第1話 警備員と女学生

夏。

俺は、いつものように、暇なこの工事現場の駐車スペースの前で立っていた。

辺りには相変わらず人はおろか車の通りはない。

朝から数えても、ここから工事現場に入っていく車はまだ3台ほどであった。

こんなところに警備員など必要があるのかと疑問視をするが、少し先に見える十字路と、近くに立つ巨木が、うまく車からの目線を遮っているのがわかる。もし、事故でもあろうものならたちまち工事は中断してしまうだろう。


しかし、ただここに立っているだけでは暇で仕方がないし、足も痛い。

俺は腰に刺さった誘導灯を、右手に持つと、振り回した。

最近、ハマっているアニメに影響されたからか、ふいに必殺技を呟いてしまう。

もし、ここで車が来たら、最近流行りの異世界転生などに巻き込まれそうだなんて考えつつも、道路に車の気配はない。

何回か振り回すと、俺は1人でやっていたこの活劇が馬鹿らしくなり、思い出した足の痛みにしゃがみ込んだ。


4月から考えると、もう4ヵ月もこの仕事をやってきたが、一向に足の痛みに慣れることはない。

むしろ、ほとんど毎日ここで立っていることでダメージが蓄積されているようにも思える足を摩る。

ポケットから取り出したスマートフォンで時間を確認すると、もうすぐ12時になろうとしていた。


警備の上長からは、勝手に15分の休憩2回と昼休みを取るよう言われている俺は、そろそろ昼休憩の準備をしようと、しゃがみ込んでいた自分の体勢を起こし、立ち上がる。

昼休みをとる場合、駐車場の門のゲートを一時的に締めなければならない。


俺は、痛い足を捻りながら駐車場のゲートに手をかけると、そこには、知らない女の子がしゃがみ込んでこちらの様子を伺っていた。


「ひっ!?」


俺は思わずそいつから距離を取り、身構えるが、その俺の行動に気が付いたのかその女の子はすくっと立ち上がると俺に話を振る。


「久しぶり…だね…」


誰だろう?と頭の中で自分の中にある人物を思い浮かべるが、該当の人物は出てこない。

しかし相手は俺のことを見知った様子で見てくるので、俺は失礼がないように、相手のことを知っているかの素振りをとる。


「ひ…久しぶりですね…」


「ま、まだここで警備員やってたんだ…」


学校の制服を着ているということは、恐らく女子高校生なのだろう。

しかし、俺に女子高校生の知り合いなどはいない。

そして目の前の女の子は、推測などしなくとも、クラスで人気者であろう外見をしている。

かなり整った顔立ちで、背は低いが短めの黒い髪が、その大きな瞳に映えている。

首元のリボンがきついのか少し緩めについている赤いリボンと、Yシャツからでもボリュームがよくわかる胸。

そして、短めのスカートは、しゃがんでいたら中身が見えてしまいそうなくらい短い。今どきの女子高生そのものだろう。


「あーえっと…上長の娘さん…でしたっけ?」


「違うよ」


俺は、その女の子に探りを入れることにした。

もし、俺の知り合いだというのであれば、話しかけたことによる事案は発生しないであろう。何か犯罪の心配もないので、俺はどんどんとその女の子に質問をする。


「では…柏木さんの…」


「違う…よく考えれば、覚えてないか…」


その女子高校生と思わしき女の子は、少し寂しそうな顔を浮かべる。

俺はその女子高校生を食い入るように見ると、目を細めた。あまり視力のよくない俺はつい、目の前の女の子に歩み寄る。


「あぁ…わかった。匂いを気にしていた人ですね」


「そ、その覚えられ方はなんか嫌だ…」


髪が整っているので、よく分からなかったが、瞳を見て思い出した。

あの印象深い外見と行動は、中々忘れられるものではない。しかし、あの頃と比べると、かなり身なりが整っている。これでは、気づかなくても無理はないだろう。


「それで、何か用でしょうか。」


「今からお昼…だ…よね?」


外見とは裏腹にかなりしどろもどろに発言する女の子は、俺の今からの行動が何を示しているかわかっている様子だった。


「そうですけど…」


「い、い、一緒にお昼。ど…どうかな?」


足の痛みを一刻も早くどうにかしたい俺は、二つ返事でその提案を了承し、さっさとゲートを閉めてしまう。

俺は、近くに置いてあったカバンを持ち、目の前にある公園へと移動すると、その女の子も恐る恐る俺の後を追う。

俺は、雨よけがあるベンチに腰かけると、女の子は座るのではなく俺の目の前に立った。


「えっと…座らないんですか?」


「座っていいんですか?」


質問を質問で返さないで欲しい。

そして、そんな疑問を返さなくても、この公園にベンチはたくさんある。

俺の近くに座りたくないのであれば、仕方ないのかもしれないが、一緒にお昼を食べようと提案してきたのにそれはないだろう。


「す、座っていいです…」


俺がそう答えると、俺のちょうど正面のベンチに腰かける女の子。

その子は、自分の横に置いたカバンからお弁当のような箱を2つ取り出した。その1つを俺に差し出す。


「ど、どうぞ…」


