第一話 歓喜と哀愁の涙
現在、イデアが歩を進めるはソーマ山脈の麓、カロン領街道。
この領街道は、四大街道の一本の『エース・テル・イード』の支街道の一つで、『ネスタリア王国』の王都ヴァムと西の辺境の都市『プラントン』を繋ぐ大街道へ続いている。セイマラビリンスから一カロメイド(一キロメートル)位離れている湖レテンを経由していて、別名:
王国の他の大街道は、東に『ステ・イル・ウーク』南へ『トズン・ハイ・サルーン』北は『サノ・オヴァ・グーン』
一世紀掛けて整備された四大街道は、この国が誇る地整の一つでもある。
イデアは今回のアタックの反省を一人脳内で行っている。
水牢の罠に嵌ったあの時、『あ、死んだ』と諦め半分だった事。しかも、逃れて出て来られたのがレテン湖と判明した時は『こんな距離をよく生き残れたのは幸運だった』の思いと『臨時とは云え仲間に襲われた時は、もう駄目だ』と恐怖に堪えながら、爆発した怒りの感情で己を奮い立たせ、四人の暴漢に打ち勝った事。
そして今はその小屋からも離れ、一人とぼとぼと街へ向かって歩いている事。
本来、考え事をしながらの移動は非情に危険ではあるが、激動の数日間を体験した彼女の思考はパンク寸前で、それらを整理して感情を落ち着かせる為には必要な作業でもある。そんな状態の彼女ではあるが、周囲への警戒心は怠ってはいない。それは一人が熟考し、もう一人が警戒をしている様で、あたかも
◇
帰る先は『オルネーオ公爵領』の北西に位置する、辺境の大都市『領都プラントン』
セイマ
ダンジョンで罠に
行きの移動は
魔力が微弱で魔法が使えないイデアからしてみれば魔法や使い魔の存在は、戦力と憧れを兼ね備えたとても魅力的な物だった。
“コヨーテホース”の移動距離は一日で人間の徒歩の二十倍。つまりプラントンからダンジョンまで日の出と共に街を出れば、昼までには目的地に到着する。従魔魔法の使い手の仲間がいれば、
「アイテムバッグがなかったら
肩を落とし、力無さ気にとぼとぼと歩く彼女が担いだリュックサックは『アイテムバッグ』で、自分の持ち物や奴らの武器や物資は全てバッグの中に入っている為に身軽ではあるのだが、徒歩のイデアのこの疲労は、主に精神的な疲れと云える。
そんな彼女の背負うアイテムバッグは非常に高価であり、本来であれば一般人や低ランク冒険者、しかも
そんなアイテムをイデアが手に入れる事が出来たのは、領主オルネーオ公爵が年に一度行う「
このアイテムバッグは『血の盟約』を交わした人間、
買えばネスタリア金貨二十枚はくだらない魔導具であり『
因みにセヴンスタークラスのアイテムバッグの容量は荷馬車(二メイト×四メイト※一メイトは一メートルと同じ)三台分で、重さは十トゥース(十五トン)まで入る。
生き物が入れられるアイテムバッグはナインスターのスペシャルランク以上のアイテムバッグで『スーパーランク(イレヴンスター)』の場合、荷馬車五十台分に重さは千トゥースの容量の他に『ロッジ機能』を持ち、人間であれば百人、体長三メイトのオーガの死体でも五十体くらいであれば余裕の収容空間を誇る。
しかし入手するには最安値で白金貨四枚、金貨で換算すると五千枚弱。現在のネスタリア王国では王族と将軍達が所持している三十個。確認されている物は、世界で百八個があり。これも各国の王族や重要な身分・役職に就いている者が殆どで、数人のトップスターランクの冒険者が所持していると云う。
上には上があるとは云え、イデアの持つセヴンスタークラスのアイテムバッグもそれなりの希少価値であり、値段と言えよう。
この様な|魔導具は魔導士が作成したアイテムで、世界で十人の魔導士が確認されているのだが、殆どの魔導士は俗世を嫌い、隠遁生活をしていると云う。
これも彼等魔導士を利用しようと群れる特権階級の者達から身を守る術であるし、大半が変人であるので、単に人付き合いが面倒と思うのが“魔導士”の特徴だからか、気まぐれに作成された
一般的に普及しているアイテムは「魔術具」「魔法具」と分類されるが、研鑽を積んだ一般人でも作れるシロモノを云う。
魔法を極めた者、即ち「魔導士」がいて更にその上に位置付けられているのが『魔導師』である。
その極めし者達が作る道具は、人の世に於いて多大な影響を及ぼすのである。
簡単に説明するとしたら、魔法具や魔術具は安価で魔導具は非常に高価なアイテムなのだと云っておこう。
ここで、このネスタリア王国の通貨を説明する
単位は“ダーマ”で、貨幣は半銅貨、銅貨、半銀貨、銀貨、大銀貨、半金貨、金貨、大金貨、半
半銅貨一枚で一ダーマ、十ダーマで銅貨一枚。半銀貨は五十ダーマで、百ダーマで銀貨一枚となる。
千ダーマで大銀貨、一万ダーマ金貨となっていくが、聖金貨だけが飛びぬけていて、金貨五千枚の価値になっている。
