第2話 黒髪の女性
呪われた国タルギーレの人間を見かけた。
そう一報が入り、レンフィックの冒険者ギルドでは真偽を確かめるべく動いていた。
タルギーレは昔の六大魔戦争で一度滅ぼされた国で、今でも国土全体が呪われていると言われる。
そこの住人がちょくちょく国外に出て悪事を働くので、周辺国は頭を悩まされていた。
ろくに外国と交流も持たないため、文句を言う先も存在しない。
様々な事情により、タルギーレによる犯罪は多国間ネットワークを持つ冒険者ギルドで情報を交換して捕捉し、犯罪行為があれば当該国に引き渡して裁くようになっていた。
ギルド員によって集められた情報を基に、ヴィラードたちは打ち捨てられたエルー神殿へと突入した。
事前に用意していた見取り図には描かれていなかった最奥部の儀式の間にたどり着くと同時に、タルギーレの一味は反対側の抜け道から逃げ出した。
ただ一人、困惑顔の女性を置き去りにして。
「セヴランたちは奴らを追え」
「承知」
短い指示で七人が抜け道へと向かう。
ヴィラードたちは、この場で何が行われていたのか調べるために留まった。
ヴィラードは儀式のためと思われる壇上にいる女性を観察した。
年のころはマディリエと同年代だと思われる。
胸元まである下ろした黒髪と、おそらく瞳も同じ色だ。髪と目が同色なのは珍しい。方々を旅してきたヴィラードでも見たことのない顔立ちをしている。
しかし瞳の色から、少なくともタルギーレの民ではないとわかった。
身に着けている衣類も見たことがないが、上等な代物であることはわかる。
白っぽい裾の短い上着に、内側には光沢のある薄緑のシャツを着ていて、細い首にはわずかな光で反射する見事な宝石のネックレスをしていた。
上着と同色の細身のスカートは、膝のあたりで外側に反っていて女性らしいラインを引き立たせている。素足に見える足にはどうやら、ごく薄い靴下のようなものを履いているように見える。
ただ一点、履いている黒い靴だけが、全体的に優雅な印象から若干外れていた。
取り乱すことなく立っているが、ひどく困惑している様子だった。
犯罪に加担しているようには見えない。
「ギムレスト?」
「儀式陣は力を失っています。入っても問題ありません。ただ、なんらかの儀式が行われた後なら、あの女性は魔術の影響下にあるかもしれません。
どのような術かは不明ですから、迂闊に近づかない方がよろしいでしょう」
「なるほど、わかった」
端的な問いかけに、若き賢者が答えを返してくれる。
一つうなずいたヴィラードは女性に向かって投降を呼びかけてみたが、首をかしげるばかりで動かないので、カイラムとマディリエを呼んだ。
「カイ、マディリエ、傷をつけずに拘束できるか?」
「うっす」
「りょーかい」
軽く応えた二人によって、女性はあっさりと制圧された。
抵抗する素振りもなく、自分の置かれた状況を理解しているようで、とても大人しい。女性が鞄で台座の水晶にぶつかったときに上がった、ギムレストの声なき悲鳴の方が気になった。
女性を台座から遠ざけた後にカイラムが渡してくれた鞄は、見たことのない素材をしていた。一見すると革のようだが、驚くほど滑らかで、口の部分は細長い金属で塞がれている。その中心辺りに、小さなつまみが二つ付いていた。
膝を落として目線を合わせると、不安そうにしているものの、黒い目には理知的な光があった。ヴィラードは甘い笑みを浮かべて緊張をほぐそうと試みたが、この女性には効果がなかった。
それどころか、ヴィラードをまじまじと見つめた後、がっかりした表情をされてしまった。
少し傷つく。
頭上からマディリエが忍び笑う気配がしたが無視した。マディリエは傷つきやすい繊細な男心に対する理解が不足している。
自己紹介も兼ねてヴィラードが名を問えば、やはり聞いたことのない言語が返ってくる。切々と訴える声色は、意味はわからなくとも聞いているだけで気の毒になってくるものだった。
途中で混ぜてみた物騒な内容の言葉にも一切反応を見せない。やはり彼女は言葉を理解できないようだ。タルギーレの犯罪に巻き込まれた被害者、という推測が強まった。
(さて、厄介なことになったな)
この、どこの国の出身とも知れない気の毒な女性の扱いをどうするか、ヴィラードは賢者の力を借りることにした。立ち上がって台座に張りついている
「これは駄目だな。少しも理解できない。彼女も理解していない。つまりお手上げだ。というわけでギムレスト」
「お待ちください。こちらを調べる方が先です」
「わかりそうか?」
「……なんとも言えません」
灰色になっている水晶を覗き込んでいるギムレストは、芳しくない表情をしていた。青い目を魔力で金色に染めて水晶に釘づけになっている。
「魔術の痕跡が全く読めません。一体どうなっているのか……」
