第7話 新しい現場

俺は今、休日を満喫するどころか、どでかいお屋敷のような家の前に1人立っている。自分が置かれている状況にいまいち理解が及ばない俺は、頭の中の整理を始めた。


思えば、昨晩から異変は起きていた。


昨晩の話。

絶望の淵に立たされていた俺は、スマートフォンを確認していた。

いつクビの宣告が来るのかと心臓を鳴らしていたが、スマートフォンは一向に鳴る気配がない。俺はスマートフォンで時刻を確認する。

19時35分。警備会社の営業時間はもう過ぎている頃であった。

俺は自分のスマートフォンをベッドに投げると、パソコンの前に座った。

タバコに火をつけると、今日あったことが思い出される。

物思いに耽っていると、スマートフォンの呼び出し音が突然鳴った。

俺は急いで、スマートフォンを手に取ると表示されている番号を確認する。

知らない番号であったが、どうやら市外局番を見るに、携帯からの発信ということはわかった。

俺は恐る恐る電話に出る。


「もっもしもし…?」


「あ、あ、あの!速瀬さんですか?」


女の子の声が聞こえてくる。

その声はどこか聞き覚えがある声をしていた。


「どなたですか?」


俺はその声に尋ねてみる。


「た…珠希です…三峰 珠希…」


三峰 珠希?俺は思考を巡らせる。

三峰という苗字は初めて聞いたが、珠希という女の子は、俺の頭の中に1人しかいないので、あの視察官だろうと断定する。

あの昼食の後も、何か話しをしたりしていたはずだがほとんど記憶にない。

きっと、クビになるショックがでかすぎて、話が頭に入ってこなかったのであろう。

何か重要なことを聞き逃していたら申し訳ないと思いつつ、様子を伺う。


「何か用事でしょうか?」


「え…えっとね…明日、本当に迎えに行ってもいいのかなって確認したくて…」


「迎え…?」


俺は、珠希が言っていることを考えるが、そのような話題をしていたことは頭の中に残っていなかった。

何か本部で手続きでもあるのだろうか?

俺はそんな推測を立て、珠希の言っていることにとりあえず了承することにした。


「よ…よかった…じゃあ8時に迎えに行くから…」


珠希がそう言うと電話は切れた。

8時か…いつもよりは寝れるけど、夜更かしはできないな。

そう考え、パソコンの椅子に再び座り込む。

自分のスマホをデスクの上に置くと、友人にチャットを打ち込んだ。


“今日、遊べなくなった”


“へ?なんで?”


友人はものの数秒で返信を返してくる。


“いや、俺クビになってさ、その手続きがあるんだわ”


“なんでクビ?なんかやらかしたの?”


俺は、説明するのにチャットだと煩わしいと思い、友人にそのまま通話をかける。

ヘッドセットを装着した俺は、通話に出た友人に、今日あったことを説明した。

すると友人は俺の話を聞いたあと、話し出した。


「―いやいや、そんなんでクビってありえねぇし。お前のその斜め上の発想はなんだよ」


確かに俺の発想は友人の言う通り斜め上ではあるが、理には適っていると自分では思う。



「確かに、お前の言い分はわかるけど、逆にだぞ。これがお前に惚れている子の行動だとすれば…」


「それはない」


「なんでだよ!!」


納得のいかない様子の友人は、俺に長々と自分の意見を説明してきた。

俺は友人の話半分でブラウザーゲームのログインを済ます。


「まずその珠希さん?の行動を考えてみろ。4ヵ月の間会ってなくて、で、突然美人になって帰ってきたんだろ?この行動の理由はなんだ?」


「それはあれだろ。珠希さんに彼氏ができたからキレイになったとかそういう単純な理由だろうが」


「こうは考えられないか?一番最初に会った時、お前に惚れて、自分の外見がみすぼらしいことに気づいた珠希さんは、自分を変えるために努力した」


「ふふっ…お前それなんてエローゲだよ」


「俺は大真面目だくそが!!」


さすがに、友人の言っている解釈にはあまりにもおかしい点がありすぎる。

俺の発想の上を行く友人はさすがオタクであった。


「…で、続けると、お前に惚れてる珠希さんは4ヵ月後、お前に会うため、色々と準備をしてきた。それがお弁当やらプレゼントってわけだ」


「でも、それ、いきなり渡されたんだぞ。俺は珠希さんのことほとんど覚えてないっていうのに」


「不器用な子なんだろきっと。可愛いじゃん」


ダメだ。こいつの脳内は二次元に浸食されているようだ。

発想がアニメや漫画そのもので参考になるわけがない。


「百歩譲ってそうだとしよう。ただそれだと色々おかしいぞ」


「なにが?」


「俺の電話番号知ってたり、味の好みを知ってたりする理由がわからん」


「それはお前あれだろ。名前さえあれば、最近は便利な道具があるじゃんか」


「…SNSとかやってないんだぞ。俺は」


ブラウザーゲームや、オンラインゲームはやったりすることはあっても、SNSなどはやっていない。やっていない理由は、俺に友人が少なかったりするのもそうだが、ただ単にこんな感じで個人情報が抜かれることが怖いからだ。結局はその努力も無駄であったが…。


