第4話 完全なピンチ
俺だって、クマやイノシシには気をつけていた。
冬眠前とはいえ、出くわしてしまえば絶対にこちらを襲ってくる。
もしそうなれば、持っている猟銃で倒せるかは運次第だった。
死にたくないから出来る限りのことはするとしても、相手に慈悲の心はない。
無理な時は、運が無かったと諦める。
それで良かったのは、一人だった頃までだ。
不本意とはいえ共同生活を送っているマルは、俺が帰ってこなければ探しに外に出てしまうかもしれない。
そうすれば、命の保障は無くなる。
俺のせいで命が失われるのはごめんだ。
獲物を見つけつつ、絶対に家に帰る。
その精神で探索していたはずなのに、この数年の間で体がなまっていたのか、近づく存在に直前まで気づかなかった。
分かった時には、相手の呼吸すらも聞こえるほどの範囲まで、背後から近づかれていた。
鼻息が空気に白く浮かんで消えていく。
血走った目とむき出しにしている牙は、俺を完全に標的としてとらえていた。
「見逃してくれるわけないか」
いきなり背後から襲われなかっただけマシだが、最悪に近い状況だ。
逃げるには相手のスピードの方が早いし、木に登ったところで、突進されればいつまで持つか。
背中の猟銃を前に移動し、興奮させないようにゆっくりと安全装置を外す。
距離は四メートルぐらい。
狙いを定めればどこかには当たるとしても、致命傷を与えられなかったら終わりだ。
体に突撃されて、吹っ飛んで死ぬ。
そんな未来が簡単に想像出来た。
撃つとしたら、脳天か心臓か。
とにかく動けなくなるところに当てるしかない。
相手の速さを考えると勝率は低かった。
万事休すか。
俺がいなくても馬鹿なことをせずに、貯蔵庫の食料で生き延びてくれ。
そう願いながら、銃を構えた。
こちらの考えが伝わったのか、イノシシは足を蹴り始めて、突撃するための準備をしている。
俺が引き金を引くのと、相手が走り出したのは、ほぼ同時だった。
やはりしばらく触っていなかったブランクがあり、弾の軌道は右に逸れた。
体をかすめたが怒りを大きくさせただけで、何の意味も無かった。
ここまでか。
向かってくる巨体をどこか冷静に見ながら、俺は死を覚悟して目を閉じる。
あまり痛みを感じないで死にたい。
出来れば即死で。
命乞いをせずに死に方を神様に頼み始めて数秒、一向に衝撃が来ない。
知らない間に、死んでいたのか。
天国か地獄、どちらにいるのだろう。
どこか期待しつつ目を開けると、そこには思いもよらない光景があった。
えぐれた地面に、切り裂かれたイノシシ。
そして俺のすぐ前には、
「……お前、なんでここに」
両手を広げてイノシシを睨みつけるマルがいた。
この状況はどう考えても、答えは一つしかない。
「まさかお前、魔法が使えたのか?」
包み込むように囲んでいるシールド。
イノシシを切り裂いた風魔法。
やったのは俺じゃないから、マルしかいなかった。
獣人は人間よりも能力に優れている。
身体能力も高く、魔力も豊潤だ。
だから獣人が魔法を使えるのは、当たり前の事実で驚くことは無い。
問題はマルの年齢で使える事例を、聞いたことがないというところである。
マル自身に驚いた様子は無いから、今回が初めてといった感じでは無さそうだ。
「怪我は無いか? それと俺はマルだ」
こんな時でも訂正を入れてくる頑固さは、どれだけ名前を呼んでもらいたいのかと呆れる。
「まあそれは置いといて、血の臭いを嗅ぎ付けて他が集まってくる前に家に帰るぞ」
どうしてここにいるのだとか、魔法のこととか、聞きたい質問はたくさんあった。
でもここで話している余裕はない。
今はとにかく帰らなくては。
イノシシの体を担ぎあげて、マルについてくるように促した。
そうして家に帰りイノシシの肉の処理を終えて、少し落ち着いてから、俺はマルの年齢詐称について尋ねたわけだ。
「シールドと風魔法は初心者のものだが、お前が使うには早すぎるんだよ」
外は寒かったから、貴重なミルクを使ってホットミルクを作った。
湯気のたつカップに息を吹きかけ少しすすれば、マルも同じしぐさで飲む。
ハチミツを入れたおかげで、甘さと温かさが身にしみて、体からいい感じに力が抜ける。
そのままお互いに何も言わずにミルクを飲んでいれば、ポツポツとマルが話し始めた。
「どうして魔法が使えるのか、分からないんだ」
「分からない?」
「怖かったりとか、怒ったりすると、勝手に出てくる。出したくて出そうとしても無理なんだ」
「勝手にねえ」
つまりは使えるが、制御は出来ないということか。そんなのありえるのか。
確かめたくても、そういうのは首都に行かないと調べるすべがない。
嘘を言っているようではなくても、隠し事をしている。
それを聞こうとしたところで、ごまかされそうだ。
怪我をしていたのといい、訳ありか。
冬の間だけだと、期限を定めておいて良かった。
居座られていたら、どんなトラブルに巻き込まれたか分かったものじゃない。
「さっきは、シュウが危ないと思ったから、目の前が赤くなって、気づいたらああなっていた」
「というか何で外に出たんだ。家にいろって言ったよな」
「心配だった。もし怪我でもしたらどうしようって」
マルがいなかったら俺は死んでいた。
言いつけを守らなかったのを、怒るに怒れなくなる。
むしろ礼を言うべきだ。
「……あー、まあ、そうだよな。助けてもらったのは確かだ。……礼を言う」
でも素直に言うのは照れくさくて、ぞんざいな言い方になってしまった。
自分でも、もっとちゃんとお礼を言えと思ったが、マルにとっては違ったらしい。
「番を守るのは俺の役目だ。だから気にするな」
そのいい笑顔に今日だけは何も言えなくて、代わりに大きな大きなため息を吐いた。
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