ネスタリアの物価は、一ダーマでオグニル(りんごの様な果物)が二個、買える。宿屋も一泊朝飯付きで領都では十八ダーマ、中規模の都市なら十六~七ダーマ、村での簡易宿なら十ダーマも出せば十分に足りる。
プラントンでの一般人の一日の平均の稼ぎが百ダーマ。商店ギルドに所属する店舗の平均売り上げが二千五百ダーマ。
普通の生活をする一般人が、銀貨・大銀貨等の貨幣を見る機会は少ないと言って云いだろう。
冒険者でも、運良くダンジョンアタックで手に入れたアイテムに高値が付けば大銀貨一枚くらいなら手にする事があるのだが、大半は二百ダーマで銀貨二枚。運よく稼げても四百ダーマ、銀貨四枚稼げたら大成功である。
しかも、今回のイデアは仲間の裏切りと云うか強姦されそうになり身を守るだけで終わってしまった。
収益は……加害者達のアイテムを売り払えばそれなりの値段にはなるのだが、今回の事件の証拠物品として提出する事になる為、即金の稼ぎは
小屋で一日を過ごして早朝に出発し歩き続けて現在、五
「あぁぁあ゛ぁ゛ぁ゛゛ぁ゛も~~~むしゃくしゃするぅ、あんの糞野郎共め! 罠に嵌るわ、アイテム無くすわ、おまけに襲って来るわ、碌なモンんじゃないわっ、もう踏んだり蹴ったりよ。
イデアは、他に利用者がいないのを確認して、感情のままに声を荒げ、悪態を吐き、悔しくて地団駄を踏む。
ダンジョンで集めた高価なアイテムは罠に嵌った時に全て失い、危うく処女迄失いそうになった。
そして帰りは徒歩で歩け歩けの五
頑張って歩けば、夕方にはここから一番近い宿場町に着いて宿屋に泊まれるかもしれないが、懐も心許ない。今回の戦利品を当てにして、それなりの準備にお金がかかってしまっているし、危うい体験をした挙句に自分はイデアであって翔太郎でもある。しかも
「なんだろな…私? 俺?」
アイテムバックからテントを出して、野営の準備を手早く済ませ、野営地に設置してある石椅子に腰かけて再び自分自身の身に起こった変化を考える。
翔太郎の記憶と経験は間違いなく“
「『マジダリィ~』…………え? どこの言葉だ?」
イデアがポツリと吐いた言葉は、この国の言葉ではなかった。そう『日本語』で
この五
「十六歳の女の子なのに、四十九歳のオッサン?」
金髪ポニーテールのイデアは、モノ悲し気に憂いている。
「私…男だったんだ………………じゃなぁぁぁぁぁぁぁいっ! 私は『ピッチピチ』の十六歳の乙女なのよ! あれ『ピッチピチ』って………ニッポン語? ………はぁ」
そこでふと思い出す。
「あれ、ニッポン語って…………迷い人が使う言葉だ。ちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待って」
眉間を右手の指で揉み解し、一生懸命に記憶の糸を手繰り寄せるイデア。
「う~ん・・・・・・迷い人ってニッポン、異界からの転移者でいいのかな……『マジか』……『つーことは、ファンタジー万歳系でマジぱね~、迷い人っぱね~』な訳ないじゃん。何なの、コレ? どうゆう状態?」
所々が日本語になっているのに気付かずに考えに没頭する。
もしこの場に人がいたら、半笑いのイデアは気でも触れた様にも見えただろう。それくらいに情緒不安定になっているのだが、本人は気づいていない。ここに他人が居ないのは彼女にとって、今回の不幸続きの中で唯一の幸運だったのかもしれない。
「じゃぁ私って…転生し………
腕を組んで首を捻る女の子は、
彼女の身長は、百七十三チメイト(一チメイトは一センチ)は十六歳の女の子の中では群御抜いている。本人のコンプレックスの一つである。
可愛いと思った服は殆ど似合わないし、遠目では男と間違われることも日常茶飯事なのだ。その日常を払拭したくて髪の毛を伸ばし、ワザとポニーテールにして“私は女の子ですよ”アピールをしているイデア。
考え事に没頭するのは翔太郎の癖で、物事を深く考えるのは苦手であるイデアはどちらかと云うと即決即断タイプ。ただ、今は“考える事が必要”と深層心理で理解しているために、イデアも普段ではありえない『思慮する』事に違和感を抱かないでいた。
「…あれ、なんだろな…これって何? ……異界の概念? ……なのかな?」
脇に置いてある虫除けの魔石の淡い光が瞳に反射し、それが揺れた瞬間、思考の海へ深く潜っていたイデアが『何か』に気付く。
◇
イデアの世界『プシューケ』では魔法が存在していて、魔力を使う者は数多くいる。
しかし、イデアは魔力値が生まれたての赤子同然の量しかなく、冒険者になれたのだが、職業は「剣士」一択しかなかった。
唯一、剣士だけが魔力が乏しくても彼女が成れる職であった。ただ、剣士の中でも肉体強化に魔力を使う必要があるのだが、イデアに関しては「鍛えれば問題なし」と日々の鍛錬を疎かにすることはなかった為に、一部の冒険者達からは「イデアに勝てる同世代の冒険者は男であってもまずいないであろう」と恐れ慄く者と一目置く者に分かれており、ファイヴスター以上のランクを持つ冒険者達やギルド職員とギルド長は期待を込めて一目置いていた。
