お茶会の前《side:玄葉ナキ》
「とっととお前が人権を失って、消し炭になるルートに突入してくれねぇかな。頼むから」
「え?何だい、突然」
「何だい?じゃねぇんだよ。何ださっきの茶番は」
このか達の前で恋人と紹介されたナキはこれまでの人生で感じた事の無い疲労感と闘いながら、位空に至極真っ当な文句をぶつけた。
和泉に案内された応接室にはナキと位空の他は誰もいない。
「ああ……でもあの紹介方法ならこれ以上僕らの関係について突っ込まれないよ、きっと」
「力業にも程があるだろ。普通に使用人でいいだろうが」
「いやぁ……使用人は無理があるでしょう。君って、すごく偉そうなんだもの」
「……」
「ぐうの音も出ない君も可愛いなと思うけど、今回は言い負かしたかった訳ではなくてさ。結構いい誤魔化し方だったと思ったんだけとな」
「どこがだよ」
「んー、これ以上僕らの関係を追及されることもないし、恋愛対象が同性だと言っておけばこのか嬢や科戸嬢の警戒心も多少は薄まるだろうし。どう?なかなか良いことづくめでしょう?」
「俺が精神的な苦痛を被る以外はな」
「大丈夫。君は苦痛が大きければ大きいほど強いエネルギーに変えることができる人だから」
「人を生粋のドMみたいに言うな」
「あはは。それで、どうだった?彼女の心は見えたかな」
「……ああ」
ナキは先程視た科戸の心を思い出して、やや顔をしかめながら頷いた。
「手強いな。思っていたよりもずっと」
「と言うと?」
「美鶴木科戸は心を凍らせている」
「心を凍らせる……?本当は冷酷な人だということかな」
位空の問い掛けに、ナキは首を振る。
「いや、むしろ……」
ナキのさとりの瞳が視たのは、厚い氷に覆われた小さな心臓だった。心臓には傷があって、そこから今にも血が溢れそう……その瞬間のまま、時を止めていた。ピンク色の臓器と鮮やかな血液が冷たい宝石となって胸の奥でキラキラと光っていた。
「むしろ子供の頃のまま、時を止めているように見えたな」
「彼女の心の声は聴こえた?」
「いや、そっちも酷く小さく聴き取りづらかった」
「そう」
位空のように馬鹿みたいに特殊な奴が相手でない限りナキの中に流れ込んでくる他者の思考と剥き出しの心。当然科戸もそれらを垂れ流していると思っていたが……彼女の心ははっきりと他者を拒絶し、一片の隙もなかった。
「じゃあまず心の氷を溶かして、ビクビクと跳ねる心臓にキスしてあげよう。高位のさとりである君ならそれが可能だ」
位空が陽気に言った。
「……」
「おや、乗り気じゃないね。良くないなぁ。君は彼女に同情してる」
「してねぇよ。お前ら吸血鬼は人間の心を思い出をしまっとくための箱くらいに思ってんだろ。んな単純なもんじゃねぇからな」
「へぇ。そんなに大切なものとは知らなかったな」
人間はそれを簡単に明け渡すからさ、と位空は続けた。
「『好きにしてください』『捧げます』『食べてください』って僕のところへ持ってくる人が多いものだから」
「吸血鬼に群がる変態共のことは知らん」
「あは」
「とにかくまだ美鶴木科戸が敵だと決まった訳じゃない。心に無理矢理干渉すれば少なからず影響が出る、慎重に行くべきだろ」
「そうかな?彼女がどんな思惑を持ってここにいたとしても……いっそ心を壊してあげた方が親切なんじゃないかな」
ふわふわとした笑顔で告げるには過激過ぎる言葉にナキは思わず真顔になって位空を見た。
「汚い俗世で正気を保って生きるより、何にも分からなくなってしまった方が幸せだよ」
「お前……」
ナキは眉をひそめる。
「本当はお前なんじゃねぇか?美鶴木科戸に同情してんのは」
「……」
ナキが霞のように笑った。
さとりであるナキにとって『心』と『思考』は別物だ。
心とは自分の行動や思考に影響を与える秘められた意識のこと。自分でも自覚していない意識……つまり無意識だ。高位のさとりであるナキの目にはそれが具現化して視える。
そして思考とは自覚できる意識……言葉にできる意識、ということだ。
心に干渉することができるのはさとりくらいだが、思考に影響を及ぼす異形はたくさんいる。吸血鬼もその一人だ。こいつらはその魅了の力をもって他者を洗脳するのは大得意だ。
「彼女の心を溶かしてあげることは僕にはできないけど、凍っていることを忘れるくらい幸せな記憶で満たしてあげることはできるよ。偽物だけど。けどそれもいいかもしれない。幸せな記憶で窒息させてしませば、もうこの屋敷には来ようと思わなくなるだろう。和泉さんの依頼って要約するとそんな感じじゃなかった?」
「依頼内容は美鶴木科戸の思惑を探れ、だ」
「まだるっこしいなぁ……。彼女がここに来なくなれば何を考えていても関係ないじゃない」
「気軽に人間を洗脳しようとするなサイコ野郎。他人の人生何だと思ってんだ」
「洗脳じゃないよ、幸せにしてあげたいんだ」
「サイコ野郎」
「君こそあんまり気軽に吸血鬼を罵倒しない方がいいんじゃないかなぁ。どこで誰が聞いてるか分からないよ?もし吸血鬼至上主義者が聞いていたら面倒なことになる」
「何で他人の考えに遠慮して喋らねぇといけねーんだ。一人一人考え方が違って当たり前なんだよ。それが許容できずに自分と違うってだけで他害していいと思ってるような連中に気を使う理由がねーだろ」
「君って……洗脳しづらそうだね」
「しようとすんな」
「……」
指先を顎に添えて位空は黙り込む。何かを思案しているようだった。
「玄葉さんは……敵が多そうだよね」
「あ?」
「僕にはそれがとても不思議なんだ。どう振る舞えば人心を掌握できるのか、自分の利になるように他人を動かすことができるのか……君は考えられる頭があるのに、そうしない。つまり君は……とても奇特な人なんだろうな……」
「ああ?喧嘩売ってんのか」
「もっと楽に、利口に生きられるだろうということだよ。君たちの生き方は僕の理解を越えていて、時に苛立たせる」
「……君たち?」
位空の言葉に違和感を覚えた時、扉をノックする音が響いた。
思案に沈んでいたはずの位空が顔を上げるとその瞳からは憂いは消えており、いつもの信用ならない微笑みを口元に漂わせていた。
「はい、どうぞ?」
「失礼します」
一礼した後ワゴンを押しながら応接室に入ってきたのはメイド服を身に纏った女性だった。目尻がキュッと上がった大きな目としなやかな身のこなしが印象的だった。おそらくは猫妖怪の混血なのだろう。ワゴンの上にはティーセットとサンドイッチやら菓子が飾られたケーキスタンドが載っかっている。
「お茶をお持ちしました」
「こんにちは
位空が当然のように名前を呼ぶと、彼女は恐縮して顔を真っ赤にした。
友人の屋敷の使用人をすでにナンパ済みで、下の名前で呼んでいるとは……。
「誤解だよ、玄葉さん」
「別になにも言っていないが」
「顔に出てるってば。僕はこのかさんの後見人だよ?彼女が困ったことがないか、常に配慮する必要がある。でも僕だって毎日ここに足を運べる訳じゃないから、彼女のお世話をしてくれる皆さんと仲良くなって、意見を聞ける環境を整えておく方がいいだろう?」
「つまりナンパして連絡先も交換済みということか……」
「全く……困ったな」
そう呟いたかと思うと、位空はナキの顎に指先を引っ掛け、くいっと上を向かせた。
「嫉妬深い人だ」
ぞわわわわ、っと悪寒が走った。
「心配なんかしなくても、君は僕の唯一の人だよ。確かにこの世界には魅力的な花が溢れているけれど、僕を捕らえた薫りはただ一輪だけ……」
澄みきった紺碧の瞳が甘露の艶を帯びてこちらを覗き込んでいる。その視線の直撃を受けたナキの心情としては、胸焼けしそうな、などという表現を軽く超えて、口に漏斗をねじ込まれて水飴を大量に流し込まれる拷問を受けた、とでも喩えられるべきだった。
繊細な指先を払いのけ、ぐったりと呟いた。
「死にそう……」
「嬉しくて?」
ナキの心情を正確無比に読み取っているくせに、なに食わぬ顔で聞いてくる位空に殺意すら沸いてくる。
「君に不安にさせない良き恋人になりたいと思っているよ」
視界の隅で花梨が身体を固まらせている。
にっこりと位空が彼女に笑いかけた。
「花梨さん」
「……っ、はい!?」
「僕たちの関係は、このかさんや和泉さんも知っていることだけど、まだ公表する前だから……少しの間、他の子達には内緒にしてね?」
「は、はい!勿論です」
「ありがとう。ねぇ、玄葉さん?彼女は年若いけれど、とても信用できる人だよ」
「……」
返事をする気力もない。適当に手を振ってあしらう。位空は気にした素振りもなくメイドに笑いかけた。
「ところで花梨さん。このかさんも以前のような無邪気な笑顔はまだ見せてくれないのかな?僕の前ではあまり本心を話してくれないからね、心配しているんだ」
「いいえ、最近は少し笑ってくだるようになりました」
「そう。いい傾向だね」
「はい。美鶴木様が屋敷に来てくれるようになってから笑顔が増えて、楽しそうにされていますよ。お二人を見ているとまるで姉妹のようで……でも美鶴木様ではなくて、このかお嬢様の方がしっかり者のお姉さんという感じでいろいろと世話を焼きたがるんですよ」
心から嬉しそうに花梨が言った。
「おや、貴方は科戸さんに好意的なんだね。和泉さんはあまり彼女をよく思っていないようだけど」
「あ……」
花梨はちらりとナキの方を気にする素振りを見せた。
「安心して。彼はこのかさんの母君が人間だったこと知ってるから、話しても大丈夫だよ」
「……はい。和泉さんも他の使用人も美鶴木様には警戒しています。私も勿論最初はこのかお嬢様に危害を加えようとする組織の者ではないかと疑っていたのですが……段々、違うんじゃないかと……」
「どうしてそう思うの?このかさんに優しくしてくれるから?それともいい人そうに見えるから?」
「……興味がなさそうだから、です」
どう伝えるべきか文言を悩む表情で、花梨はたどたどしく言葉を紡いだ。
「興味?」
「美鶴木様はお嬢様に興味を持っていないということではなく……。えっと、例えばこのかお嬢様から『もう来ないでほしい』と言われたら『はい、分かりました』と答えて二度と姿を見せないような……。なんと言いますか美鶴木様はご自分の扱われ方にあまり興味や関心がないように感じました。自己主張が極端に弱いような……すみません、私の勝手な印象というだけですけれど」
「そう……。とても参考になったよ、ありがとう」
位空が微笑むと、花梨は再び恐縮した様子で頭を下げた。
その時、廊下からヒソヒソと話をする声が聞こえてきた。
ナキは耳を澄ませてみる。
―このかさん。私、やっぱり帰ります。
―どうして?
―どうしてって……。後見人の方が来ているので……私が同席するのもおかしいですし。
―そんなことないわよ。
―それに皆さん、とてもキラキラしていて……そういう意味でも私は場違いというか。何て言うか……さっきなんて、このかさんがダイヤモンド、あのお二人がサファイアとエメラルドだとしたら、私は氷砂糖っていうか……。このかさんが胡蝶蘭、お二人が薔薇と百合だとしたら、私はニラっていうか……。とにかく何だか……その場に居合わせるだけで恐れ多いという感じなんです。
―……科戸って時々、卑屈を通り越してむしろふざけてるわよね。
―え。ふざけてません……。
確かに。どんな喩えだよ。
思わずナキは心の中で呟く。
「……?」
ふ、と空気が動いた気がして隣を見遣ると、位空が口元を隠して俯いていた。
「……」
笑っている……のか?そんな堪えきれなくて思わずみたいな笑い方、初めて見たけど。
位空が立ち上がる。
その後ろ姿を視線で追うと、位空はスタスタ歩いていき、扉の前で足を止めた。ドアノブに手をかける。
ギイッと扉が開く音。
「その場合だと僕と玄葉さん、どっちが薔薇でどっちが百合になるのかな」
「……あっ、すみません」
「乙女の会話に聞き耳たてないでくださいませ」
「失敬、お嬢さん方」
「いえ……すみません」
「入っておいで。花梨さんがお茶の準備をしてくれているから。ちゃんと四人分ね」
「はい。……すみません」
消え入りそうな科戸の声が聞こえた。
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