第3話 女子高生事情

近寄らないで。

私の初めての友人だと思っていた女の子は、私のことを拒絶した。

生まれながらに裕福な家庭だったことが幸いし、私はそのことを境に、学校を度々休むようになっていく。

両親は、もうこの世にはいない。

両親が残してくれたものは、私1人じゃ到底使いきれない莫大な財産と、広い家。

今の今まで育ててきてくれたのは、血の繋がっていない家政婦の力であった。


「じいじ…学校行かなくていい?」


そう私がその家政婦に初めて言った時の私の顔は、泣き崩れ、今の自分が思ってもかなりひどい顔をしていたと思う。

私を育ててきてくれていたじいじも私の言葉にひどく寂しい顔をしていた。


学校を行けなくなった理由の1つは、友人の言葉でもあるが、もう1つは、学校内でのイジメによるものだった。

私は、他の子から見れば、暗い性格だったのであろう。

それが災いして、毎日のようにブサイクだとか臭いだとかと罵られていたのだ。

私の中で、自分の匂いというのがトラウマになるのも自然のことだった。


15歳まで、引きこもりを続けてきた私に、今まで口出しをしてこなかった家政婦達が一緒になって、学校に1日でもいいから行ってほしいと言ってくる。


学校へ行くことは、乗り気になれなかった。でも、今まで私をここまで育ててきてくれていた人達の発言を無碍にすることは私にはできなかった。


しかし、そう決意したのにも関わらず、外出することは叶わなかった。

家を出ようとしてもドアノブから進むことができないのだ。

私はそのことにショックを受けると再び部屋に籠ってしまう。

心配した家政婦達は私に声をかけてくるが、もう私に学校へ行けなどと言ってくることはなかった。


そして、16歳の春。

高校の制服に袖を通す。年齢的には高校2年生になったのであろう。

今まで不登校児でいられたのも、家政婦が私の財産で手を回してくれていたおかげだ。皆には苦労をかけてしまっている。

きちんとこれからは恩返しをしていこうと、勇気を振り絞って外に出る。

ここまでできるようになったのも、15歳から1年間イメージトレーニングをしていたおかげだろう。

しかし、久しぶりに浴びた日差しはかなり強く自分の歩みを弱めた。

これも外に出なかった弊害だろうか。

登校中、ちらちらと私を見ているような目線が気になり始める。

私と同じ制服を着ているということは同じ学校の生徒なのだろう。

私にはその目線に耐えることができず、思わず通学路にある公園へ身を隠す。


(少しだけ…この人達がいなくなるまで…)


何も悪いことはしていないはずなのに、罪悪感が募っていく。

こんな時、嫌な考えばかりが頭の中に浮かんでくる。

私はどうして生きているのだろう。そんな考えたくもない単語を頭から振り払う。

しばらくして、登校中の生徒が全員先に行ったのを見計らい、学校への道を再び歩き出す。

ここは学生以外あまり通らない道であるため、人がいなくなったこの道は、清々しい空気が通り、引きこもりの私でさえも春の恩恵を感じた。


「おはようございます」


そんな中、1人の男が私に挨拶の声を上げる。

私はびっくりして、立ち止まってしまう。

こうなってくるともう私が、この人に挨拶を返さないのは変そのものだ。

できるだけ、気持ち悪がられないように挨拶を返すしかない。


「お…よ…ご…ます…」


しまった。

これじゃあ絶対に相手に声が届いていないんじゃないか。

しかし、その男は、私の呟きに対しても元気に挨拶を返してくれた。


「はい。おはようございます」


私はその言葉に、思わずその男の事を見る。

長い髪の間からその男の顔を見るが、こんな私にも爽やかな笑顔を見せてくれている。


(なんて素晴らしい警備員さんなんだろう…)


