【3章 - 2】ストーカーとは、おしゃべりするに限る

 

「……お前ら、ストーカーに遭ったら、どうする」


 佐藤が息を詰まらせる。糀谷も咄嗟に口をつぐんだ。部長も先をせかさなかった。

 外を陸上部員がかけ声を上げながら通り過ぎていく。乱れぬ足音がしばし響く。

 そして、それらが鳴りを潜めた後、糀谷が口を開いた。

「わたしは、そのストーカーと仲良くします」

 別の意味の沈黙がやってきた。佐藤は唖然として、糀谷の平然とした顔を見る。

「いろいろおしゃべりもするでしょうし、一緒に学校に来ることもあるでしょう」

「……あ、あぁ。そうやって相手の弱みを握るのか」

「そんなぁ、弱み握るだなんて、ひどいことしないよぉ?」またもや糀谷の声芸だ。「写真とったりー電話したりー、……で、その写真と録音を警察に提出します」

「普通に握ってるじゃねぇか、証拠を。質悪いわ」

「悪いが、あたしにそんな機転はない」と山田も首を振った。「佐藤はどうだ?」

 山田の目が佐藤に向いた。メイクのせいか何なのか、その瞳はいつになく弱々しく見えた。

「……こんなことを訊くってことは、その、あれなんだろ? 部長が……」

 ストーカーに遭ってるんだろ? とは、あえて口にしなかった。山田は顔の筋肉を一切動かさなかった。ウィッグの一本までも小揺るぎすらしなかった。

「まぁ、警察官の息子として俺から言えるのは、まず警察含め専門のところに相談する」

「つまんない」糀谷がぼそりと言う。

「つまんないだと? これが普通だろ」

「当局沙汰はよしてくれ」と山田も首を振った。「素顔を隠してる身で、面倒は避けたい」

「あ、あぁ……。ならあとは、変装でストーカーをくとか」

「やっぱりつまんない」と糀谷。「部長がこの格好で帰るって時点で、そんなの当然でしょ?」

「い、いや、違うぞ」

 図星を指されたことに冷や汗をかきつつ、あくまで平静を装い四つの目線を受け止める。

「ストーカー犯罪は自宅を知られたらアウトなんだ。だから、全員で部長を装い、てんでバラバラな方へ帰るのさ。そして無関係な方に連れて行って、途中で変装を解けば、相手を撒けるし、部長の家も知られずに済む」

 山田と糀谷が互いの顔を見合わせる。佐藤も内心ではこの案に驚いていた。ぽっと出ではあるが、我ながら妙案だと自信が湧いてきた。が、

「いや、それも無理だ」

 部長のいなの言に、佐藤は思わず口を曲げてしまった。だが、すぐにこの案の瑕疵かしに気づく。

「まさか、もう自宅は特定されてるのか?」

「……それはない。後をつけられたのは先週金曜の一回だけ。回り道を繰り返して、途中で撒いたから、家までは来られていない」

 それなら問題ないはずと、佐藤は再び推してみた。それでも部長は首を縦に振らない。曰く、

「あたしと萌美じゃ、顔の輪郭が違いすぎる。さすがに変装で誤魔化すのは厳しい」

 糀谷もしきりに頷いている。佐藤もこれにはぐうの音も出なかった。

 ベース型の山田さくらと面長の糀谷萌美では、確かに誤魔化しが利かないのだろう。玄人はだしの二人がそういうのだから、それは無理なのだ。

「そうか」と佐藤も素直に自案を取り下げる。「それなら仕方ない、警察に……」

「早とちりするなよ、佐藤」

 山田が遮った。その鋭い視線が、自分の全身の上を走るのを、佐藤は確かに感じ取った。

「萌美を変装させるのは難しい。だから全員でというのは無理だ。だがな、むしろお前一人なら簡単だ。元より輪郭が似ている」

 佐藤は目を瞬かせ、改めて山田の顔を見つめる。頬やえらの張った、ベース型寄りの輪郭。

 確かに、毎日ひげを剃りスキンケアをしながら眺める自分の顔に、その輪郭は似ている。

 山田が顎を引いた。

「佐藤、お前があたしになれ」



 佐藤竹寿が女装姿で北八里駅まで来たのは、これで二度目だ。

 初めて女装したあの日とは違い、こんな姿で外へ出ることに不安はなく、むしろ自信すらついている。突然「あたしになれ」と命令されても、すんなり首肯したほどだ。

 前髪の長いウィッグと丸いレンズの伊達眼鏡、そして北八高のセーラー服に黒タイツ。地味系【山田さくら】に扮した佐藤竹寿は、始発電車の最後尾に乗り込んだ。車掌室のドアにもたれかかると、猫背に見せるため仕込んだウレタンパッドがその弾力をもって圧を受け止める。

