第二話 魔法発動!



 意気揚々と朝日に身をさらすイデアの顔は希望に満ち溢れている。そしてテントから離れ、適当な場所に立ち止まり“フンス”と気合を入れ、目視でターゲットとなる小石の座標を測る。

 脳内で構築されたのは、測量の計算式である“三角関数”だ。日本の中学生時に学ぶ数学の基本関数である。

 日本の中学生達を悩ませた呪いの言葉“sinサインcosコサインtanタンジェント”の三つ。厳密には三種ではなく六種ある。

 残りはsecセカントcscコセカントcotコタンジェントで、先に述べた“フーリエ級数”と“フーリエ変換”の理論。

 他に“べき乗”exponentiationや“逆関数”も構築している式の中にあるのだが、此処は割愛する。


 網膜から得た資格情報は微細な魔力でも掌握は可能であった。あっさりと出来た時、若干の戸惑いが出たのだが、それを抑えつつ“アルマン・フィゾーの光学実験”が元になっている“光波測距義”に依る方式での“測量法”で瞬時に座標を割り出し、その座標を先程出来上がった魔術式に組み込む。

 仕上げは、完成された“式”を速記文字に変換。


 (良し、後は“書くだけ”よ。口内で術式を“速記”で……む、難しいな。でも頑張るっ! やり遂げるんだ)


 瞼を閉じて、脳内で“計算式速記文字”を思い浮かべ、魔力を使い舌先で、速記。それを書く。


 一回、二回、三回と失敗。四、五、六回目も失敗。


 (………大丈夫、式……術式は完成してるんだ、魔力も足りる。あとは舌でちゃんと速記が書きあがれば発動する……筈)


 舌が疲れて休憩を挟みつつ、完璧に書き上がるまで集中して鍛錬を続けていく。時に動かし過ぎた舌が痙攣を起こして何とも云えない痛みに耐えながら休憩を挟んで、口内で“速記”で書き続けた。



 ◇



 その後も只管ひたすらに書き続け、何百回も書いた。……そして陽が真上に来た頃、書き上げたと同時に呼吸を介して体内に取り入れられた魔素のエネルギーを摘出。出来上がった術式・・・・・・・・と大気中から摘出されたエネルギー+赤子同等しかない僅かな自分の魔力を放出予定座標へ放つ速記式は拙いながらも口内で形を成し、完成する。


 驚きを抑えつつ、脳内で術名を“言う”『火玉ルーブ・エリフ


 計算された答え・・が出現する。

 イデアから一メイト先に「ボッ」と直径五チメイト程の火の玉が出現し、これも指定した座標にある小石へ向かって矢の如く飛んでいき、それに命中する。


 「……やった…で、出たよ、出来ちゃったよ。……ははは……あははは、ぐすっ、わ…私もやっと……やっと“力”が使えたよ。あは、あははは…はははは、ぐすっ」


 彼女の瞳から零れ落ちた大粒の涙は熱く、そして目の前に出現した火の玉はもっと熱く感じられた。が、元々魔法が使えないと激しいコンプレックスを抱えた彼女の内に閉じ込められていた哀しい感情を解かすように、その歓喜と哀愁の涙はイデアにとってとても心地良い熱さだった。


 “新たな魔法の概念”誕生と云うべきか、その概念を名付けるのであれば『イデア論』そう脳裏に浮かんだ言葉に三度目の苦笑を浮かべ、また泣き笑いをする翔太朗ことイデアだった。


 それから気の済むまで幾度となく『イデア論』魔法を使い、そして確実に使える事を実感するとイデアの眦から再びツ~と涙がこぼれる。念願の魔法を行使する事に喜びの感情が涙となって見る見るうちに溢れ出す。


 「でぎだよ~…わだじにも、づがえだよ~…………えぇんぇんぇん、え~んぇんぇんぇん」



 生まれて十六年間、周りから「お前は使えないヤツ」だの「将来、娼婦くらいしか職はないんじゃないの?」や「生活魔法すら使えない女は嫁にも行けないなぁ」と通常の魔力を持っているのにも関わらず、魔法も使えない輩達から蔑まれた日々。