「とにかく、クビは絶対あり得ないね。珠希さんはお前にぞっこんなんだって」


「ばかばかしい…」


「言ったな?じゃあお前、その珠希さんともし付き合ったら俺に女紹介しろよ」


「じゃあ付き合わなかったら、お前の妹、俺に紹介しろよ」


「別にいいぞ。ただ紹介するだけなら構わん」


俺達は、固い約束を交わし、会話を終えた。

特に、することがなく、まだ21時にもなっていないが、眠気が急に押し寄せてくる。そういえば、昨日は2時間くらいしか寝ていないんだった。


俺は部屋の電気を落とし、スマホを手に取って、ベッドで横になる。

スマホを眺めると、1件の通知が来ていた。

通知を見るに、誰かからのショートメッセージのようだ。俺は、眠い目をうっすら開けながらそのショートメッセージを確認する。


“珠希です。明日、8時に家の前にいてください。荷物は何も持ってこなくて大丈夫です。こちらで用意しておきます”


どうやら、先ほどの電話番号から届いているショートメッセージのようだ。

俺は、そのショートメッセージに返信をする。


“服装は、私服ですか?”


そのショートメッセージを返すと、すぐに返信が来るが、その返信は途中で送られたような文章であった。


“私服が”


これだとどちらがいいかわからない。と思っていたが、すぐに修正された文章が送られてくる。


“私服でお願いします。あともし、寝坊されたとしても、待たせておくので、気にせずに今日はゆっくりとお休みください”


“了解しました”


俺はそのメッセージを送ると、疲れからか、そのまま眠ってしまっていた。



朝、目が覚めると、手元にあったスマホで時間を確認する。

6時47分。

とっくに仕事へ出発しなければならない時間は過ぎており、俺は焦って準備を始めようとするが、今日が仕事でないことを思い出し冷静になる。

寝すぎた体に伸びをすると、再びスマートフォンを眺めた。


8時まではまだ時間はあったが、しっかりと用意しなければならない。

というか迎えに来ると言っていたが、本当に俺は家の前にいるだけでいいのだろうか。クビになるとすれば、待遇がよすぎる気もする。友人が言うようにクビはないかもとも思えてくる。


時刻は7時40分。俺は、準備を済ますと、家から出て、迎えというものを待った。

もし、迎えに来るというのが冗談であるとしても、家にすぐに帰れる状況なので別に問題はない。


しばらくすると、俺のアパートの目の前に、黒い車が停車した。

中から、スーツ姿の老人が出てきて俺の方を見るとペコリと一礼した。


「お迎えに上がりました。速瀬様」


気品に溢れているその身なりと、渋い声に、俺はその老人が、俺の住んでいる世界とは別の住人だと理解する。


(金持ちっぽい人や…)