 イヤホンから電話の着信音が聞こえた。コードについたスイッチを押す。

『……いるわ、ストーカー』糀谷の声だ。『左のロングシートの一番端、冴えない男よ』

 佐藤は顔を動かさないよう努めながら、目だけでその男を捉えた。

 糀谷の評の通り、ベージュのチノパンの裾はほつれ、赤茶色のダウンジャケットも汚れが目につく。男にしては長めの髪も、側頭部の辺りが薄い。左手が、今も髪をいじっている。

 佐藤がその男を目にしたのは初めてだった。だが、監視役を務める糀谷と山田は、その男が校門近くから【山田】を追っているのに気づいていたらしい。

 だが、ここまでは帰路が重なっただけの、ただの偶然かもしれない。カギは、次の岡田駅で私鉄線からモノレールに乗り換える【山田】に、ヤツが付いてくるかどうかだ。

 ベルが鳴り響いて、電車が北八里駅を発つ。左右をマンションの明かりが流れていく。男は顔を上げる様子もなく、ひたすら髪をいじり続けている。指に巻き付けたり離したり、時に抜けてしまった髪をどこか哀しげに見つめている。こちらには目もくれない。

 スマホをいじる体だけ見せながら、本当にストーキングしているのだろうかと、ふと思った。糀谷とか【柏原】をストーキングするなら分かる。だが、こんな【地味女子】を……。

 もっとも佐藤に人の嗜好をどうこう言う資格はないのだが。

 そんなことを思っている内に、岡田駅に到着した。佐藤がホームに降り立つと、北風が足下をよぎり、スカートの裾を揺らした。

 歩を進めると、男の丸い背中がまだ車内にあるのを見つけた。気づかぬふりで通り過ぎる。

 ストーカーというのは、実は山田の被害妄想なのではないか。素顔を隠すなんて妙なことをするから、自意識過剰になっているのだ――

 と、内心で毒づく佐藤の耳に、糀谷の声が刺さった。

『降りていったわ。憎たらしい動き方をするわ、このストーカー』

 佐藤は歯がみして、それでもただ歩を進める。山田は正しかったわけだ。

『こっからは一人でがんばんなさい、言い出しっぺ』

 それを捨て台詞に、糀谷は一方的に通話を切った。山田は今日も遠回りし、糀谷はそれに同伴することになっている。ここからは一人でヤツを相手にするしかないのだ。手汗とクリームが混じってぬるりとする手で、借りたIC定期券を改札機にかざす。

 商業施設のペデストリアンデッキを進んで、モノレールの駅へ。途中にあるヘアピンカーブでこっそり振り返ると、赤茶色のダウンジャケットは、ビジネススーツの中でよく目についた。

 モノレールの改札を抜け、長いエスカレーターでホーム階へ。列車はすぐにやってきた。〈桂都けいと〉方面への直通便はサラリーマンなどで混み合っていたが、運良く佐藤はドアの脇を取れた。

 モノレールは丘陵地帯の上空を滑るように走り出す。向こう側のドア脇に、ストーカーがいる。今も髪をいじっている、どうやら抜毛ばつもうの癖がついてしまっているらしい。

 佐藤はリアクションを抑えて、眼下の住宅地を窓越しに見下ろしていた。上空低いところを着陸前らしい航空機が横切っていく。どこかで腕時計が十八時のアラームを鳴らした。

 次のエキスポパーク駅を出ると、モノレールは東西に走る本線から分かれて、桂都のある北へと進路を変える。転轍機てんてつきで車両は大きく揺れた。手すりにしがみついて、揺れに耐える。

 それから十分あまり、二つ駅を過ぎて丘陵を越え谷筋に降りてきたところが、佐藤家にもほど近い与川よかわ駅だ。佐藤はドアが開いたところで車外へ出た。他にも多くの乗客が四両編成のそこかしこから降りてくる。

 下り階段へと大回りで向かうように見せかけ、佐藤はその実、自販機の陰で脚を止めた。人の流れをジャマせぬようにしつつ、何も映っていないスマホを眺める。この間に、ヤツが先走って駅から出てくれれば、申し分ない。

 冷たい冬の香を鼻に感じつつ待つ。列車は出発し、幾多の足音もようやく静まった。辺りを見れば、赤茶色のダウンもすでにいない。佐藤はスマホをスカートのポケットにしまう。

