【1章 - 3】たぶん、カボチャに罪はない

 

 ――駅のスタバの期間限定メニュー、パンプキンティーを買ってくること。


 ゾンビから言いつけられたお遣いは、それ自体、簡潔明瞭めいりょうだった。

 だが、暮れなずむ空とケヤキの街路樹の下を駅に向かう今の佐藤には、簡単な注文ではない。

 【かぐや】としての女姿で、しかし必然、佐藤竹寿としての男声を出さないわけにはいかない。身振り手振りも無いではないが、不自然さを助長するばかりだ。

 赤信号で足を止めた。途端に溜息が漏れでる。

「……あいつ、マジでゾンビだな。血も涙も情も無いぜ」

 独り言までついてきた。少しばかり辺りを気にする。斜め後ろでドラマの話に余念の無い女子二人組、ヘッドホンで両耳を覆っている男、それにながらスマホの体で後をついてくる【ハーフアップ少女】こと海場之也。何でも証拠写真を撮れと言われたらしい。

 向こうのほうから桜紅葉が信号が変わるのを待たずに渡ってきて、佐藤の足下を過ぎていった。風がスカートの中で渦を巻き、その冷たさに佐藤は膝を震わせる。

 遅れて信号が青になり、車も人も動き始める。

 一人息を吐きだしてから、横断歩道に踏みだす。

 ――これも仕方ないことなのだ。海場を辱めた己への罰、関係をフェアにするための通過儀礼。失うものは多いだろうが、もはや後戻りは出来ないのだから。

 北八里高校から歩くこと十分。別方面から来た大学生らとともにスクランブル交差点を渡り、駅改札前を通過すると、バスロータリーを商業施設が取り囲むエリアに入る。スタバはその一角に軒を構えている。テラス席からも女学生らの黄色い声が盛んだ。

 佐藤はあえて、大きな胸をひときわ目立たせ気味にして、ガラス戸より中に踏み込む。

「……げ」

 見知った顔を見つけて、思わず喉の奥で音を鳴らしてしまった。慌てて口元を押さえる。

 カウンターにほど近い席で、部長がスマホをいじってるのは良い。どうせ盗撮が目的だろう。

 その隣の席で、ルーズリーフにペンを走らせているのは、ポンパドールスタイルの少女。

 金子だ。確かに、今日の帰り際にスタバに行くと言っていた。だが、それからもう二時間は経っている。友人らはすでにいない、一人でいったい何をやっているのか。

 疑問渦巻く佐藤だが、今はかかずらっている場合では無い。なるべく髪で顔を隠すようにしつつ、彼女の前を通ってカウンターへと回り込む。

 一つだけが働いているレジカウンターの前に、並んでいるのは四人。その後ろに佐藤が立ったところで、一人が商品を受け取って離れ、一番前のスーツ姿がスタッフに呼ばれた。各々スマホをいじっている男女の大学生が佐藤の前に残る。