私は思わず、心の中でこの人のことを尊敬した。

うちにいる家政婦以外にあまり交流がない私にはその男にとても新鮮なものを感じた。

しかしよく考えれば、本当に私に挨拶をしたのだろうか。

そう思いついてしまった以上その疑問を払わずにはいられない。


「な…なんで、私なんかに挨拶を…」


口から出ていた言葉は、私に挨拶したのかどうかを確かめるものではないものだった。しかもかなり小さい声の呟きである。

ここにも引きこもりの弊害が出ているようだ。

家政婦達にもこんな感じの呟きで話していたのだろうかと不安になってしまう。

しかし、その警備員は自分の職務を全うするかのように、言葉を連ねた。


「…この看板にあるように、住民の皆様の協力があり、この公園の一角を借りて工事をしています。なので、極力近隣の皆様に、感謝の気持ちも込めて挨拶を…」


この男は、あくまで仕事でやっているということをはっきりと私に言ったのだ。

そうだ。この人はあくまで警備員。私のことを好きで挨拶しているわけではない。

私は、少しがっかりしつつも、警備員が言っていた看板を眺めた。

再び私が警備員のほうに目を配ると、そこには先ほどの笑顔とは違い、引きつった顔になっている。

私はその顔を見て、ついぽろっと口から漏れてしまった。


「私…臭いですか?」


言うつもりなんてなかったのに口から勝手に出ていた言葉は、私にも突き刺さる。

ふと過去のトラウマが蘇り、その場にうずくまりたくなるがぐっと堪えた。

そんな私の過去を知らないはずの警備員は付近の匂いをきちんと確かめた後、私に真面目に答えた。


「匂いなんて何も感じないですよ…」


何か匂いなんてしているか?というわかりやすい顔に思わず、にやけそうになってしまう。この人はきっと顔に出やすいタイプなのだろう。

人とあまり付き合いのない私にでもわかるほどわかりやすい。


「そ、そう…明日もあなたはいるの?」


私は、ついこの警備員が毎日通学路にいてくれたら学校にも通いやすいと思い、質問をしてしまった。そんな質問にも正直に答えてくれる警備員。


人と喋る行為に、少し楽しいことに気づいた私は、どんどんとその正直者の警備員に次々と質問をしてしまう。


「何時から?」


「現場入りは7時からですね…」


「あなたの名前は?」


「速瀬です…」


私の質問にはきちんと答えつつも、足が痛いのか私に見えないようにくるくると足を回している。確かにここに1人で立っているのはかなりきついことだろう。

裕福な家庭に生まれた私にはない経験だ。


「苗字じゃなくて、名前はなんていうの?」


「浩司です…」


「どんな漢字を書くの?」


職務とは関係ない質問にも答えてくれる警備員に面白くなり、ついには漢字まで聞いてしまう。

すると警備員は私にネームプレートを見せるように右手を胸のところに手をかけて私に見やすいように少し傾ける。

私は、思わずその警備員の名前を見ようと胸にくっつきそうなほど顔を近づけた。

そんな私に、何を思ったのか警備員は、私から遠ざかろうと一歩後ろへ下がった。


「どうして後ろに下がるの?臭くないって言ったじゃない」


「いや…匂いがどうとかではなく、近いので…」


思わず、トラウマが蘇り、匂いのことを警備員に詰め寄ってしまう。

警備員は私から目線を外した。

私は、その警備員の行動にわけがわからず、少しむっとしてしまう。

確かにこの警備員が言うように臭くはないのかもしれない。しかし、近いからと言って後ろに下がったら同じことだ。私を避けているのと変わらない。

私は、警備員を少し脅してやろうと考え、ぼそっと呟いた。


「ふーん…エビデンス警備保障ね…聞いたことないけど…」


こう言えば、クレームが入ると思って必死に弁解してくるだろう。

私はこの警備員の反応が気になった。

しかし、次の警備員の言葉は私が思いもよらないものであった。


「あ…あの…本当に臭くなんてないですよ。それどころかいい匂いですって…」


何を言っているのこの男は…。私は思わず顔が赤くなる。

警備員の顔を見る限りでは、その顔が真実を告げているのだろうということはわかった。慌てている人を目の前で見ていると、少し冷静になってくる。

よく考えれば、ちょっとおかしい行動をしていたのは自分のほうであったと気づく。

確かに急に人が自分のほうに顔を急に近づけてきたら怖いことくらいは私でもわかる。それに私はこの人にとって赤の他人だ。

私はこの警備員に謝罪をした。


「ご…ごめんなさい…。あの…また来るから…」


謝罪だけでよかったものの、何か変なワードが後ろのほうについていたのは、私が通学路の道を歩み始めてからだった。










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