 階段は一段ずつ、爪先から靴の底全体で着地するように。ヒールではないけれども、かかとから着地するのは怪我の元だと以前教わった。自然と、一段一段をゆっくり降りていくことになる。

 改札階のコンコースにまで下りてきた。他の客はすでに姿を消している。

 いや、ベンチコーナーの自販機前に、例のヤツがいた。今はこちらに丸い背中を向けている。だが、商品を物色しているわけではあるまい。

 こちらに背を見せている内にと、佐藤はトイレに向かいかける。だが、男女のトイレと多目的のトイレへ通じる通路は一直線で、ヤツが横目で見ればすぐに行き先がバレてしまいそうだ。変装を解く場としてここを選ぶのは得策ではないだろう。

 仕方なし、佐藤はそそくさと背後を抜け、改札に定期をかざした。ピピッ、という電子音が存外大きく響いた。佐藤は首をすくめる。

 佐藤が歩道橋へと足を向けたとき、後ろから同じ電子音が耳に入ってきた。

 階段を使うのは、速度が緩むぶん怖い。一人幅のエスカレーターを歩いて、地上へと降りる。

 後ろからも、金属のステップを踏む足音が聞こえる。

 モノレール直下の幹線道路、スーパーや保育所も並ぶバス通り。街灯も多く、車通りも絶えない。時雨に濡れた路面が、ギラギラと照り返す。

 自分を照らす光にあふれた道筋を行く。

 あいつは声をかけてくるだろうか……。

 握った指先が冷たい。胸の内が痛む。

 それでも、あくまでまっすぐに脚を踏みだす。剣道のすり足のように。

 そうだ、これは言い出しっぺの責任であり義務なのだ。自分がやらなければ、負ける。

 まっすぐ前を見て、しかし【猫背】故にやや俯き気味に、佐藤【山田】は足を出しつづける。

 そして、佐藤家最寄りのドラッグストアに入店する。

 自動ドアが開く。メロディと店員の声を耳にしつつ、店内奥へと向かう。

 遅れて再度入店のメロディが聞こえた。意に介さないそぶりで、トイレへの通路に向かう。ここは入ってすぐ道が折れているのでバレる心配もない。すぐさま多目的トイレに飛び込んだ。

 そして扉を閉め施錠。

 思わず、長い溜息が漏れた。

「……うまく行ったか。行ったよな」

 自然、口角が吊り上がる。一方で、肩の重みが身に染みた。首をひねり腕を回す。あちこちがコキコキと鳴った。

 ともあれ、もう一仕事だ。佐藤はバッグから詰襟制服一式と化粧落としを取り出す。【山田】の変装を解き、佐藤竹寿として店を出る。そうして【山田】を追うストーカーを撒くのだ。

 まさか男が女生徒になりすましていたなどとは、ヤツとて思うまい。



 すっかり佐藤竹寿本来の姿に戻り、多目的トイレから出た。

 店内を一巡りした限りではヤツはいなかった。トイレ使用料代わりの喉飴のどあめを購入して店外へ。やはり男の姿は見られなかった。早々にあきらめたのかも知れないと理解し、タイミング良く真向かいの青信号を駆け渡る。肩に担いだバッグが勢いよく跳ね踊る。