 佐藤はやはり落ち着かない。店内装飾のお化けやカボチャを順繰りに見る。意味なく足首を回す。腰の前で指先を組んだり離したり。

 ここに来て、覚悟が揺らいでいるのは自覚していた。

 部長は当然仕方ない、店員だけなら開き直れる。

 しかし、同級生がすぐそこいるのだ。しかも、はっきり言って面倒なたぐいの人物が。

 何がどうして、こんなことになったか。疑惑と後悔が心中で荒れ狂う。膝が震えてすらいる。

 イヤ、ここは落ち着こう、そうだ小声で注文すれば良いんだ。

 胸に手を置いて、香味の混じりあった空気を深く吸って吐き、吸って吐き。

 改めて目線を前に移せば、光景は先と大差ないようだった。男女はスマホいじりに集中し、スーツの背中はサンドイッチの種類で迷っているらしい。その間に落ち着きを――

「お待ちの方、こちらにどうぞ」

 スタッフがもう一つのレジに立って、客を呼んだ。思わず手に力が入る。

 しかも、前の二人は同時にスマホのカバーを閉じて、レジに向かった。心臓が高鳴る。

 そして、スーツ男はついにサンドイッチ一つをレジに置き、電子マネーで簡潔に会計を済ませた。なんでそこだけ素早いんだ。

 後ろを振り向くもだれもいない。外を老婦人が手押し車を押して通り過ぎていくばかりだ。

「お待たせしました、お次の方」

 スタッフが佐藤を呼ぶ。営業スマイルに隙は無い。

 震える脚をなんとか前に。地面を踏んでいる感触が薄く、上半身がぐらつく。

 ようやくたどり着いたカウンターに手をつく。

「いらっしゃいませ、ご注文は?」

 スタッフの声が耳道に反響する。

 メニュー表の文字が上滑る。

 すべての注目が刺さりくるように感じる。

 拍動が胸を突き破そうになる。

 ――後ろから、小走りで来る足音。

「かぐやちゃん、今帰り?」

「っ……!」

 驚愕は、幸いにも喉の奥でつかえた。

 振り向けば、【ハーフアップ少女】が笑みを浮かべていた。額に光る汗、そしてざっくりとまとめ上げたヘアスタイル。いかにも運動部帰りであるよう。バッグにぶら下がるガンバ大阪のユニフォーム型キーチェーンなど、ディティールまでこだわった変装だ。

 そんな姿の海場が、薄い唇の前に指を一本立てた。――声を出さないで、ということか。

 佐藤がどうとも答えない間に、海場は佐藤の前に入る。

「すみません、一緒に注文して良いですか?」

「はい、どうぞ」

 女性スタッフも努めて明るく応答してきた。まるで、若さ故のちょっとしたお転婆てんばを微笑ましく思っているかのように。

「じゃぁ、この期間限定パンプキンティーを。かぐやちゃんも同じので良い?」

 海場が斜めに振り向く。佐藤はゆっくりと首肯した。うなじに毛先がすれる。

「では、同じのを二つ。いや、三つ、外で友だちが待ってるんで」

「はい。パンプキンティーが三点ですね。すべてお持ち帰りでよろしいですか?」

「お願いします」

 金額がレジに表示され、海場はピンクのがま口を取り出す。

 佐藤は、その細い指がコインをつまみ出す姿を、ただ見ることしか出来なかった。

 もう一つのレジに別の客が注文しに入った。



「ありがとな、海場、助かった」

 学校へ戻る道すがら、辺りに人が居ないのを見計らって佐藤は礼を言った。

「お礼なんて良いよ。こっちが勝手に飛び出しただけだから」

 海場が首を横に振った。髪留めのガラス玉が、街灯の光を受けてキラキラと輝く。

「おかげで人生が終わらずに済んだんだ。感謝してもしきれない」

「そんな……。むしろ、こっちの方が謝らないといけないよ。なんか、変なことに巻き込んじゃって、ゴメンね。全部ぼくが悪いだけなのに」

 薄い肩をすぼめる海場に、佐藤は「それは違うぞ」と即座に返した。

「先に軽はずみで失礼を犯したのは、俺のほうさ。悪気はなかったが、結果お前を傷つけたんだ。その分がフェアにするためなんだと思えば、これくらいはやらなきゃ意味が無い」

「フェアにする……?」海場が佐藤を見上げ、首を傾げる。「佐藤くんってときどき、不思議な言い回しをするね。どういう意味なの?」

 ちょうど信号に引っかかり、二人は足を止めた。群青色に暮れた空の下、赤信号の直立する人型が目に眩しい。その足下で北八の女子生徒たちがなぜかに興じている。

「言うなれば」と佐藤。「人間だれしも等しく自由なんだよ」

「自由?」

「なんて言うと大げさだけど、つまり好き勝手やって生きてるのは、自分も他人も同じなのさ。なのに、どっちかだけをごり押しするのはアンフェアなことだ」

 バスが右手からやってきて、豪快に左折していく。風圧で木々がざわめき、二人の髪をなびかせる。佐藤の、スタバの紙袋を持つ手に、冷たい空気が染みる。

「俺が女の子の髪が好きで言い寄ったりするのなら、ユキの女装趣味をバカにしちゃいけない。アンフェアだ。だから、俺が女装してるユキを傷つけたのなら、俺だって同じ傷を受け止めなきゃ行けない。それで初めてフェアになれるってことだ」

