2-2
「とにかく、ここは住人も少ないし、ましてやお客も少ないからさ。アンタのことは、もうバッチリ覚えたよ。仁科克幸。会うなり俺の写真をバシバシ撮りまくってきた変な人。きっと、一生忘れないよ」
「……そうか」
私の微妙な返事に、彼は不満そうに口を尖らせた。
「ねえ、ちょっと。もう少し喜んだら?一生忘れないでいてあげるんだよ?」
そんな不本意な覚え方をされて、何を喜べというのだろうか。確かに半分以上は私の自業自得ではあるのだが。
私の渋い顔に、彼は小さくハアと溜め息を吐いた。
「こうやってすれ違った誰かの記憶に、ほんの一時残るだけなら誰でも出来るよ。でも、家族でもないしずっと一緒にいるワケでもないのに、誰かの記憶に一生残り続けるって中々出来ないことだよ。奇跡みたいなものだ。大災害とでも言った方が近いかもしれないけど」
誰かの記憶に、一生残り続ける。それも、すれ違っていった人の記憶の中に。
その言葉は、私の中に爪を立てるようにして引っ掛かった。
私のように『作品』として何かを世界に提供することで息をしている人間は、世間の言う表現者は、いつだって誰かの記憶に心に傷を付けてでも残りたいと願っている。
それこそ、すれ違うようにして私の写真を見た人が、綺麗だと素晴らしいと一時だけ傾倒してくれることはあるかもしれない。
でも、その感動を一生抱えたまま、アルバムでも
そういうものだ。
だから、彼の言う『一生』と言う言葉がどれだけ重くて奇跡のようなものか、良く分かっているつもりでいた。少なくとも、目の前にいる青年よりは。
「……君が、忘れないでいてくれるとは思えない」
「忘れないよ」
不意に真剣な声が落とされて、私は息を
「きっと、忘れない。アンタが、ここにもう少し留まっていれば、それが『絶対』になるよ」
彼の瞳の奥に、からかうような色が見えて、私は息を吐き出して肩の力を抜いた。
「担がれた、というワケか」
「イヤだな、言葉に嘘はないよ。ただ、お客さんが長く留まってくれるに越したことはないよね。ちょうど変化がなくて退屈してたし」
「それはどうも」
「どういたしまして。さあ、着いたよ」
彼はイタズラっぽく笑うと、
確かにこれは旅館か民宿かと、彼が言い
表書きによれば温泉は確かにあるようだが、例えば女性客が入るには心理的に難しい外観だ。そもそも、女性客がこの町に来るかどうかすら怪しいが。
「
「えっ、お客さん?あらあら、ようこそいらっしゃいました!何もないところですけど、ゆっくりして行って下さいね」
……宿の
「ちょっと、セナ君!また朝からびしょ濡れになって!お風呂入ってきちゃいなさい。
「はあい。それじゃあ、またあとでね」
ヒラリと私に手を振ると、彼は勝手知ったる様子で宿の奥へと消えていった。この家の子と言われても、何ら疑問はないくらいに。
フロント、の代わりだろうか。ポツリと置かれた背が高めの机に、帳簿のようなものがデンと置かれていて、そこに名前を書くように言われた。
「仁科克幸様……えっ、仁科ってあの仁科さん?!」
もう、すっかり見慣れた驚きの顔に、苦笑しつつ
「多分、その仁科だと思います。写真家をしています」
「あらあら、こんなところに有名人が来るなんて思ってなかったから。取り乱してしまって、お恥ずかしい」
「有名人も何も、好き勝手に写真撮って、歩き回ってるだけの変な男ですよ」
「ふふ、本当に
「テレビの撮影の下見は、テレビ局の人がやるんですよ。私は付いて行って、台本通りに喋って、写真を紹介するだけです。今はプライベートで撮影旅行、というよりも長い家出みたいなものかな。逃避行中なんですよ。独り身ですけどね」
女将さんは、私の言葉にクスクスと笑った。
「それじゃあ、お代はタダで泊まってもらわないと。いつも、そうしているのでしょう?少し長い滞在にして下さいな。お代がわりに、うちの村の宣伝して頂けたら、なんてね」
「ありがたいです。雑用でも何でもして、お返ししますよ。こき使って下さい。写真で宣伝なら、私の宣伝にどれだけ効果があるかは分かりませんが、引き受けましょう。お客じゃないので、堅苦しい敬語も結構ですよ」
「それは助かるわあ。あんまりお客さん来ないから、何だか外行きの顔は肩がこっちゃうの。仁科さんも、自分の家だと思ってくつろいでちょうだいね」
「ええ」
家などあった試しがないが、彼女の言わんとしていることは何となく分かったので頷いておく。
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