優海「いっぱい捕まえたけん、お母さんに一匹あげる」

 美空「ちょっと、お母さんはヤドカリ要らんけん。お父さんにあげなさい」


  美空はヤドカリを怖がる。


 優海「……」


  優海、ヤドカリを投げ捨てる。


 美空「優海、生き物に意地悪したらダメでしょ。死んだらどうすると」

 優海「いいたい。死んだって、僕、悲しくないもん」

 美空「ヤドカリもあんたと同じ。生きとるとよ。死んだらもう、動けんようになるとよ? 優海も嫌でしょう」


 優海「だってお母さん、ヤドカリ好かんでしょう」

 美空「だけんなんね」

 優海「なら殺したって良いたい」

 美空「優海、何て事言うと……」

 優海「お母さんも、動物死んでも悲しくないって言った」

 美空「でも、駄目な事は駄目。解るでしょ」

 優海「だって僕、悲しくないもん」

 美空「馬鹿ね。生きてるっていうのは、そんな簡単な事じゃないとよ。優海が死んだらお母さんも悲しいと。ヤドカリのお母さんも、ヤドカリの子供が死んだら悲しいとよ?」


 優海「なんでヤドカリはいかんと」

 美空「ヤドカリだけんじゃないと。可哀そうでしょう」

 優海「なんで」

 美空「なんででも」

 優海「だってお母さん、いつも肉食べよるたい」

 美空「お母さんはそんな事言ってるんじゃないと。むやみに殺したら駄目って言いよると。食べる事とは別だけん」


 優海「だけん、なんでね!」

 美空「なんででも。何回も言いよる」

 優海「なんで」

 美空「兎に角、殺すのは駄目」

 優海「なんで――」


  美空、優海に平手打ちをする。


 美空「…………」


  優海、ヤドカリがいた辺りを蹴散らす。


 美空「やめなさい。なんでそんな事……!」

 優海「後で食べればいいんでしょ!」


  美空の顔に絶望が浮かぶ。


 美空「優海!」


  美空、優海を強く抱きしめる。


 美空「優海……」


  美空、暴れる優海を抱きすくめ続ける。

  その顔には不安がある。

  美空、もがく優海の耳を胸に押し当てる。

  間。

  風。


 優海「……」


  優海、やがて体の力を抜く。


 美空「……聞こえるね…………」


  美空の声は震えている。


 優海「……」


  二人は動かない。

  風、強さを増す。


〇同、浜辺。(二人のバストショット)


  砂浜で抱き合う美空と優海。

  カメラ寄り。優海のアップへ。

  優海の瞳には、夕日が反射している。

  優海、やがて目を閉じる。

  美空、優海に心臓の鼓動を聞かせ続ける。

  美空、泣く。



  徐々に暗転して、黒一色へ。



  闇だけの映像に、波音だけが残される。

  波音、三十秒後にフェードアウト。


  エンドロールへ。






             おしまい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る