アホっぽい感想しか出てこない俺の頭。

車の後ろのドアを開け、俺に車の中に入るよう促すと、俺は言われるがまま、その車の中に入って行く。


車の中も、この老人に見合うような、高級そうな車内に驚く。

俺は極力汚さないように、体を小さくする。

車が出発すると、俺はその老人に話しかけた。


「えーっと、今からどこに行くんでしょうか?」


「お嬢様の家でございます」


どうやら警備会社の本部に行くわけではないらしい。

俺は一安心するも、新たな疑問を覚えた。


「お嬢様って誰ですか?」


「速瀬様がよく知っている人物でございますよ」


「は、はぁ…そうですか…」


お嬢様と発言している辺り、女の子であるということだろう。

そして俺には、こんなことのできる友人はいない。

ということは、予想通りというか、今は珠希の家に向かっているとこなのだろう。

そもそも、この迎えに行くというのは元々珠希が言い出したことだ。


「えっと…俺はやはりクビになるんでしょうか?」


「働く前からクビとは…ずいぶん弱気なのですな」


その老人は俺の言ったことが面白いのか微笑した。

俺には老人の言っている意味はわからない。

というか連れて来られている理由でさえ俺にはよくわかっていない。


俺は、老人に何を質問していいか戸惑い、窓の外を眺めた。

もう30分くらいは車に乗っているだろうか、景色はまだ俺の知っている場所であった。

しばらくそのままぼーっと車の外の景色を眺めていると、車の風景は次第に、畑が多くなってくる。俺はこの景色を知っている。いつも仕事帰りのバス停から見える景色だ。

老人の言っていたことは、間違いないのであろう。

右折した車は、いつもの工事現場の道をしばらく行くと、止まった。

俺は思わず、車の前方を眺めると、黒く大きい門が開いていき、そのまま車が進む。

庭のような場所は広く、周りの景色は木々が生い茂っている。徐行している車はしばらく行くと、停車した。

目の前には大きなお屋敷のようなものが見える。


「到着致しました」


そう言いつつ、老人は、何かのボタンを押すと、タクシーのように俺が乗っていた後部座席のドアが開いた。

俺は、外へ出ると、目の前にあるどでかい家を眺める。


(で…でけぇ…。何?大富豪なの?噴水とかあるけど…なんかよくわからない像とかあるし…日本ってこんなに土地余ってんの?いやこの家がすごいだけ?)


俺は老人に案内されるがまま、お屋敷の中へと入って行く。

中は、外で感じていた大きさよりもさらに広く、この玄関のようなホールだけで、俺の住んでいる部屋くらいの大きさはある。いや、もっと広いな…。

まじまじと、玄関の広さを俺が見ていると、1人の女の子が奥から現れ、俺に声をかけた。


「は…速瀬さん。い…いらっしゃい…」


そこには、普段とは違う格好をした珠希の姿があった。

清楚な白いワンピースのようなものを着ている珠希は、本物のお嬢様のようである。


「じいじ…後は私が案内するから…じいじは下がって」


「畏まりました」


珠希がそう言うと老人は、どこかへと消えていく。


「は…速瀬さん上がって…」


「えっと靴は…?」


「あ、ここは脱がないでも平気だから…」


俺は、珠希に手招きされ、玄関から中に入ると、恐らくダイニングだろうか。

あまりにも広く開放感のある場所へと案内される。


「ど…どこでもいいから座って…」


1人で座るには、広いテーブルの前に置いてある椅子に腰かけると、俺は頭が真っ白になる。こんな場所に座ることになるなんて思いもよらなかった俺は、ガチガチに緊張していた。


「い…今からご飯出てくると思うから…」


俺の正面に腰かけた珠希は俺に向けてそう言う。


「ま…待ってください。本当にちょっと待ってください」


色々状況が掴めない俺は、珠希に尋ねることにした。


「ここは、あなたの家ですか?」


「う…うん。そうだけど…」


「お…お嬢様だったんですね?」


「う…うーん。世間的にはそうなのかな…あ、それよりも聞いて…」


そう言った珠希は、落ち着かないのか、別の話題に切り替えようとしている。

テーブルの下を弄っている珠希は、そこからパッドを1つ取り出し、俺に手渡してきた。


「き…昨日言われた漫画、全部買って読んでみたの…」


「え?全部?」


「う…うん。電源つけてみて」


俺は手渡されたパッドの電源をつけると、漫画のアプリが起動されている状態であった。

幸いして、自分の使っているアプリと同じ電子書籍のアプリだったので、適当に操作をして、珠希が言っていたことが真実か確かめる。


「さ…さすがにね…ワ〇ピースはまだ途中だし、ジ〇ジ〇も第五部っていうところまでしか読めなかったけど…他は全部読んだんだ…」


珠希が言う通り、全て購入されていた漫画達は、目が通されている。


「そ…そうなんですね…。面白かったですか?」


「う…うん…。全部面白かったよ…?」


俺は、この状況に置かれて、初めて自分の考えが違うことに気づいた。

この珠希という人物は、俺が考えているような人物ではないと。

つまり、警備会社の視察官などではないということだけはわかった。


「と…特にジ〇ジ〇の第四部が面白かった…かな…あ、他も面白かったんだよ…でもさっきまで読んでたのがその漫画だったからつい…」


だとすれば、ますます不思議なことはある。なぜ俺にここまでしてくるのか。

俺はまた頭を悩ませていると、ふいに友人と話していた内容を思い出した。


“お前に惚れてるんだろ”


