第2話 警備員事情

「お疲れ様でしたー」


足の疲労が、ピークに達した頃、帰路に着く。

夏である今は、この時間でもまだ日は落ちていない。

しかし、かなりの体の疲労に一刻も早く家に帰りたいと、早足で歩みを進めていく。

歩く度に軋む足に、帰路に着くことさえ過酷に思えてくる。

最寄りのバス停は遠く、工事現場からは、早足でも10分はかかる。そのバス停から駅まで行き、電車でさらに10分。そして駅から5分歩いたところでやっと家に着くのだ。

仕事が終わる時間は大体のところ定時であるが、バスの待ち時間や電車の待ち時間を考えると、なんだかんだで帰宅するのは、今から1時間後になると考えると憂鬱になってくる。


やっとの事でバス停に辿り着くと、俺は疲れきった足でバスの待合ベンチに腰かけた。

ぐでっとだらしなく体の力を極限まで抜くと顔を上げ目を瞑る。

こうしていると、足の疲れが少しでも和らぐ気がするのだ。

俺がこうしてリラックスしていると、俺の隣の空きスペースに誰かが腰かけた揺れを感じた。


俺は気を遣うように少しそのまま左へ体を動かし、今座ってきたであろう人物にスペースを開ける。

そうすると、今座ったであろう右隣から女の声が聞こえてきた。


「ふ…ふふっ…ふふふ…優しいね…」


俺は聞き覚えがあったその声にガバッと体を起こし、そいつが座っているほうへと目を向ける。


「た…珠希さん?なんでこんなところに?」


どうやら俺の予想は的中していたらしい。

珠希が不気味な笑みを浮かべつつ俺のほうを見ていた。

その笑い方では折角の可愛い顔が台無しである。


「ど、どうしてって…着いてきたの…」


距離感の詰め方が尋常ではないほど早い珠希に、昼休みに感じた寒気がぶり返した。


「珠希さんも家が駅のほうなんですか…?き、奇遇ですね…」


絶対違うという確信を持ちつつも、少しの希望のようなものを乗せてその言葉を珠希にぶつける。

しかし。


「わ…私の家は、あっちだよ?」


指差して首を傾げる珠希。

不思議そうな顔をするんじゃないし、そういうことを聞きたいのではない。

珠希の指さす方向は、俺の行く駅の方角とは真逆であった。

俺は、少しでも珠希から距離を取ろうと左に寄る。

この女の子に対し、恐怖を感じている体はこんな可愛い子相手にも小刻みに震えていた。


「そ…そうですか…。もう、日も暮れますから帰ったほうがいいんじゃないですか?」


俺は珠希を怒らせないよう極力丁寧に、しかし、やんわりと着いてくるなと珠希に発言する。


「へ…平気だよ…夜遅くなるからって言ってきたから…」


恐らくだが、俺に着いてくるつもりであろうと予測した俺は、必死に食い下がる。


「遅くなると言っても、珠希さんはまだ女子高生でしょう?あまりに遅いと両親が心配しますよ…」


「だ…大丈夫…家には、じいじしかいないから…」


なんだか踏み入ってはいけないような家庭の事情を感じる。

こういう時、俺はどういう顔をしたらいいのかわからなくなる。

確かにストーカー女である珠希ではあったが、この子も俺と同じく人間なのである。それを否定することはできない。

俺は、同情したのか、心に少し余裕が生まれた。

あまり家庭の事情に立ち入る気はないが、両親がおらず、お爺さんしか家にいないのであれば、きっとこの子は家にいる時に孤独を感じているのであろう。

そんな身勝手な妄想をしていると、遠くからバスがこっちに向かっているところを見る。

俺は立ち上がり、バスを待つ。

その横には、珠希が同じようにバスを待っていた。

バスがバス停の前まで着くと扉が開く。俺はその中へ入ると、空いている席に座る。

バスの中は人がぽつぽつといるだけで混んでいる様子はない。

少し後方の席に座った俺は、先ほどのバス停で立っていた場所を眺める。

バスの扉は俺が入るのを最後に、閉まった。

俺は、窓の外で手を振っている珠希を眺める。


(着いてくるんじゃなかったんだな…)


俺は、手を振る珠希を窓から眺めながら、少しの同情心と久しぶりに感じる寂しさがあることに気が付いた。

なんだろう…この感じ…

まるで楽しく友達と遊んだ後の寂しさのようなものを自分に感じる。

しかし、珠希はストーカーなのだ。紛れもなく。

そんな珠希に同情はおろか寂しさなど感じるはずはないのだ。

これはきっと、人と仕事以外であまり話していないことによる弊害だろう。

俺は自分の中に沸いた寂しさの感情に疑問を覚えながら、いつもの帰路に着いた。



家に着いた俺は風呂に入った後、パソコンを付け、タバコに火を点けた。

晩御飯を作る気力もわかなかった俺の今日のご飯は、以前買ってあった魚肉ソーセージ。

そのソーセージを齧りながら、パソコンをぼーっと眺め、いつものブラウザーゲームのログインを済ますと、誰かからチャットが飛んでくる。

そのチャットを眺めると、いつも俺と話をしているネット友達の男からだった。


“暇?”