だが、翔太郎の知識が芽生えた今。今まで試してきた魔法訓練では無理であったが、他にも手段は存在するのではないか? と思い始めていた。
「
翔太郎の知識が告げる“概念”とは、地球の知識があってこそ、この世界で成り立つ“力”の一つであろうと結論付けた。
「物理法則にエレルギーの概念……りょうしろん? 一般相対性理論、特殊相対性理論」
少しずつだが、新たな知識に笑みがこぼれ始めているイデアは更に知識の欠片を次々と拾い上げていく。
「『原子』…『電子』…『量子』…『素粒子』……『振動』……『熱力学』……『エントロピー』……何となくだけど少し判った。それならその“概念”とやらと
幼い頃から魔法を使いたくて、周りから無理だ、無駄だと揶揄されても、一縷の望みに掛けて
まさに全てを試してみた
だが今は、その知識と教練教訓が呼び水となって、新たな
魔法を行使する場合、呪文に限らず、多種多様な仕法がある。
その中で翔太郎の知識で探り当てたのが魔力を使い呪文を書き出す「
「空書」とは、体内の魔素を循環させ指先から微量の魔力を放出して空中に魔法の呪文を書き出し、魔法現象を起こすモノで、上級者は口内の舌で空書を行う高等技術で魔法を放つのである。
だが、常人以下の魔力しかないイデアでは呪文を書き終える迄の魔力がない為に空書を完成させる事は不可能。故に翔太朗が知っている「書」の知識が、それを完成させる可能性に気付く。
所謂「速記法」である。
文字であって文字で無いと言う人もいる。暗号であり、へんな記号に見えるソレは地球の各国でも存在している文字である。
そして、この世界に訪れる「迷い人」と、転生者と言われる「稀人」の存在が、地球の概念がこの世界でも通用すると云う確信へ繋がっている。
指先での空書は今のイデアでは出来ない。しかし、彼女の執念と云う魔法行使をする為の経験が
上級者が取得している口内空書を極小魔力のイデアでも使えていたのである。ただ、これも魔力不足で完成までには至っていなかったが、『現在の
そして
それは「法則計算式」
これは翔太朗の好みと云うか、
それはラノベやアニメ等の設定で「イメージが詳細であれば魔法は増大する」や「レベルがある異世界」といったもので、彼は、このゲーム的設定がどうしても許せないタイプだった。
「イメージが魔法への絶大な影響を及ぼす」なんて莫迦が考える稚拙な設定にしか思えず、理工学部出身である翔太朗からしてみれば「おこちゃま
「全てにおいて、数式は必ず当てはまる」が彼の信条で、半導体製造会社に勤めている翔太朗は、それを遺憾なく発揮し設計部への貢献が評価され、結果として「回路設計部課長兼部長代理」の役職に就けたのである。その職歴が彼のモットーを強固にしたと云えるだろう。
なので、彼の中で「読むだけ無駄、観るだけ時間の無駄な作品」は数多くあり、知己の友人ヲタ達との口論も莫迦らしくなるくらいにしていた。
「駄作に時間は割かない」と云う、翔太朗の「ヲタ心得の一つ」である。
その面倒臭い拘りがここでも発揮される。
体内及び、空気中に漂う魔力の流れを感じ取り“自由電子”や“量子論”
そして小枝を拾い、地面にそれぞれの計算式を書いていく。数学莫迦と云われていた大学時代を思い出しながら苦笑を浮かべ、これまでの理論と計算式を元に“フーリエ級数”へ転用して“パーセルの定理”で計算術式を模索する。
食事を摂るのを忘れ、地面に書き出した式を消しては書き足している間に、陽は沈み夕闇が迫って来たところで
ここを含め、国内の野営場すべてに魔除けの結界術式が施された石碑が設置されていて、魔物に対して認識阻害の効果を
これは迷い人である人間が考案された
簡易食を摂った後、テント内で再び計算式を構築していく。
「う~ん、パーセヴァルの等式に……フーリエ定数にフーリエ変換……プランシュレルの定理で……」
ブツブツと言いながら、左人差し指で鼻の頭を掻く。これは没頭して答えが近くなった時に出る翔太朗の癖で、あと一ソースが加われば完成というサインでもある。
「体内魔力では多分足りないから、外部魔力……空気中の魔素……CO係数で……行けるか?」
そんなこんなで夜空に瞬いていた星々は朝焼けに溶けていき、太陽が昇る直前に“答えが出た”
「イケる? イケるのか? いいや、多分これでイケると思う。うん、先ずは検証だ」
思ったが吉日とばかりに顔を上げたイデアはテントを出て少し離れた場所でやる気漲る表情をし、仁王立ちで胸を張った。
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