第5話 女子高生の空白の4ヵ月(2)
速瀬の昼休みが終わった。
速瀬は、いつもと変わらず1人で警備を続けていた。
私はその様子を、速瀬の見えない位置から観察している。
誰も来ない並木道に1人立っている速瀬を見ているのは飽きない。
時折速瀬は、足が痛いのか、それを紛らわすために色んな行動に出る。
屈伸をしてみたり、ストレッチのようなものをしてみたり、足をぐるぐると回したり…。
私は、つい速瀬の行動に足の痛みを和らげる効果が本当にあるのか疑問になり、自分も速瀬と同じことをしてみる。
しかし、足に痛みを感じていない私には、それが痛みを和らげる効果があるものかわからなかった。
たまに歩行者が歩いているのを見つけると、今までのだらけていた姿勢を急いで正し、じっと過ぎるのを待っている。もちろん速瀬は、歩行者に挨拶することを忘れない。
私は、その速瀬の行動に感慨深いものを感じた。
(4ヵ月経ったけど…速瀬さんは変わらないなぁ…)
速瀬は歩行者が過ぎても、少しの間体勢を崩さない。
きっと、また歩行者が来たらいちいち体勢を直すのが面倒だと考えているのかもしれない。
私は、速瀬の行動の意味を勝手に妄想する。
そんなことを続けていたら、あっという間に時間は過ぎて行き、ゲートを締め始めた速瀬は、もう帰宅する様子であった。
私は腕時計で時間を確認すると、時刻は17時55分。
ゲートを締め終わった速瀬は、工事現場の中へ消えて行く。
きっと自分の上長に就業の挨拶に行ったのであろう。
私もその場から離れ、速瀬の後をつける準備をすることにした。
速瀬がいつものように帰路に着くと、バス停の待合所のベンチにどかっと腰かけた。
“速瀬ファイル改”の情報は、怖いくらい正確であった。
あの姿は、ファイルに載っていた何枚かあるうちの1枚の写真の姿と類似している。
私は、空いていた右側の速瀬の隣に腰かけた。すると、速瀬は私を見ることなく少しスペースを開けてくれる。
こういう小さな優しさも速瀬のいいところだ。私は思わず、微笑み、声が出てしまう。その笑い声に気が付いたのか、速瀬はバッと体を起こすと私のほうを見た。
「た…珠希さん?どうしてこんなところに?」
私の名前を呼んでくれる速瀬に思わずにやけそうになる。
しかし、ここで冷静さを保たなければ、きっと速瀬はまた私のことをストーカーや変質者のように思うであろう。この質問の回答を間違うわけにはいかない。
私はその速瀬が言った言葉の意味を考えた。
どうしてこんなところにいるのか。ということはつまり、私が速瀬の隣にいる理由が知りたいということだろうか。当然の疑問だろう。
ただ、ここで答えてはいけないのは、“速瀬ファイル改”に載っている情報だろう。
私は速瀬の住所を知っている。そして、速瀬がいつも帰宅時にこのバス停を利用していることでさえもわかっている。
ただこのことを口にすれば、速瀬の中の私の評価は、せっかく上がっているのに地に落ちるだろう。
私は、冷静さを保ち、答える。
「ど、どうしてって…着いてきたの…」
「珠希さんも家が駅のほうなんですか…?き、奇遇ですね…」
どうやら、私の発言は、これで正解だったらしい。怪しまれずに済んだようだ。
だとすれば、この次の会話を考えなければならない。私は再び考え込んだ。
今の感じだと私が速瀬の後ろから着いてきたことは咎められていない。
ということはつまり、速瀬が聞きたいことは、私の家の場所?
家が駅のほうにあるかどうか問われているということは、ここは素直に自分の家の場所を教えてあげるべきだろう。
「わ…私の家は、あっちだよ?」
今まで歩いてきた先を素直に指を差す私。
速瀬の家の場所や住所をこちらは知っているので、私の家の場所が正確に知りたいと言うのであれば、もちろん速瀬に教えてあげたいくらいだ。
「そ…そうですか…。もう、日も暮れますから帰ったほうがいいんじゃないですか?」
速瀬は、私の家の場所が知りたいわけではなく、この辺りが暗くなると、私一人で帰るのは危ないと気遣ってくれているようだ。
しかし、私もこう見えてもう16歳なのだ。この辺の地理ならばさすがに把握もしているので、一人で帰るのに問題はない。
確かにあの並木道を通って帰るのは、人通りも少ないし、怖いが、徒歩でもそこまで距離があるわけではない。
もし、速瀬が私の門限のことを気にしているのであれば、そんなもの私にはないと教えてあげたほうがいいのだろうか。
「へ…平気だよ…夜遅くなるからって言ってきたから…」
少し意味合いが違った言葉が出てしまったが、あながち嘘ではない。
しかし、速瀬を見送るだけのはずなのに、そんなに遅い時間になるだろうか?