そう書かれたチャット欄に俺は返事を返す。


“いや、今日はもう寝る。明日の夜ならできるよ”


“明日は休日なん?”


“明後日が休みだから、明日の夜ってこと”


“なーる。おk”


そう返信が返ってきたのを見て、俺は眠りにつこうとするが、眠い目を擦りながら、今日の作業着を洗おうと、部屋に脱ぎ散らかした服を手に取る。

ネームプレートを取り、ポケットに入っていたタバコや携帯灰皿をポケットから取り出すと、作業服を一気に洗濯機にかけた。

パソコンの前に座り直すと、手に持っていたタバコと携帯灰皿をディスプレイが置いてあるデスクに置く。


(そういえば、この携帯灰皿っていくらするんだろ)


珠希からたまたまもらった携帯灰皿を手に取る。

100円で買えるようなものとは違い、丸い懐中時計のようなその形。

部屋の電気に照らされ、綺麗なシルバーの色が輝いている。

見るからに高そうと思っていたその携帯灰皿をくるくると手で回すと、背面に、ブランドが書かれているのがわかった。

俺は、付いていたパソコンにそのブランド名を打ち込み、検索をかけた。

型番を見て、どの種類か調べていると、思わぬ金額が目の前に飛び込む。


「一…十…百…千…ろ…六万!?」


俺は思わずパソコンの前で叫んでしまう。

俺の警備員の給料に換算すれば、ざっと5日分もするその携帯灰皿を眺める。

目がおかしくなったのかと型番やパソコンを何度も確認するが、この灰皿が六万円する事実は変わらなかった。

すっかり目が覚めてしまった俺は、先ほどの男にチャットを送る。


“なぁ起きてる?”


“ん?どした?”


ゲーム廃人のネット友達の返信スピードには目を見張るものがあるが、今はそれどころではない。


“今日、女の子から6万円の携帯灰皿もらったんだけどさ”


“ん?6万?大金やんけ”


“だよな?誕生日でもないんだけど”


“ふーん。その女の子って誰なの?”


“見知らぬ女”


“なにそれこわい”


俺もそう思う。

認識が間違ってなければ、知り合い程度であるとも言えるが、見知らぬ女という認識でも相違はないはずだ。


“ちょっと話しようぜ。詳しく聞きたい”


俺は友人のその言葉に、長年使っているヘッドセットを手に取り、その男に通話をかけた。

友人は、ものの1秒で通話に出ると、俺は今日あった出来事やその女の子のことを詳細に話をするが、友人は俺の話を聞き終えたあと、笑っていた。


「いや、ないない。ありえんって」


どうやら、俺の話を嘘だと思っているらしい。

証明するために、今日もらったその携帯灰皿の写真をそいつに送りつけた。

すると博識な友人は、答える。


「んーまあこれは確かにブランド物だなぁ。お前はこういうの買わないよな?万年金欠なんだし」


「当たり前だろ。つーか携帯灰皿なんて100均のでいいわ」


「じゃああれだな。可能性は1つ。お前に惚れてるんだわな」


「はぁ…?」


俺は友人の答えに顔を曇らせた。

2日間のあれで、俺のことをどう好きになるっていうんだ。

顔も得にいいわけじゃない俺は今の今まで彼女だっていたことない。

そんな俺に女子高校生が惚れている?

そっちのほうがだいぶ現実味がなかった。


「だって弁当だって作って持ってきたんだろ?あとその灰皿に。あと見送り?みたいなのもしてくれたんだろ?完全お前にぞっこんやん」


「ぞっこんって…死語じゃないか…?」


俺は友人に関係ない突っ込みを入れつつ、今日あったことを振り返った。

確かにストーカー行為や弁当が蛍光色に輝いていなければ、素直でいい子かもしれない。

しかし、その2つが問題なのだ。


「とにかく、可愛らしい行動だと思って接すればいいだろ。法律上は結婚できるんだし」


「バカ言え。捕まるわボケ」


俺はその後も他愛もない友人との会話を楽しみ結局、その夜は更けていくのであった。







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