その一言が脳裏に浮かんでくる。

いや待て、絶対にそれはない。と、頭の煩悩を振り払う。

俺が首を1人で振っているのに気付いたのか、珠希がこちらを不思議そうに眺めている。


(ストーカーとか笑い方が怖いとかそういうことを省けば、そりゃあ可愛いけど…)


そういうことではない。なんでこの子のことが自分の中でいけるかどうかみたいな判断をしているんだ俺は…。


そんなことを考えているうちに、1人の給仕のような人物がダイニングへと入ってきた。その給仕は、俺達の目の前に食事を運ぶと早々に立ち去って行く。


「た…食べよう?」


「い、いいんですか?」


「う、うん」


そうか。わかったぞ。これは夢だ。

クビになるだろうというショックで見ている夢なのだ。ではないと説明がつかない。

ただの警備員の俺がこんなにいい思いできるはずがないのだ。

夢だと確信した俺は、目の前の食事にありつくことにした。


(夢なら、少しでもいい思いをして帰ろう)


目の前に運ばれていた料理はどれも美味しい。

どれも俺が食べているものとは一味も二味も違っていた。

一心不乱に食事をとっていた俺は視線に気づき、珠希のほうをちらっと見る。

俺の食事姿をじっと見ていたのか珠希は、少しほほ笑んでいる。


「あの…見られると、恥ずかしいのですが…」


「あ、ご…ごめん…」


珠希は、俺にそう言われると慌てて自分も朝食を食べ始めた。

食事中、無言のままもきついので、俺は珠希に話題を振ることにした。


「あ、あの…俺はなんでここに連れて来られたんですか?」


夢に理由を尋ねるのも不思議な話だが、気になってしまったので仕方がない。


「し…仕事ですよ…?」


「仕事ですか…」


俺は仕事という珠希に仕事の内容を尋ねてみようと話を振ろうとするが、先に珠希が仕事の内容を話し始めた。


「仕事の内容は、ただ門のとこに立ってくれたらいいから…」


「何時間ですか?」


珠希の言う仕事が、いつもの警備内容と同じようなので、勤務時間もついでに尋ねてみることにする。

夢でも仕事のことを考えてるなんて…疲れているんだろうか。


「え…えっと…考えてなかった…」


珠希はボソッと何か言うと考え込んでしまっているようだ。

しかしすぐに何かを思いついたのか、顔を上げると、俺のほうを見る。


「3時間。3時間にします!できれば週3で…」


「そ、そうですか…わかりました…しかし週3ですか?」


「う…うん…毎日だと、疲れちゃうでしょ?あ…もちろん、送り迎えは心配しないでいいから…」


かなり待遇はいいらしい。

さすが、俺の夢。都合がいい。


「ちなみに3時間でいくらですか?」


「えっと…6万円くらい…?」


「6万!?」


俺は飛び上がるように席から立った。

1時間2万円というその高額の支給に思わず色々と考えが巡るが、そういえばこれは夢だったと思い出す。

俺は落ち着きを取り戻し、元の椅子へと腰を下ろす。

俺の様子にびっくりしていた珠希は、手に持っていたパンを落としてしまっていた。

俺の声のせいでびっくりさせてしまったのだ。ここは俺が拾うべきだろう。


「す…すみません。大きな声出して…。パン拾いますね」


俺は、席を立ち、テーブルの下を覗く。珠希の足元のほうに落ちていたパンを俺は拾い、起き上がろうとするが、俺の目線にあるものが飛び込んできた。


(純白の中のピンク…)