渡されたものを手に取った俺は、不思議になり、その緑色で2段になっている箱を見ながら女の子に喋りかけた。


「これは、なんでしょうか?」


「お…お弁当です…」


それは予想通りという感じだが、そうではない。俺が聞きたいことは、なぜあなたがこの弁当を俺に差し出してきたのかということ。

しかし、その答えを俺が待っていても答えそうにはない。

それどころか、もう1つの自分のお弁当であろう箱を膝に置き、そのハコの上でしきりに両手をピアノを弾くように動かしている。

落ち着かない様子の彼女の行動をちらっと確認すると、俺はお弁当の箱を開けた。


「こ、これはなんでしょうか?」


「お、お弁当…ですよ?」


そのお弁当の中身の見た目はかなり鮮やかだ。

いや鮮やかすぎているくらいだ。

なぜか全て蛍光色に輝く食材達に俺は思わず、お弁当の箱についていた箸でその食材達を掬った。


「これは、た、たまご?」


なぜか緑の蛍光色をしている卵焼きのようなものを橋で掬った俺は、食べることなくそれを見つめる。

今にも光りそうな鮮やかな緑色をしている卵は、本当に食することができるのかと思うほどに怪しい色をしている。


「卵焼き、だよ…」


絶望的な回答が女の子から返ってくる。

俺は今すぐこの女の子に問いただしたい。

本来の卵焼きの色はどういうものだったかというのを。

しかし、この女の子とそう仲がいい訳では無い。というかほぼ初対面なのだ。言えるわけがなかった。


「た、食べて…く…くれますか?」


その発言があった後、俺はやっと悟ったのだ。これは罠だと。

よく考えれば、この女の子の名前を知らないくらい俺とこの子の関係は浅い。

だが、俺は可愛い女の子に話しかけられたと浮かれ、貰ったものに少しでも舞い上がってしまった。

しかし、そんなうまい話など世の中には存在しない。そう、これは、仕返し…そしてこのお弁当は俺を殺す毒か何かだ。

この前の女の子のことを少し考えれば、俺を恨むのも無理はないだろう。

いい匂いだなんだと言ってセクハラまがいのことをしてしまったのだ。


このことを考慮すれば、俺に対する復讐であることは簡単に導き出せる。

今日、最初に話しかけてきた内容でも推測はできるだろう。

まだ警備員をやっていたのか。これが意味する答えそれは…

お前、まだ警備員なんて、できるんだ?

私にセクハラしといて?これだ。


俺は、目の前の卵焼きをぐっと口元に近づけると、短い今までの人生を振り返った。

思えば、何事からも理由をつけて逃げてきたツケが今頃回ってきたのだ。

俺は、自分に懺悔しつつ、卵焼きを男らしく1口で口の中に入れた。


「ど、どう…かな…?」


女の子は、俺の死ぬ様子が気になるのかじっと俺を見つめている。

安心してほしい。心配しなくても時期に毒は回っていくだろう。


卵焼きを口の中で味わうように確かめる。

しかし、ある事に気づいた。


「味がない…」


そう、この緑の蛍光色をした卵焼きには味がなかった。

特殊なコーティングでもされているのだろうか。それとも、俺の味覚がこの卵焼きによって破壊されたのだろうか。

俺は不思議に思いつつも卵焼きを飲み込んだ。


「ご、ごめん…」


「ど、どうしました…?」


ついに死の宣告をされるのかとドキドキしていた俺だったが、女の子は膝に置いてあった弁当を俺に渡そうとしてくる。


「こっちも食べろと…?」


「い、いや…本当はこっちが正解のやつで…」


わけのわからないことを言い出す女の子は、俺の手に持っていたお弁当と女の子が今持っているお弁当を交換するよう言ってくる。

俺は女の子に言われるがまま、お弁当を交換した。


謎の行動をする女の子にますます勘繰ってしまう俺は、恐る恐る新しく渡されたお弁当箱を開ける。

中身は先程とは違い、普通の色合いの食材達。

煮物やきちんとした色をしている卵焼きに、可愛らしいタコさんウィンナーなど、一般的にお弁当に入っているものと今のところ遜色はない。


俺は、煮物のこんにゃくを箸でつまむと、そのまま口へ運んだ。


「ど、どう…ですか…?」


「へ?あ…美味しい…ですよ?」


普通に美味しかった。

少し濃いめの味付けだった煮物だが、これはかなり俺の好みの味であった。

これに、毒が入っていると言われたら、俺は思わず吐き出そうとはするだろうが、次が食べたいと、きっと箸をまた伸ばしてしまうであろう。

それくらいには、煮物は美味しかった。


女の子は、俺の答えになぜか顔を赤らめ、先程交換した全体が蛍光色の弁当を勢いよく口に運んでいた。


ひとまず毒でないことを確認した俺は女の子のことがますます分からなくなる。


「あの…どうして見ず知らずの私にお弁当を…?」


「し、知ってるよ…私は…」


それは俺だって知っている。しかし話したのは1回きりで、それに、だいぶ久しい。

俺はそのことを伝えようと口を開く。


「私は、あなたの名前も知らないくらいあなたのことを知りませんよ」


「あ、私、珠希…」


「えっと、名前は今わかったんですけどもね」


この女の子は話をちゃんと聞く能力が備わっているのだろうか?