 信号が青になった。向こうから渡ってくる人たちにはばかって、二人は口を閉ざして、歩を踏みだす。雑踏とすれ違い、ケヤキ並木の下に進み行く。

「……すごいなぁ」と海場が溜息を漏らした。「佐藤くん、そんなこと考えて生きてるんだ」

「いや、感心するほどじゃないぞ」と佐藤は首をひねる。「そもそもは親父の受け売りだし。それに、俺は考え無しで突っ走っちまうから、謝るだけじゃ俺の気が済まないってことだよ。そのための後付けの屁理屈さ」

 それでも充分すごいよ、と海場は笑う。佐藤は気恥ずかしくなって、視線を遠くの方に逸らした。西の空にたなびく細い雲は、まだ紅色の輝きを残している。

「まぁ、なんだ」佐藤は気を取り直して、「今日は意外とおもしろかったぜ。あんなスリル、日常の中じゃそうそう味わえるものじゃ無いしな」

「本当にゴメン」と海場がまた俯く。

「だから良いって。結果は無事だし、今思えばそのスリルを楽しんでた」

 ザワザワと揺れるケヤキ並木。ウィッグの毛先がうなじのあたりでそよぐ。

「これまで剣道くらいしか、碌にしてこなかったんだ。剣道辞めちまって、想像以上にすることの無い自分に呆れかえってた。そんなときにこれだ、やみつきになりそうだよ」

「そ、そう?」

「あぁ、せっかくなら変装部に入部したいくらいだ」

「えっ……」

 海場が固まり、足を止める。佐藤は数歩行きすぎてから振り返った。その表情は暗がりのために窺えない。乗客でいっぱいのバスが、駅のほうから二人を追い越していった。

「どうした、海場?」

「……あ。ううん、なんでも無いよ」

 海場が脚を動かし始め、俯き加減に佐藤に並ぶ。二人してまた学校への帰途を行く。

「……さ、佐藤くんって」沈黙漂う中で、海場が口を開く。「剣道、辞めちゃったんだ」

「あぁ、まあな」

「どうして、辞めちゃったの? もしかして、怪我とか、何かの病気とか?」

 横から見つめてくる海場。どこか口調の端に切実な何かがこもっている気がした。

 だが、佐藤は「いや」と首を振った。

「なんとなく、だ。あの剣道部には居づらくなった」

「居づらく、なった?」海場がこくんと首を傾げる。

「簡単に言えば、嫌がらせって言うんだろうな。稽古けいこの時に相手してもらえない、相手になっても明らかに手抜きで来る。そういうのを毎日のように受けるようになったんだ」

「そ、それは、先生に言ったほうが……」

「言ったし、顧問も注意はしてた。だがそれでは収まらず、かえってエスカレートした。胴を外して脇や垂れを打ってくる。面じゃなく肩を斬ってくる……。で、そうまでされるくらいなら、続けなくてもいいか、とな。別に強かったわけでもないし、背も大して高くはないし、めっちゃ好きだったわけでもないしな」

 校門から出てくる女子グループと入れ違いに、二人は校地に入る。佐藤も海場も再び口をつぐんでいた。人生を楽しんでいるようなキャピキャピ声が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。