俺はスカートからちらっと見えていた中身を凝視してしまう。

このままここにいたら怪しまれる…いや待て。しかし、これは夢だ。もう少し堪能しても罰は当たるまい…。

そんな俺に机の上から声がかかった。


「な、何かあった?速瀬さん?」


「いっいえ!!なんでもないです!!」


俺は勢いよくガンッと自分の真上にあったテーブルに頭を打ち付けた。

痛い頭を摩りながら、顔を上げると、パンをテーブルの上に置き、席についた。

落ち着きを取り戻した珠希は、話を俺に続ける。


「え…えっと…6万円は少なかった…?」


「え?」


「じ…じゃあ10万円とか…?」


「いやいや!6万円でも多いですから!」


どうやら頭の痛さを考えるに、夢ではないらしい。

夢見ている間にどこかぶつけている可能性もあるが、自分の手元を強く握った感触や、周りのリアルすぎる風景を考えると現実で合っているようだ。


そうなると、この仕事が俺に依頼された理由を考えなければならない。

1時間2万円という破格の値段。さぞかしきつい仕事内容なのだろう。俺は知っている。

門の前に立つだけだからとうまい話をしつつ、他にも色々と押し付けられることを。


もちろん珠希が言うように10万円であれば、俺の生活は今よりもずっといい生活になるだろうが、その料金が高くなればなるほど、業務内容に怪しさを隠しきれない。

俺は一体何をやらされるんだ…と恐怖する。


「え…えっと…じゃあ間をとって9万円にするね…」


「それって間を取ってるって言えるんでしょうか…」


「で…でも、大変だよ…お客さんの対応とか…」


大変。そう言われたことにより、俺の脳内で行われていた問答が解決したように感じた。

まるで脳内にある疑問のパズルのピースが全て揃ったような気持ちだ。


つまりこういうことだ。

珠希という女はある日、暇そうに警備していた俺を見つけた。

きっかけはやはり、闇の人間である自分に俺が挨拶したことが始まりなのだろう。

丁度いい人材を探していたところに見つけた警備員。

その人物である俺を使える人材かどうか闇の人脈を使い徹底的に調べ上げたんだろう。

そして、金に困っていることを知り、近づいてきたんだ。


あの携帯灰皿が思わぬ証拠になった。あれは自分のファミリーになるかどうか試して渡してきたものだったんだ。

それを俺は何も知らず受け取ってしまったことで、ファミリーの契約が成立したんだろう。

俺が携帯灰皿を返そうとしたって、一度契約を結んだ以上、仕事をしてもらうことは決定していたということだ。


そして、わざわざ俺を呼び出して、仕事の内容を説明した。

9万円という報酬の理由は、おそらく闇の取引が行われているこの屋敷のことを口外してはならないということだろう。口止め料とすれば、高時給も納得がいく。


「あ…あの、1つ伺ってもよろしいでしょうか…」


「な、なに?あ…あとそんなに畏まらないで…私年下なんだから…」


ファミリーの一員には優しいということだろうか。さすが闇のドン。

いや…この珠希の父親がドンということになるのだろうか?

しかし、そのご令嬢に向かって、俺が粗相をするようなことがあれば、殺されて埋められてしまうだろう。敬語は崩せない。


「こ…ここでは何の取引が行われているんですか…?」


「と…取引…?なにそれ?」


なるほど。さすがにまだ一員になって日も浅い俺には秘密は教えられないか。

それどころか一警備員の俺には取引の内容は明かせないのかもしれない。


「あ、でもじいじはたまに偉い人と話してるよ…?私の知らない人」


ご令嬢である珠希には仕事の内容は教えられていない?

いや違う。これは白を切られているだけだ。

しかし、この発言を考えるに、あの執事風の老人が重要人物なことだけはわかる。


「そ、そ、そうですか…。では仕事内容を再度伺えますか?」


「う…うん。来た時にあった門あるでしょ?その傍で立って、お客さんが来たら対応してほしいの…あ、曜日はいつでもいいから…」


「そしたら…金、土、日でいいですか…?」


「う…うん。じ…じゃあ明日も会えるね…」


明日も会えるねとはどういうことだ。

いやそうか、まだファミリーの一員と言っても、監視対象には変わりない。

つまり、裏切らないか試されているということだろうか。

やはり、怖いし俺にはできそうにない仕事だ…

俺は意を決して、この仕事を断ろうとした。やはり金に困ってるといえど、犯罪に手を染めたくはない。


「あっあの…!」


俺がそう言い、立ち上がると、ダイニングのドアが開いた。

そこには、先ほどの執事風の老人がいた。


「デザートをお持ち致しました」


こちらに一礼し、何かを運んでくる老人。

俺は、あまりの恐怖に青ざめていく。


「ひっ!?」


ダメだ。完璧に見張られている。断ろうとした矢先にこれだ。

一歩この屋敷に踏み入れてしまったということは、もう逃げ出すなんてことはできない。そういうことだろうか。

その老人は、俺達の前にデザートを置くと、俺にこっそりと耳打ちをする。


「これからもよろしくお願い致します…速瀬様」


俺は、その言葉に力なく座り込んだ。

そんな俺を見て、珠希は首を傾げる。

老人がダイニングからどこかへと消えて行くと、珠希が話し始めた。


「あ、こ…この後ね。速瀬さんの休憩室とか案内するから…」


3時間なのに、休憩室とは大層なものだ。

裏切らないファミリーには手厚い歓迎をしているのであろう。

俺は恐怖しつつも、これから闇の社会に足を踏み入れることをどこかで受け入れた。


しかし、速瀬のこの妄想は、見当違いも甚だしいのであった…。




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