 特に、冒険者ギルド内で疎まれ続けても己が身一つ、剣一本でフォースターランクまでのし上がったイデアの苦労は並大抵の努力ではなかったのだ。

 もしも、イデアが肉体強化を使える魔力量があったなら、その実力は一流と云われるシックススター冒険者に、十六歳の若さであっても成れていただろう。


 そんな悔しい思い出、辛く厳しく臍を噬んできた毎日が報われた瞬間だった。


 今、彼女の視界は歓喜と哀愁の涙で滲んでいて、その嗚咽は魔法が使えるようになった彼女の“産声”であるかもしれない。



 「うぅぅ……ぐすっ、うえ~ん。ひっく、ひっく、う~え~んぇんぇん」



 ◇



 三十セジは泣いていただろうか、生まれたての赤子のように、只管に泣き続けるイデアに偶々通り掛かった顔見知りの冒険者の少女が声を掛けてきた。


 「ね、ねぇ~、イ、イデア? どうしたの? 何かあったの?」


 声を掛けてきたのはイデアの数少ない気の合う冒険者であり、親友のマリア・テレスだった。


 「マ、マリアァァァ。わだじぃぃわだじぃぃ……えぇぇぇぇぇんぇんぇん、えぇぇぇぇぇぇぇん」


 「ちょっ、どうしちゃったのよイデア。しっかりしてよ!」


 マリアはイデアの肩を掴み前後に激しく揺さぶるも、膝立ちでガン泣きのイデアは喉ちんこを見せたまま泣きじゃくっている。


 「あぁ~~~もうっ、埒が明かない。精神安定リーハ・ラットネム


 お手上げ状態のイデアに初級精神系第二階位魔法のリーハ・ラットネムを掛けるマリアは、徐々に落ち着きを取り戻すイデアを立たせ、そしてそっと抱きしめた。


 「えっぐ…えっぐ…うぅぅ…えっぐ」


 「よしよし、イデア落ち着いて」


 身長がやや平均より低いマリアが長身のイデアを抱き寄せるが、見る人がいればマリアの顔はイデアの胸に押し付けられている所為で、ユリユリな場面に見えたであろう。


 落ち着きを取り戻しつつある友人の背中をさすり、ゆっくりと石椅子に座るように促す。


 「もう、こんな街道で大泣きしているアナタを見つけた時はびっくりしたわよ。何事か! ってね」


 泣き止んだイデアは恥ずかしそうにモジモジしながらマリアに謝る。


 「ご、ごめん。ちょっとね、悲しくて泣いてたんじゃないんだよ。嬉しくてね、凄く嬉しくてね」


 そんなイデアを見つめるマリアもフォースターランクの冒険者で、年もイデアと同じ十六歳。

 モスグリーンのボブカットに、碧眼の大きな瞳。腰についの短剣を差している彼女の職業は“自由オールラウンダー

 剣術・魔術・槍術・弓術に索敵と多才であり、パーティーメンバーの中堅を担う職業だ。


 これから成長するであろう体形のマリアの身長は百四十三チメイト(一チメイトは一センチと同じ)で、一部の冒険者たちからYLイエスロリータNTノータッチと言われており、彼女にとって不愉快なファンクラブがあると云う。


 「落ち着いたかな?」


 水筒を差し出し労わるマリアの声に、コクリと頷くイデア。


 「うん、ありがとう。もう落ち着いたよ」


 渡された水筒の水を一口飲んで“ふぅ~”と息を吐てから背筋を伸ばし何時もの調子に戻るイデアにガン泣きの理由を聞きたいマリアだったが、臨時のパーティーメンバーが見当たらない事に不安感が込み上げる。


 「ねぇイデア、臨時で組んだ“コヨーテの牙”の人達が見当たらないんだけど。何かあったの?」


 親友の言葉に昨日までの事の説明を始めると、みるみる内にマリアの顔が憤怒の形相へと変わっていく。


 「ちょっ、マリア」


 「あのド畜生共めぇ!」


 怒りに魔力が全身から溢れ始めたマリアに「まぁまぁ、最後まで聞いて」と両手度頬を挟み、自分に目線を合わさせるイデア。


 激怒している親友に、もう奴らは地面の下にいるからと顛末を告げると何とか怒りを堪える事が出来たマリアに対して、奴等の武器・防具と服なども回収しており、強姦を立証できる“体液”も付着しているのだと、顔を顰めながらバッグを指さす。