「……佐藤くんは、それで良かったの?」

 海場が小声で尋ねてきた。つむじ風が枯葉を巻き込んで、カサカサ音を立てている。

「そういうのは考えないようにしてる。どっちみち戻れないからな、今さら」

「そう……」

「それに」と佐藤はさざめく楠に目を向けた。「己の軽率さも、今思えば悪かったんだろうな」

「えっ、そういうものなの?」

 海場が顔を上げた。佐藤の表情にひきつれた自嘲の笑みが浮かぶ。

「剣道部の先輩にな、湯島宏大って新しく主将になった人がいるんだけど。あ、ちなみに男な」

「うん、その湯島先輩が?」

「その先輩が夏休みに妹を連れてきたんだ。こよりちゃんって、長い髪をカチューシャで留めた女の子。かわいかったよ、素直で働き者で、髪もキレイだったし」

「……もしかして」と海場も気づいたらしい。「一目惚れして、言い寄っちゃったの?」

「その通りだ」

 喉の奥から思い出し笑いが漏れる。対する海場も抑えきれない笑いに口角を震わせている。

「まぁ、なにせ相手が悪かった。その湯島先輩ってのが、時間とか持ち物の管理とか稽古中の私語とか、いろいろ厳しい先輩でな。浮いた話題なんてのも御法度ごはっとだったのさ。そこにきて俺がやらかしたもんだから、『妹に近寄るな変態、たるんでるぞ』ってすごまれた。でそれからだな、妙な雑誌は放り込まれるし、女子部員のランク付けとかわけわからん話を振られるし、そのせいで俺だけ先輩に説教されるし。で、これが嫌がらせに発展したってとこなんだろうよ」

「……それは、何て言うか、佐藤くんらしいね」

 ものは言いようだな、と佐藤は肩をすくめた。

 玄関口に入って上履きに替え、北館屋上階へ。途中で何度か帰宅の生徒とすれ違う、自然と二人は口を開かなかった。音楽室からは木管四重奏と金管五重奏がかぶって聞こえてくる。屋上階へのドアは海場がIC定期券で開けた。

 ピタリとドアを閉じると、演奏の音が小さくなる。佐藤は肩にこもっていた力を解いた。

「ふぅ、ようやく帰り着いたぜ。早くこいつ届けて、着替えてぇな」

 佐藤はさっさと足を踏みだす。が、

「……ねぇ、佐藤くん……、ううん、かぐやちゃん」

 呼びかけに、一段目で振り向いた。

 海場の二重まぶたの瞳がまっすぐに佐藤を見つめている。薄暗い階段室でも、それはすぐに知れた。思わぬ真剣な空気に中てられ、佐藤もわざわざ踏み出していた段を下りてしまった。

「変装部に入りたい?」

「え? ……せっかくならな。けど、俺に秘密を守れと言われてもな」

「いいよ」

 佐藤は海場を見返した。白い歯がわずかに笑みの形で覗いている。

「ぼくは歓迎するよ。かぐやちゃんを、佐藤くんを」

「いいのか?」

「うん。ぼくもね、ここに来てからのほうが、それこそ生まれ変わったみたいに生きてるのが楽しくなった人間だから。そういう仲間が増えるんだったら、ぼくとしてもすごくうれしい」

「けど、もし秘密がバレちまったら……」

「たとえ秘密が漏れちゃうようなことがあっても、そのときはぼくも一緒に恥をさらすよ。絶対一人にはさせない」

 すべすべした海場の手が、佐藤のやや筋張った手を握る。その手の小ささに半ば驚く。

「よろしくね、かぐやちゃん」

 きゅっと握ってくる、ほどよい力の感触。それがいかにも心地よかった。

 佐藤も力をこめ返す。手の中のものが崩れてしまわないよう、適度な力量で。

「あぁ、よろしくな。海場」

「ユキって呼んで。ここではそれがニックネームだから。ぼくもかぐやちゃんって呼ぶよ」

「普段はやめてくれよユキ、さすがに恥ずかしすぎる」

 二人は軽く笑い声を上げて手を離した。並んで階段を上がる。

「あっ、でも二人は何て言うかな」と海場。「もしかしたら渋るかも」

「そんな気もするな、確かに」

「でも、大丈夫だよ。ぼくが説得するから」

 海場が太鼓判を押すと同時に、天文観測室の扉を開けた。

 カーテンはそよいでいない、人の気配もない。海場が電気を付けると、佐藤の詰襟学生服や荷物しか置いていなかった。佐藤は一人、眉をひそめる。

「書き置きがあるよ」海場が傍らの机にあったメモを手に取る。「『先に還り

ます、部長も直で帰るって。つまんないのー』、だって」

「なんなんだよ、あいつ」佐藤は手元の紙袋を机に置いた。「どうすんだ、こ

のカボチャ……」

「かぐやちゃん、好きだったら全部あげるよ?」

「やめてくれ。俺、カボチャは煮付け以外、基本的に無理なんだ」

「えっ、ぼくもあんまり……」

 沈黙のとばりがさっと下りる。吹奏楽部も、最後の一音をフェードアウトさせた。


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