その時、マディリエの声が飛んできた。
「ちょっと、ギムレスト。彼女がずいぶん怯えてるんだけど、あんた天井になんか見える?」
「天井ですか? おや?」
顔を上げたギムレストが目を細める。
「うっすらと儀式陣のようなものが……。なんと描いてあるのかまではわかりませんが。ふむ、初めて見る魔術ですね、興味深い」
指で何かを辿りながら、ぶつぶつ呟いている。
ヴィラードも見上げたが、気味の悪い赤岩がむき出しになっているだけにしか見えない。マディリエとカイラムを見ると、揃ってさっぱりわからない。という仕草をしてみせた。
ところが
今にも卒倒しそうな、血の気の引いた顔をしている。マディリエの言う通り、ひどく怯えている様子だった。
女性は強張った表情でヴィラード達を見回した後、再び天井を見上げて、そして放心したように座り込んだ。
「あ、消えてしまいましたね……惜しいことをしたな」
そんな呟きがギムレストから聞こえた。どうやら見えていたのはこの二人だけのようだ。
「ギムレスト、儀式陣が見えていたのか?」
「ええ。
「俺には見えなかったが、恐ろしいものなのか?」
ヴィラードの疑問に、ギムレストは軽く首をかしげる。
「恐ろしい? いいえ、興味深くはありましたが、恐ろしくはありませんでした。僕が描いた儀式陣をご存じでしょう? あれと同じようなものです」
「しかしな、お前と同じ場所を見ていた彼女が、酷く怯えているようなんだが」
「彼女? ああ、マディリエも同じことを言っていましたね……。おや本当ですね、どうしたのでしょう?」
ギムレストが怯え切っている黒髪の女性を見た。
「さてな。確認出来るか? 言っておくが言葉は全く通じない」
「ふむ。今は翻訳術は使えませんから、残る手段は魔力の
「出来るか?」
「試してみましょう。水晶からは取り出せませんでしたから、残る証拠は彼女だけです」
「証拠がないのは困る。なんとかしてくれ」
「今は鋭意努力する、としか言えませんよ」
ギムレストが苦笑いしてから、女性へと近づき両膝をついた。
「失礼します。少々あなたを覆っている魔力を読ませてください」
うなだれていた女性が、のろのろと顔を上げる。かわいそうに短時間でずいぶん憔悴しているようだった。
礼儀正しくギムレストが微笑んだが、お嬢さん方に人気の優男も、この女性相手には通用しないようだ。
女性は軽く目を瞠った後、珍しいものを見るような表情になった。
(もしかしたら、彼女の出身地では美意識が違うのかもしれない)
見たことのない服装の女性に対して、ヴィラードはそんな推測を立ててみた。ギムレストは女性の反応にも頓着することなく、杖を構えて女性にかざし、呪文を唱え始めた。
『我が目に映るは真実の軌跡。太古の昔から遥か未来まで巡り続ける不変の旅人よ。汝の物語を語れ』
ギムレストの目が再び金色を帯びる。
しばらく静かに女性を見つめた後、片手を伸ばして耳にかかっていた黒髪をすくいあげた。女性がぎょっとして身を
『な、何してるんです?』
「動かないでください」
言葉の通じない相手を言葉で制止するギムレストに、
「これでいい?」
背後から女性の頭をがっちり押さえたマディリエが答えた。
「ええ。ありがとうございます」
「だってさ。手間かけさせないでよ」
『あ、あ、あの、手を離してくれませんか?』
「ちょっとの辛抱だ。頑張れ」
うろたえながら抗議する女性をまるっと無視するギムレストとマディリエに、
呑気に励ますカイラムという妙な構図になった。
必要とはいえ、嫌がっている女性に同情を禁じ得ないヴィラードだった。
ギムレストが更に身を乗り出して女性の耳元に近づき、ヴィラードを振り返る。
「
「なにがあった?」
ヴィラードが近づくと、ギムレストは女性の耳飾りを示した。繊細な銀細工の中心に真紅の宝石が嵌っている。毒々しいまでに赤い宝石は、この女性のイメージからは遠い。
「この宝石に呪いがかけられているようです」
「呪いか。どんな内容だ?」
呪いと聞いたヴィラードの眉間に皺が刻まれる。ギムレストの目が、見えない何かを読むように
「そうですね……
「……ずいぶんとおどろおどろしい言葉が聞こえたが……」
「呪いですから。そういうものです」
ギムレストは平然とした顔で言った。
「持ち主以外に影響は?」
「ないでしょう。これは外に向かう内容ではありませんから。ただし……」
「なんだ?」
「彼女と一体化しています。取り外すことはできません」
「厄介だな」
ヴィラードが顔をしかめ、ギムレストは同意するようにうなずいた。
「ええ。しかも生贄の発動条件は読めません。誰に対する生贄なのか、その目的も。
肝心な部分は何もわかりませんでした」
「ますます厄介だな。気の毒なことだ」
「いい報せもありますよ」
「そうか? なんだ?」