 「まぁ、ブツがなくても冒険者カードの“賞罰欄”に浮かび上がるから問題はないとは思うけれど。一応、証拠ブツがあれば査問会も時間かからないだろうからね」


 「相変わらず、神経の図太さには脱帽するけどさぁあ。あたしだったら暫くショックで動けないと思う」


 苦笑いのイデアの言葉に少し引きつった笑みで返答するマリア。


 イデアの踏ん切りの良さは今に始まった事ではないのだが、自分に置き換えて考えてみると女性としてはトラウマになってもおかしくはない経験だとマリアは感心と呆れとを含んだ笑みを浮かべるのが精一杯だった。




 それから小一時間デジマほど話をしたところでマリアが言う。


 「じゃぁ、移動は…ちょっと待ってね。私のデミハウンドを呼ぶから」


 チャッと立ち上がったマリアが呪文を唱える。


 「盟約のもとにある獣魔よ、我の前に馳せ参じよ“従魔招喚ノイタック・オブモック”」


 今回は、イデアの分も呼び寄せる為に初級招喚系第三階位魔法を“二重エルブド”で唱えたマリア。その掌から浮かび上がった二つの青白い光を放つルーブが、森の方へ飛んでいく。


 「マリア、ありがとう。凄く助かるよ」


 「いいえ~、街に帰ったらウサギの尻尾亭で晩御飯奢ってね」


 お金はいらないから飯をくれと振り向き様にニカッと笑うマリア。


 「私…今回、無報酬なんだけど…まぁ、蓄えはあるから歩くことを考えれば『ラッキー』だよね」


 「そそぅ~ん? …『らっきー』って何?」


 (あ、日本語が出ちゃった………う~ん、どう誤魔化すか…)


 「え~と、前に聞いた事があってね。迷い人が使う言葉で“幸運”って意味らしいよ」


 咄嗟に出た言い訳だが、いぶかしむマリアの顔が怪しいと言っている。


 「へー、ソウナンダー」


 (不味い、他に言い訳しないと…マリアって凄く感がいいからなぁぁ)


 「うん、迷い人達が使う魔法って特別だって聞いたから、ちょっと情報をね。私でも使える魔法がないかなぁって」


 「…………そっかぁ。魔法…諦めたらそこで終わりって言ったのはワタシだからね。イデア、頑張ってるんだね」


 疑いつつも自分の助言がそうさせたのかなと思ったマリアは、いつのも優しい微笑みに戻っていた。


 (でも、どうしよう…もう一人の自分翔太郎の事を話したら怖がるかなぁ、避けられちゃうかもしれないなぁ…………なんだろな)


 獣魔を待つイデアの背中に、心の中でマリアは自答自問する。イデアの雰囲気の変化に気づかない振りをしているマリアも、どう切り出そうか考えていた。


 (街に着くまでに考えれば………晩飯の時に、それとなく聞き出してみようか)


 そんな事を考えているイデアとマリアの耳に『ウォーン』とデミハウンドの遠吠えが聞こえると、ダッダッダッダと足音が近づき、あっと云う間に二匹のデミハウンドが彼女たちの前までやって来た。


 「ハッハッハ」

 「ハッハッハ」


 体高、百五十チメイトで柔らかそうな若葉色の毛が特徴のデミハウンド。魔獣ではあるが、契約獣としてネスタリア王国ではポピュラーな人懐っこい魔物だ。近年では魔物から除外し、益獣として受け入れるべきだと冒険者ギルド傘下の従魔ギルドがオールギルド総会に議案を提出している。


 理由の一文には“主従の首輪”を付けていれば街の中にも入れる程に大人しい性格で、足が速く、争う事を避ける珍しい獣魔のデミハウンドはパートナーと云っても過言ではないと書かれている。

 地球での人と犬の関係に近いと云えば判るだろう。



 「さ、プラントンに帰ろう。この子達はコヨーテホースより早いよ~」


 身長の低いマリアはデミハウンドに屈んでもらい、さっと跨れば。長身のイデアは、ひょいとジャンプしデミハウンドに負担の掛からない様に柔らかく跨る。


 「うん、早く帰ろう」


 ニコリと笑みを交わし、それぞれのデミハウンドの背中を一撫でし「よろしくね」と挨拶をして、デミ獣魔へ移動の命令をして帰路に就く二人だった。







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