 そこから住宅街の路地へと入る。電柱ごとにしか蛍光灯がなく、いっぺんに薄暗くなった。

 ――ふと、気配を感じた。

 一ブロック行ったところの角で左折。右手に暗がりに沈む公園が広がる。

 角から二軒目が自宅だ。駐車場に入り、すかさずブロック塀の陰に身を潜める。膝と腰を落とし、バッグの中から折りたたみ傘を取り出す。

 隣家の常夜灯が作り出した人影が、佐藤の前に伸びてきた。

 膝のバネと腰のタメを解放し、飛び出す。

「やぁっ!」

 抜刀ばっとうのごとく折りたたみ傘を抜く。

 男がる。小さなペットボトルが男の手からこぼれ落ちる。

 そして、傘の持ち手が勢いよく伸び――

 そのまますっぽ抜けた。

「あっ」「ぐぁっ!」

 佐藤の驚きの声と、男のダミ声が重なる。男のみぞおちに命中した傘の本体が、地面にボスンと落ちた。遅れて、男も尻餅をつく。

 そして、身を折って咳きこみ始めた。

「あ、え、っと……」佐藤は細い軸だけを構えたまま。「だ、大丈夫ですか……?」

「ハッ! ハァ……。大丈夫だ、ゲホッ」

 全然大丈夫そうじゃない。だが、次第に咳は軽くなっていく。

「……はぁ、喉が痛い」

「あ、飴、いりますか?」

 男が首肯したので、佐藤は喉飴の袋を開けて、個包装の一つを男に向かって投げた。

「あぁ、ありがとう」とへたり込んだままの男が落ちた個包装を拾い上げる。「君は、どこかのおばちゃんよろしく、飴を持ち歩いてるのかい」

「いえ、さっきドラッグストアで買ったばっかりです、たまたま」

「あぁ、なるほど。トイレを更衣室代わりに使わせてもらった謝礼か」

 その一言に、佐藤は傘の軸を構えなおした。細くて持ちにくい、長さも数十センチだ。それでも左の小指に力を入れる。丹田たんでんに力を込める。

「そ、そんな警戒しなくても良いじゃないか」男が座り込んだまま両掌を見せる。「僕は君に何もしない」

「お前は、俺に、何も、しない?」佐藤は一語ずつ区切って言う。「ここまで俺をつけてきたくせに、何をほざくんだ」

「た、確かに……。イヤ、君をつけていたわけじゃないんだ。君が、その、ある子と同じ格好をしていたから。それに、横断歩道を渡る君のカバンが、やけに軽そうだったから……。もしかして勉強道具じゃなくて、セーラー服とかが入ってるのかなと思って……」

「だから、どうだって言うんだ? ストーカーしていたことは変わらんだろ」

「す、ストーカー?」男が頓狂とんきょうな声を上げた。「そんな、僕は、ただ……」

 佐藤はすり足で半歩踏みだす。男は口をつぐんだ。

「言うけどな、俺の親父は警官だ」元が付くが、黙っておく。「お前に自覚がなくても、やってることはストーカーに他ならない。今から親父に言いつけて、お前を取り調べることだって出来るんだ。そうされたくなかったら、今すぐここを去れ。そして、二度と俺たちに近づくな」

 男が俯く。逆光のせいで、表情までは窺い知れない。

 佐藤は油断せずに構えを続ける。冷たい夜風が公園の木々をひとしきりざわつかせる。

「……そうか」

 小さな呟きが佐藤の耳朶じだを打った。注意を男に向ける。北風が公園の木々をざわつかせる。

「そうか。さくらさんは、もう……」

 顔を伏せたまま、男が首を振った。それは諦めから来る仕草のようだった。一方で、男が部長の名を知っているのだ。まだ気は抜けない。

「それに、きっとロレンス神父もここにはいないんだな……」

「何を一人でぶつくさ言っている?」

 さすがにれて、佐藤は問いかけた。

 男がついに顔を上げた。その表情はやはり窺い知れない。

 手と脚をゆっくりと動かしはじめた。靴底が地を踏んで、ザリっと鳴った。

 ぬっと身が立ち上がると、男のその背丈は優に佐藤を上回っていた。咄嗟に半歩後ずさり、間合いを整えて腰を落とす。構えは緩めない。息を細く長く吐きだす。

 そんな身構えた佐藤に反し、男は悠然と服のほこりを払い落とす。やがて正対する。

 そして、頭を下げた。

「すまなかった、さくらさんや君にたいへんな迷惑をかけたみたいだ」

 佐藤はあえて何も答えない。構えも解かない。

「君の言う通り、もう君たちには近づかないようにする。だから、もし君がさくらさんの知り合いなのなら、彼女にも謝っておいて欲しい」

 それでは失礼、と口にして、男は身を反転させた。不用心な猫背が佐藤の前でしばし躊躇うようにしつつ、だがすぐにも一歩目を踏みだした。

「おい」佐藤はその背に声をかける。「一つだけ教えろ」

 男が足を止める。首だけで振り返る。けれど、その面は隣家の常夜灯の陰になっている。

「お前の名前は何だ」

「……名前?」

「お前だけがこっちを一方的に知っているのは、いかにもアンフェアだ。教えてくれなきゃ、お前の名前は永久に【ストーカー】だぞ」

 佐藤の言い方がおかしかったのか、男は二度ほど肩を震わせた。あるいは、すくめたのか。

 いずれにせよ、男はあまり間を置かずに、シルエットとのなった口を開く。

「僕の名前は、ツクイオサムという」

「ツクイオサム」と佐藤は復唱。「どんな字を書く」

 その問いに、ツクイオサムは背を向け脚を踏みだしながら、答えた。

「検索すれば、すぐに出る」


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