そう思わせてしまうような口ぶりである。

珠希というその女の子は、蛍光色のお弁当を半分ほど食べ切ると、俺のお弁当がさほど進んでいない様子に、食べろと促した。

俺はそれに従い、お弁当の中身を食べながら聞くことにする。


「名前はいいのですが、それよりもなんであまり知らない男に弁当を恵んだのかと聞きたいんですよ」


「私はよく知ってる…速瀬さんの…こと…」


「え?」


「煮物も…味が濃いの…好きでしょ?」


俺はその女の子の発言したことに背中を凍らせる。

寒くないはずなのに寒気を感じると俺は今すぐ逃げ出したい衝動に駆られた。


何これ?ホラーですか?この女怖いんですけど…


もしかしなくてもこの子によって俺がストーカー被害に合っていることは明白であろう。

しかし、まだ断定はできない。

俺は慎重に質問を続けた。


「あ、あはは…そうなんですよね…やっぱり関東人ですから味は濃いめがいいですよねぇ…」


「う、うん…ちゃんと白米もあるから…その2段目に…」


珠希は俺が腰掛けているベンチの横に置いてあった2段目の弁当箱を指さした。

俺はそのお弁当箱を手に取ると蓋を開ける。


「生還の霹靂っていう米なんだ…速瀬さん…米にはうるさいでしょ…?」


「へ…へぇ…」


「安心して…一等米だから…美味しいよ…」


安心できるか!!!

怖…怖いわ!!!

俺はあまりの恐怖に笑顔の珠希から目を背ける。

そういえば、この珠希という女の前回の外見は本当にホラー映画のような見た目だった。

今の見た目に踊らされた結果こんな目に合ってしまっている。

美人局より怖い、目の前の女に俺はどうしようかと考えると、額から汗が垂れた。


「と、とりあえず食べますね…」


「うん…まだあるからたくさん食べていいよ…」


米を一心不乱に掻き込む。

いい米を使っているようだが今は味なんてわかりはしない。

今すぐこの場から離れたい一心で弁当の全てを平らげると、ご馳走と言い、立ち上がった。


「で、では仕事に戻りますので…」


「ま、待って…タバコ吸うんでしょ…?」


珠希は、自分のカバンから、携帯灰皿を俺に渡した。その携帯灰皿を咄嗟に、ああ…どうも…と受け取ってしまう。

新品のようで、そのシルバーの輝きと、丸い形は、さながら懐中時計のような見た目をしている。

見た目はかなり高価そうに見える携帯灰皿には、もちろん中身など入ってはいない。

俺は立ち上がったまま、考える。


珠希には散々怖がらせられたが、今のところ自分の情報が筒抜けなだけだ。


俺の抜かれてまずい情報など、パソコンの中身くらいなものだろう。

もし、この珠希という女が俺の自宅を知っていて、合鍵を持っていると言われたら物凄く怖いが、まさかそこまでのことを俺にするはずがない。

俺は冷静さを取り戻し、ポケットから取り出したタバコに火をつけると、珠希のほうを横目で見る。

珠希は、自分の膝に腕を立て、そこに顔を乗せて、うっとりと俺のタバコを吸う姿を眺めていた。


「煙くないですか…?」


今どき、肩身が狭い喫煙者である俺は、つい癖で珠希のことを気遣ってしまう。

珠希が携帯灰皿を持っていたことは驚きだが、吸っている様子はない。

恐らく、珠希の彼氏か誰かが吸っているのであろう。

勝手にそんな妄想を頭の中で想像する。


「え…あっ…うん…大丈夫…」


「そ、そうですか…」


俺はそう言うと、タバコを早々に吸い終え、携帯灰皿に吸殻を入れる。

吸い殻が中に入っているので、このまま、携帯灰皿を返すのもどうかとは思ったが、珠希のものであるため、仕方なく渡そうと携帯灰皿を差し出す。


「あ、それ…あげる…から…」


「は…?いや…貰う訳には…」


「私…使わないから…元々あげるつもりだったし…」


貰う理由もないが、これを貰ってしまったらなんとなく珠希のストーカー行為を了承しているようで、嫌ではあったが、使わないと言うなら仕方ないだろう。


俺はその携帯灰皿をポケットに仕舞うと、仕事の現場に戻ろうとカバンに手をかけた。


「も、もう、戻るの?」


「は、はい…もう休憩の時間もそろそろ終わりそうですから…」


「そ、そう…じゃあ見てるね…」


見てるとは何なのか。

俺はその答えを聞いたら顔が青くなりそうな予感がしたので、何も聞かずにその場から立ち去って行った。

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