第8話 味をしめられる
「シュウ、頑張ったからご褒美をくれ」
あんなこと、しなければ良かった。
この前のご褒美に味をしめたマルは、ことある事にねだるようになった。
興奮状態だったから出来たのであって、冷静になってみると犯罪臭がある。
俺はまだ捕まりたくないと拒否すれば、ものすごく悲しそうな顔をされた。
「そうだよな。わがままをいうのは悪い子だから、駄目だよな」
さらには耳を折りたたんで瞳をうるうるとさせて言われれば、強く拒否出来るわけがなかった。
「……額にだけなら」
口にしていないからセーフ。
額なら仲のいい家族の範囲内。
自分にそう言い聞かせて、俺は苦悶の表情を浮かべて提案した。
「ああ!」
さっきまでの悲しそうな雰囲気はどこへやら、勢いよく身を乗り出して来たかと思えば突撃してきた。
「ぐっ!?」
絶対に唇が切れた。
ぬるりとした感触になぞってみると、指先が真っ赤に染まる。
「シュウ! ごめん!」
それに慌てたのは突撃してきた犯人で。
俺の唇に触れようとしては、引っ込める動作を繰り返している。
「大丈夫だ。少し切れただけで舐めとけば治る」
別に深い意味はなかった。
ただ気持ちを落ち着かせるために言った。
でもいつの間にか、マルが俺の唇を舐め始めていて、幻覚でも見ているのかと現実逃避をしかけた。
「なにやってんだ!」
ようやく動くことが出来た時には、マルの口は赤くなっていて、俺の中の大事な何かを失った気分になった。
軽く胸を押して距離を置くと、口についた血をぺろりと舐めた。
「シュウが舐めておけば治るって」
「それはだな! ……いや、俺の言い方が悪かった」
子供だから言葉を額面通りに受け取ってしまうのは、少し考えれば分かることだ。
しかも、最近まで怪我に敏感だったのだから尚更だ。
完全に俺のせいで、マルは悪くない。
「えーっと、こういうのはな、そう簡単にするものじゃない」
「どうして?」
「家族だってこんなことはしないし、夫婦だってそうそうしないからだ。それに舐めると言ったのは、ただの言葉の綾だから本気で舐めなくていい」
俺はまた舐められることがないように、きちんと誤解をとくことにする。
「でも舐めた方が傷の治りが早そうだ」
「それは絶対に気のせいだからな。止めろ」
「そんなに言うなら、今は止める」
今は、ってなんだ。
後からも、そういうことをするつもりは無い。でも諦めたからいいか。
そう思って、話は終わりにしようとしたのだが。
マルが服の裾を引っ張ってきた。
「それで、ご褒美のキスは?」
忘れていなかったか。
俺からキスをするのは恥ずかしくて、うやむやになってくれればいいと思ったんだけど。
完全に逃がさないといった顔をしている。
これはごまかされてくれなさそうだと、諦めるしか無かった。
「ほら。額を出せ」
「ああ!」
キラキラとした表情で待っているから、大きく息を吐いて顔を近づける。
軽い音を立ててキスをすると、マルが緩い笑みを浮かべた。
「これからも頑張る」
やる気を出してくれるのなら、精神的にやられるとしても望むことをするしかない。
こうして、頑張ったあとのご褒美のキスが、定番の流れになってしまった。
「シュウ! 今日は水をいっぱい出せるようになったんだ! 凄いか?」
「おー。凄い凄い」
やる気を出して訓練しているのはいいけど、動機が不純すぎる。
今日も嬉しそうに報告して、すでに額を出していた。
「シュウ!」
「はいはい。分かったよ」
早くしないと、拗ねて面倒くさくなる。
パッと軽くキスをすれば、マルは唇を尖らせた。
「なんでそんなに不満そうなんだ?」
「最近、なんか雑じゃないか?」
キスに雑もなにもあるか。
ご褒美なんだから簡単でもいいだろう。
俺だって恥ずかしい中やっているのだから、文句を言わないで欲しい。
テーブルを叩いて不満アピールをしてくるから、ため息を吐いた。
「全く、そんなんで冬を越したらどうするつもりなんだ?」
まだ外は雪が降っている。
いや、降っているなんて生易しいものではない。
外の積もり具合を考えたら猛吹雪だ。
一緒にいられる時間は、あと二ヶ月ぐらいはあるだろう。
それでも期限があることに変わりはない。
一応、次の生活がスムーズにいくように手配するつもりだ。
見送ったまま密猟者に捕まりでもしたら、後悔してもしきれない。
ちゃんとした生活が送れるように、使えるツテは全て使う。
それが、マルのためなのだ。
「冬を越したら……その話はしたくない」
「おいおい、したくないって。将来を決める大事な話だ」
「……嫌だ。ずっとここにいたい。ずっとシュウといたい。それじゃあ駄目なのか?」
いつか言われるかもしれないと覚悟していた。予想よりも遅かったぐらいだ。
拳を握りしめて、俺はわざと冷たい声を出す。
「駄目だ。冬の間だけという約束だろう。冬を越したら、この家から出て行ってもらう」
マルは何も言わなかった。
俺をじっと見つめ、そして静かに泣いていた。駄々をこねられるよりも、そっちの方が胸が痛む。
でも優しい言葉をかけたところで、気持ちを変えるつもりは無いのだから、俺も何も言えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます