望まぬ政略結婚⑨




その言葉を合図にエリスは目を瞑った。 元々高いところが得意ではない上に、跳び移るだなんて正気の沙汰とは思えない。


「――――ガイル!!」


それでも跳ぶことができたのはガイルのことを信じていたからだ。 目を瞑っていても分かる浮遊感が絶望に変わる。 その刹那にガイルはエリスの身を受け止めてくれていた。


―――跳べた・・・ッ!


未だにドキドキするのを感じつつ呼吸を整えた。 ガイルの顔が近距離にある。 どうやら心臓の鼓動や呼吸数を整えるのは今は無理そうだ。


「よく跳べたな。 でも直前に目を瞑るのは危険だぞ?」

「こ、怖かったから仕方がないじゃない!」

「まッ、結果よければ全てよしか」


必死に言うエリスにガイルは軽く笑って誤魔化した。 跳び移ったからと言って追っ手を完全に撒けたわけではない。 ガイルは下の様子を窺い、更に家屋の先を見た。


「先を急ぐぞ」

「え? また跳ぶの!?」


ガイルはエリスの手を引いて屋根の上を移動する。


「奴らの視界から消えるには地上にいては駄目なんだ」


どうやらガイルは家の上を跳び移りながら移動したいらしい。


―――そんなのもう、命がいくらあっても足りない・・・。


一度跳ぶだけであんなにも怖かったのだ。 それが何度も続くとなると生きた心地がするわけがない。


「大丈夫だ。 どんな時でも俺が支えるから。 行くぞ」


エリスの不安を汲み取ったのか握る手を強く握り直してくれた。 正直これくらいのことで、そう思ったがエリスは案外自分の心が落ち着いていくのを感じていた。

それに一度跳べた経験が少しだけ勇気を与えてくれる。


―――・・・ガイルの手って、こんなにも頼もしかったのね。


普段は手を握られることなんて滅多にない。 それも手を引かれて走るなんてことになれば、一度たりとも経験がなかった。 不謹慎であるが、逃避行のようで少しだけワクワクしてしまう。

高所の恐怖も、ガイルさえいてくれればなんてことないようにさえ思えてくる。


「こっちだ」


固く結ばれたように解かれない手。 ガイルを信じ家の上を移動し続けた。


「どこを目指しているの?」

「城だよ。 近くまで行ったら、城の兵士がエリスを匿ってくれるだろうから」


暴徒たちも貴族であることから、冷静になれば自分たちがやっていることの愚かさと罪の重さに気付くだろう。

今はなるべく距離を取って追い付かれないことが重要で、城にさえ逃げ込めれば手出しする術がないのだ。


「・・・何とか撒くことはできたな」


流石に家の上を貴族たちが追ってくるはずがなかった。 しばらくは道を追いかけてきていたが、下から屋根の上を把握できるはずがない。

まだどこかを探している可能性はあるが、とりあえずは二人の姿を見失ったようである。


「もう彼らはいないの?」

「目に届く範囲には奴らはいない」

「そう・・・」

「油断はできないけどな。 でも参ったな・・・」


二人は身を潜めたまま先を見つめる。 ここで住宅地は途切れており家の上を渡れなくなってしまった。 降りれば進むこともできる。 しかし、その場合見つからない保証はないのだ。


「流石に城に騒動の連絡が届いているだろう。 その助けを待つか・・・」


今は見当たらないが、もし屋根から追ってこようと考える者がいれば袋のネズミ状態。 移動していた時には忘れていた恐怖がエリスの中で蘇る。


「・・・怖い」


それを聞いたガイルはエリスの肩を抱いた。


「心配するな、俺が絶対に守ってみせる」

「・・・えぇ」

「お前を守れるのは俺だけだろ?」


俯いていた顔を上げるとすぐそこにガイルの顔があった。 安心させるよう笑ってくれている。


―――そう。

―――私のヒーローは彼だけだ。


そこでエリスの気持ちは固まってしまった。


―――たとえ世界中を敵に回したとしても、愛する彼と結ばれたい。


クローネには悪いが、このまま結婚するのは逆に不義理になってしまう。 それに国民も反対している。 クローネにはもっといい相手が必ずいるはずだ。

そのような言い訳がエリスの中で並んでは消えていった。


―――お父様は怒るかもしれないわね。


二国間の同盟はエリスの国からしてみれば、将来の存続に関わる程重要なこと。 もしクローネの国が敵国となれば簡単に侵略されてしまう。 エリスにとってもそれは心を痛める心配事。

だからこそガイルのことを諦めクローネとの結婚を受け入れようと思っていた。 しかしもうどうしても駄目なのだ。 自分の心にこれ以上嘘をつくことはできない。

もしそうするならエリスの心は壊れてしまうかもしれない。 エリスの目から一滴の涙が屋根に落ちて弾けた時、二人に向けて声がかかった。 


「エリス姫様!」


その声はどうやら城からやってきた兵士のものだった。



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