第102話 裏話 フィリアナの元婚約者

 家から放逐された瞬間、正気に戻った気がする。自分は今まで一体何をしていたのだろう。

 人を物のように扱う父や兄が苦手だった。だから多少なりとも家族から離れられる婿入りを希望したのに。


 今さら正気に戻っても実家に戻れる訳も無く、戻りたくも無いので放逐された時に渡されたお金で移動し、お金があるうちに何とか仕事を見つける事が出来た。

 将来領地経営に役立てたらと思って学園入学前は真面目に勉強していたお陰で、小さな商会で事務仕事に就く事が出来た。


 必死で働いて生活が一先ず落ち着くと、色々なことが気になりだした。

 あの時私と同じ様にモモーナに夢中になっていた面々が、どうなったのかも気になりだした。


 自分と同じだったのか。それとも変わらずおかしいままなのか。

 商会に流れてくる噂で、全員が学園を退学したが、モモーナだけは学園を卒業したと聞いた。


 商会の人たちや近所の人たちに助けられながら今の生活にも慣れ、余裕が出て来た。そうなるとよくあの時の事を思い出す様になった。

 思えば、ライハルト殿下の側近に選ばれた頃から、記憶が所々途切れている部分がある。


 父の意向には逆らえないので、頃合いを見て側近を辞退すると私はフィリアナ嬢に言っていた。

 自分も本当にそうするつもりだったが、辞退を申し出た記憶もない。


 学園入学後は、何故かひたすらモモーナ嬢に夢中になっていた。それなのにこのままフィリアナ嬢と結婚し、伯爵家に婿入りするつもりだった。

 モモーナを愛人にするのも本気だった。婚約者に愛人との家を用意してくれと言うなんて、頭がおかしいだろ。


 あり得ない事ばかりを考えていた。だけど、当時はそれが許されると本気で思っていた。

 婚約破棄になった後も、父から伯爵位を貰えると信じていた。そんな訳ないのに。


 ある日、何気なく入った職場に程近いパン屋で、モモーナと再会した。モモーナはとても驚いていたが、私もとても驚いた。

 二年間見続けていたので顔が同じなのはわかるが、雰囲気が全く違う。もしかして、モモーナも……?


「……クラウス様は、正常に戻りました、か……?」


 恐る恐る問いかけて来たモモーナの言葉に、私は更に驚いた。

 店主らしき人が気を遣ってくれ、モモーナと二人で話をする事が出来た。


「私、学園へ入学した途端、頭がおかしくなっていたんです。今までの自分からは考えられない、別人の様な考えの元に行動をしていました。それがライハルト殿下の婚約を聞いた途端、正気に戻ったと言うか、何と言うか……上手く言えないんですが」


「いや、わかる。私はライハルト殿下の側近候補に選ばれた頃から記憶にあやふやな部分があって。学園に入学してしばらくすると、モモーナ嬢の事しか考えられなくなっていた。けれど私も家から放逐された途端、今まで何をしていたのだろうと思ったんだ」


 私たちはモモーナの休憩時間ギリギリまで今までの話をした。

 モモーナも実家をとても嫌っていて、卒業後は家に戻らずこのパン屋に就職したそうだ。


 お金をほとんど持っていなかった為、私が以前贈った物を売って生活費に充ててしまったと謝られた。

 お金を貯めて返すと言われたが、侯爵家暮らしの時に買ったものは庶民が生活しながら返せるような額ではないし、不要だと断った。


 他の人たちも同じだったのだろうかと考えてしまう。他の人が今何処にいるかは分からないが、商会を通じて手紙を送れる相手が一人だけいる。

 商会の息子のコンラッドは、学園を退学直前モモーナに酷く執着していたらしく、モモーナのことは伏せて私が手紙を送る事にした。


 コンラッドも私たちと同じ様に学園入学と同時におかしくなっていたようだ。そして、この国から出た途端、正気に戻ったそうだ。

 今は隣国の商会で真面目に働き、充実した毎日を送っていると返事が来た。そうなると、後の二人はどうなったのか。


 一人は婚約者と復縁できたのはわかっているが、おかしくなっていたかどうかはわからない。

 貴族のままなので連絡の取りようがないし、下手に連絡を取ろうとして父が出て来ると困る。


 一人はモモーナの不思議な記憶に登場していなかったらしいが、彼の退学後の居場所もわからなかった。

 それでもその後もモモーナと会って、一緒に当時のことを考えている。


 けれど二人で幾ら考えても分からなかった。何かの呪いだったのか。だとしたら、誰が何の目的で私たちを呪っていたのか見当もつかない。

 私たちがおかしくなることで、利益を得た人がいるとしても。何故私やモモーナが選ばれたのかがわからない。


 リスクを冒して呪いをかけるのなら、もっと利益のある相手がいるように思えてならない。

 モモーナにある記憶から考えると、ライハルト殿下やカリーナ嬢も正気ではなかった可能性があるという話にまでなった。


 貴族を相手にしている営業担当にそれとなく確認したら、二人ともが恋愛結婚だと言われた。

 幸せならそれでいい。モモーナとはその結論で落ち着いたが、何となくその後もモモーナと会う約束を取り付けては会っていた。


「私は今のモモーナをとても好ましく思っている。実家からは放逐されているし、給料もけして高くはない。それでもいいと思ってくれるなら、結婚を前提に付き合って貰えないだろうか」


 本来の私は臆病な小心者なので、ちゃんとそれなりの勝算を感じてから勝負に出た。


「あの……、私……。学生時代からは想像できないかも知れませんが、父や弟を間近に見て育ったせいか、男性不信なんです……」


 それにはとっくに気が付いていた。本当に学生時代とは別人。けれどそれは私も同じで……。別人だからこそ惹かれたのだと思っている。


「ゆっくりでいいよ」


 私はせっかちでは無いし、待つのは得意だ。モモーナの頬がうっすらと染まっていくのを見ながら、私は私の勝利を確信した。

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