少々疑問には感じる。
そんなことは露知らず、私を1人残して帰ることがそんなに心配なのか速瀬は焦ったように続けた。
「遅くなると言っても、珠希さんはまだ女子高生でしょう?あまりに遅いと両親が心配しますよ…」
確かに両親が存命なのであれば、私の心配はしてくれていただろう。
速瀬は優しいので、こう言ってくれたが、その言葉は私に刺さった。もちろん速瀬に悪い所など1つもない。だって、速瀬には私に両親がいないということは知らないのだから…
少し暗い顔をしてしまっただろうか。
私は気を取り直しつつ、速瀬に告げる。
「だ…大丈夫…家には、じいじしかいないから…」
また、こんなこと言うはずじゃなかったのに、口からでた言葉がこれだ。
これじゃあ速瀬を責めているのと変わらない。それに、じいじしか家にいないわけではない。他の家政婦達も何人かはいる。
訂正しようにも速瀬は、私の発言を聞くと、気まずくなってしまったのか、顔を伏せた。
私に同情しているのだろうか?
優しい速瀬ならきっとそうなのであろう。
しかし、同情されたって困る。私だって両親のことはもうあまり覚えていない。
今の家族は、紛れもなく家政婦達なのだ。
(いや、違う…こんな話したいわけじゃない…私は速瀬さんともっと楽しくお喋りがしたいだけ…)
私は頭の中で何か話題はないかと考えているが、何も浮かんでこない。
それでも何か喋ろうとする私に速瀬は立ち上がった。
なぜ急に立ち上がるのか疑問に思った私だが、速瀬の目線の先を確認すると、バスが近くの交差点の信号を過ぎこちらに向かって来ている。
そっか…。もう今日は終わりなんだ。
私はバス停の前に行った速瀬を追いかけるように隣へ行く。
速瀬は、横目で私をちらっと見るが、特に何も発言はしない。
バスが到着すると、速瀬は、バスの中へと乗り込んでいく。
その後ろ姿をぼーっと眺めていると、バスのドアが締まった。
速瀬が座った席を見上げていると、速瀬がこちらの様子を見ていた。
そんな速瀬に、どうすればいいか一瞬固まるが、気を持ち直し、私は速瀬に向けて手を振った。
「速瀬さん…また明日…」
私の呟きは、空に消えて行った。
家に帰ると、私は帰宅した服のままベッドへと寝そべった。
枕を顔の前に抱えると、叫んだ。
「あぁー!!もー!!なんであんなこと言っちゃったのー!?」
自分が発言してしまった様々なことを振り返りながら悶える。
反省するべき点が多すぎて、何から反省したらいいのかわからない。
あまり他人と話すことがなかった私はきっとうまく喋れていなかっただろう。
そう。外見は大きく変わった私だが、中身は、昔と変わらず引きこもりのコミュ障。何も変わっていないのだ。
(はぁ…それにしても速瀬さん…格好よかったなぁ…)
自分への反省会のはずが、いつの間にか物思いに耽ってしまう。
そんな時、机の上に忘れていたスマートフォンが鳴った。
私はベッドから起き上がり、スマートフォンを、手に取る。
案の定、友人からのチャットであった。
“今帰ったとこだよ。そっちはどうだった?”
私はそのチャットにベッドに腰掛けながら返信をする。
“どうって、普通だよ。”
“普通って…お弁当渡したんでしょ?”
“うん”
“喜んでもらえた?”
“たぶん…”
私のその返信に煩わしさを感じたのか、友人は私に向けて着信をかけてくる。
私はびっくりし思わず、着信を切った。
“ちょっと!?出てよ!”
“ごめん。こっちからかけるから”
私はその子に着信をかけた。
友人は私の着信にすぐ応答すると、挨拶もせず私に話をしてくる。
「じゃあ全部今日あったこと話してね」
私は、そう言われるとチャットで“わかった”と返信をし、極力今日の詳細をチャット欄に打ち込んだ。
その文章を見終えた様子の友人は、すぐに話し出した。
「うーん。その速瀬君ね。たぶんあんたのこと怖いって思ってるわよ」
“そうかな?”
「だってあんた今の今までその速瀬君と喋ってなかったんでしょ?そんな相手から急にお弁当もらうって…」
それは、そうかもしれない。友人に言われるまで気づかなかった。
友人には色々と世話になっており、私が引きこもりの時はよく相手をしてくれていた。速瀬とのことを詳細に話すのは、今日が初めてだったが、もっと最初にアドバイスをもらっておけばうまく話せていたかもしれないと今更になって後悔をする。
「で、バス停まで着いて行ったのよね?普通の人なら卒倒…というかストーカーと思われて、通報されてもおかしくないし…」
“速瀬さんはそんなことしないよ”
「だとしてもあんたの行為は怖いんだって。次からは、隠れないできちんと正面から会いなさいね。あと行動する前に必ず理由を言いなさい」
“わかった…”
友人が言うことも最もだった。さすが社会人。
私にはない経験をしているだろう彼女のアドバイスは的確だ。
4ヵ月でここまで外見が変われたのも、じいじとこの人のおかげである。
「あと、話す練習してみたら?」
“練習?”
「そうそう。あんた、私と話す時でさえ、そうやってほとんどチャットじゃん。急に他人と話すなんてハードル高いでしょ?あんた引きこもりなんだし」
“ひどい…”
「だから、私で練習しなさい。付き合ってあげるから」
私は言われるがまま、その夜は初めてと言っていいくらい久々にその友人とお喋りをした。
友人は、思ったよりも厳しいが、これも速瀬と早く仲良くなるためだと思えば頑張れる。
その日は、そのままその友人に話の練習をさせられ、速瀬のことを考える暇もなく、夜が深けていくのであった。
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