「これは明らかにタルギーレの呪いです。つまり彼女は生きた証拠です。逃げた彼らを捕える根拠になる物証が手に入りました」
「お、おう?」
「証明するには呪いが発動するのが一番ですが、それだと呪いが成就してしまいますし、彼女はおそらくむごたらしい手段で死ぬでしょうから、お勧めはしませんが……どうしました?」
ヴィラードは若い賢者の口から飛び出した問題発言に頭が痛くなった。額を押さえて嘆息する。
「……はあ。お前の物騒な言葉が通じていない事に安堵してるんだよ」
「おや、物騒でしたか?」
「取り外せずとも、解呪はできそうか?」
「さて? 詳細がわからないうちはなんとも。今ここではこれ以上のことは申し上げられません。通常は儀式が中断したなら、呪いも最後まではかかりきっていないと推測できますが」
ギムレストが考えるように女性を見る。
「……そうか、ご苦労だった。怪しげな儀式を防げたらしいとわかっただけでも上出来だ」
「そうですね」
「彼女の拘束は外しても問題ないな?」
「正体不明な呪いの影響下にあることを問題ないと言っていいのかわかりませんが、
周囲に悪影響を及ぼすような状況ではないでしょう」
「よしわかった。マディリエ」
うなずいたヴィラードは、女性の頭を押さえているマディリエに声をかけた。
「はい」
「その女性の身体を確認してくれ。凶器がなければ拘束を解く」
「は? 自由にさせるってことですか?」
マディリエは軽く目を開いた。
「ああ。彼女は犯罪の被害者であって加害者ではないからな。調査に協力してもらう」
「言葉も通じない得体のしれない相手なのに? 呪いの正体もわからないんでしょう? 危険だと思いますけど」
「魔術師ではないし、凶暴そうにも見えない。なにより拘束したままでは可哀想だろう」
何かを察知したようなマディリエが、軽蔑の目つきになってヴィラードを見た。
「あ~、なるほど。
ヴィラードはギクリとした。
図星だった。
優しそうな風貌も、たおやかな雰囲気もヴィラードの好みだった。
実際、目の前で悄然と力を落としている細い肩を見ていると、抱き寄せて慰めたい衝動が込み上げてくる。
ヴィラードは女性に頼られたい男だった。好みの相手には特にそうだ。
しかし仲間の手前、状況を顧みずにそんなことはできない。ヴィラードは咳払いをして誤魔化した。
「ごほん。人聞きの悪いことを言うな。これは高度に合理的な判断だ」
「はいはい。わかってますよ。か弱い女が好物だってことはみんな知ってます。馬鹿らし」
「おい」
ヴィラードの抗議を鼻で笑ったマディリエが、カイラムに顔を向ける。
「カイ、妙な動きしないか、せめてあんたくらいはきっちり見張っててよ」
「俺もこの人は大丈夫だと思うぜ。非力そうだし」
ヴィラードと同意見のカイラムに対し、マディリエがうんざりと息をついた。
「ああ、全く嫌になる。どいつもこいつも女に甘すぎんのよ! ちょっとあんた。妙なことしたら、あたしは容赦しないからね」
「え? 容赦したことあったっけ?」
「おだまり」
マディリエに面と向かって悪態をつかれた女性が、目を丸くして首を竦める。それでも、ぞんざいな手つきで体を触られても、体を硬くするだけで、賢明なことに抵抗はしなかった。
マディリエは上着の内側から細長くて四角い薄い金属と、ポケットから綺麗な柄の
「なにかしら?」
マディリエが四角い金属を手の中で引っくり返したり、振ったりしていると、大人しかった女性が一転してうろたえた声を上げた。
『ああっ! お願いだから落とさないで。気をつけて』
一瞬動きを止めたマディリエが、女性に向かってもう一度金属を振ってみせる。
『やめてやめて。乱暴にしないで。落としたらどうするの』
女性は必死の様子でマディリエに懇願しているようだった。マディリエは手の中の金属と、女性を見比べながら「ふぅん」と声を上げた。
「どうやら、すごく大事なものみたいね。でも武器じゃなさそうだし、いいか。あとは……」
遠慮のない手つきで、女性の足の先まで確認を済ませ、背後に回る。こういうことがあるとき女性のギルド員は重宝する。特にマディリエは観察力も優れていた。
「手首のコレは……装飾品? まあいいわ。何かあったらアレな
ヴィラードにとって聞き捨てならないことを最後に言われた気がしたが、マディリエに拘束を解かれた女性が安堵した様子を見せたので見逃すことにした。
女性の所持品を持ってきたマディリエが、ヴィラードの持つ手荷物を指差す。
「そっちはどうします?」
「一応調べるが、セヴラン達を待って場所を変えよう。捕まえてくれるといいんだがな」
ヴィラードはタルギーレの一味を追って奥へ向かった仲間たちに意識を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます