疑惑の乙女《side:玄葉ナキ》

 「依頼というのは……ある人物の真意を探っていただきたいのです」

 自分はある屋敷に長年使える人間であると、その老紳士は言った。和泉と名乗った彼はどうやら位空とは長い付き合いらしい。

「旦那様のご友人であった九堂様には昔から何かとお世話になっております」

「いえいえ。多分僕がお世話なった回数の方が多いですよ」

にこやかに位空が言葉を紡ぐ。相変わらず胡散臭い笑顔だった。

 先程まで位空が座っていたソファーに腰を下ろした和泉にナキは視線を向けた。冷えた室内に響く声音のどこにも乱れはなかった。しかし彼の内心は平静とは言い難いようである。

 白い髪はきっちりと撫で付けていて、口髭は綺麗に整えられている。真っ直ぐに伸びた背筋、胸板は老人にしては随分厚い。健全な魂は健全な肉体に宿ると言わんばかりのその身体を包むのは埃一つ付着していないモーニングコート。

「あ。そういえば僕、君がさとりだって言っちゃった」

 窓際に立って外を眺めていた位空が振り向き様に口を開いた。

 ナキはぴくりと眉を上げる。

「いや、言うなよ」

「ごめんね?何かね、うちの子自慢みたいな。ほら、ペットがお手とか待てとかできるようになったら人に自慢したくなるでしょ?だからうっかり言ってしまったな」

「誰がペットだ」

「彼女が料理上手だと自慢したいみたいな?」

「死んでくれ。誰が彼女だ」

 老人が目を見開いた。位空は楽しそうに笑いかける。

「ねぇ和泉さん、失礼でしょう?この人。とても口が悪いんですよ」

「は……」

「位空、お前帰れ。お前がいると話がいつまでたっても進まん」

「ええ?僕は君に『信用』という価値を付加してあげてるんだよ?ひっそり慎ましく営業しているこの探偵事務所も僕がいるだけで信頼度が跳ね上がる。僕の持つ信用があれば、その辺の小石をダイヤモンドとして売り付けることも可能だからね」

「それは信用じゃない。詐欺だ馬鹿」

「……」

 何度か大きく瞬きを繰り返して、それから和泉と呼ばれた老人は少しだけ口元を弛めた。

「随分仲がよろしいのですな」

「そうなんですよ。つんけんしてる所が可愛くてね、つい構ってしまう」

「それで?依頼の詳細が聞きたい」

 ナキは位空の存在を無視することに決めた。視界に入れていると永遠に話に水を差されて前に進まないからだ。

「はい……」

 和泉はちらりと位空を気にしたものの、やがて口火を切った。



 和泉の主人であった吸血鬼、深際みぎわ瑶一郎よういちろうと奥方が事故に遭い、この世を去ったのが約一年前のこと。使用人たちは皆悲しみに暮れたが、誰よりも心を痛め、絶望の涙を流した人物がいた。

 一人娘の深際このかである。

 しかも二人が事故に遭ったのは娘の十二歳の誕生日を祝うために、急いで出張先から戻る最中の事であったらしい。

「ご両親の帰りを心待ちにしていたお嬢様の悲しみは如何ばかりか……」

 そう言って和泉は瞳を曇らせた。言葉には隠しきれない悲哀が滲んでいる。

「それで真意を探ってほしい相手っていうのは?」

 相手の感傷には付き合わずナキが尋ねた。

美鶴木みつるぎ科戸しなとという女性です」

 まるで痛みを伴うかのように、喉を押さえて和泉はその名前を吐き出した。

「このかお嬢様のご友人として、三ヶ月ほど前から屋敷を度々訪れる方です」

「友人?」

「はい。……ご両親を亡くしてからずっと塞ぎこんでいるお嬢様ですが、御一家が可愛がっていた犬のマリーの散歩だけは欠かしたことはございませんでした。勿論今のお嬢様が一人で外を出歩かれるのは大変危険でございますので、庭園を歩くだけにはなるのですが……」

 心苦しそうに和泉は言い、それから表情を引き締め説明を続ける。

「しかしあの日はマリーが珍しく何かに興奮した様子で、門をすり抜け、外に走り出していってしまったのです。そしてそのまま車道に飛び出し、あわや……というタイミングで現れたのが彼女でした」

 美鶴木科戸は車道に飛び出していこうとするコリー犬に気付き足を止めた。立ち止まったその場所は猛スピードで駆ける犬の進路上にあった。故に彼女は犬の突進を受け吹き飛ばされることになる……が、吹き飛ばされ植込みに突っ込みながらも彼女はしっかり犬のリードを握っていた。

 愛犬を助けてもらったこのかは彼女に感謝し、屋敷に招き入れた。そしてお茶を飲みながら話を聞くうちに、科戸もまた親を亡くし天涯孤独の身であるということを知る。

『また、話がしたいわ』

 お嬢様に乞われ、それから幾度となく屋敷を訪問しているという。

「その女の言動に不審なところがあると?」

「いえ……。いつも礼儀正しく、お嬢様にも優しく接してくださっていると思います。……ですが」

 和泉が厳しい表情でナキを見たのはその時だった。

「率直に申し上げまして、私は彼女との出会いが全て仕組まれたものではないかと疑っております」

「へぇ……」

 確かに動物を操る混血もいるから不可能ではない話だ。犬を誘き寄せて、助ける。同じ境遇を曝し、心の隙間に入り込む……。吸血鬼とはいえ十二歳の少女、しかも両親を亡くしたばかりで弱っているなら付け入るのは容易いか。

「お嬢様は未だ覚醒しておられない吸血鬼……細心の注意を払わねばなりません」

 ちらりと窓際を見遣ると、それに気付いた位空がふわりと笑った。

「うん、説明するよ。吸血鬼はねぇ、生まれてから数年は何の力も持ってないことが多いんだよね。だいたい十歳前後で覚醒と呼ばれる症状が出て、吸血鬼の特殊能力に目覚める。そうすると手がつけられないんだけど、それまでの僕らって本当に無防備。まぁ僕は産まれたその日に覚醒があったみたいだけど」

「お前の無邪気で可愛かった期間は数時間か。流石に気の毒だな」

「え?僕の『無邪気で可愛い』は今も現役だけど」

「図々しいな」

「素直じゃない感性をしているね?まぁ、それはさておき……このか嬢はもうすぐ十三歳。未だに覚醒していない。もしかすると彼女はこのまま覚醒しないかもしれない」

「覚醒しない?」

 位空の発言に注釈を求めるとすぐに返事が返ってくる。

「公にはしていないことだけど、亡くなった僕の友人……深際瑶一郎の細君は人間だった」

「……人間?」

「そう。こずえさんといってね。優しく賢く、人生の伴侶とするには素晴らしい人だったけれど、妖力を持たないただの人だった。これまで吸血鬼と人間の間に子供が産まれた例は幾つかあるけど……その子供たちは皆吸血鬼の力を発現させることはできなかった。吸血鬼族の弱体化が懸念されるが故に人間との婚姻は禁忌。暗黙の了解でね」

 それでも結婚したのだ。位空の友人だという吸血鬼は。

「瑶一郎は吸血鬼の特権を全て捨てた。表向きは隠棲を理由にしているけれど、梢さんと結婚するために深際家の当主の座を弟に譲り、瀉血しゃけつを行うことを止めた」

 瀉血とは血液の一定量を取り除き、症状の改善を求める治療法である。それは現代においては、暴走する妖怪の血を吸血鬼が吸い、正気に戻すという行為を指すことが多い。吸血鬼は人間の血は吸わない。妖力をふんだんに含んだ血こそ彼らの食事なのだ。それを吸わなければ、彼らは力を維持できない。

「血を喰らわねば吸血鬼は不老長命ではいられない。でも瑶一郎は梢さんと添い遂げることを望んだ」

「ああ……だから」

「そう。だから吸血鬼が事故なんかで死んだ。……死因は秘匿され、寿命ということになっているけれどね」

 本来強靭な肉体を持つ吸血鬼が交通事故などで死ぬはずがない。それが致命傷となったのは、それだけ彼の肉体が弱っていたということだ。

「瑶一郎にとってもこんなに早く命を落とすことになるというのは予想外だったんだろうけど、勿論そういった事態が起こるかもしれないと想定はしていた。だから遺書も準備して、娘の後見人に僕を指定していたんだ」

 ただね、と位空は言葉を重ねる。

「どれほど隠そうとしても、このか嬢が覚醒しない以上いつか真実を嗅ぎ付けられるかもしれない。……吸血鬼が『事故死』したというその事実こそ不名誉、吸血鬼という種族に対する侮辱だと考える連中にね」

 位空の瞳と声の温度がスッと下がった。

吸血鬼至上主義vampire supremacy

「……」

 ナキの手が無意識に首に伸び、そこにあるチョーカーに触れた。

「僕らが長年追っている、確かに存在するけれど姿を見せない……時代遅れの亡霊共さ」

「ああ」

「連中はこのか嬢の存在を許さないだろう。自分達の一方的な主張だけがこの世の真理で、他の意見を聞き入れる度量のない、迷惑極まりない組織だから」

 吸血鬼至上主義。

「吸血鬼こそ地上の支配者であり、王の一族である。劣位にある他の種族は吸血鬼に隷属すべき……か」

 それが組織の主張である。メンバーは選民意識の強い一部の吸血鬼、そしてその熱烈な信奉者たち。普段は社会に溶け込んで日常生活を送っていて自身の主義主張を声高に叫ぶ訳ではないのでメンバーの特定が難しい。

「そう。連中は吸血鬼の血に他の種族の血が混じるのを嫌う。彼らの表現を使うならば『汚れる』ということらしいからね。特に人間との混血は絶対に許さない。……と、まぁそんな訳で和泉さんの心配事は尽きない、ということなのさ」

 にこっと位空が微笑んだ。

「何かさらっと話しやがったけど」

「うん。トップシークレットだから他言無用ね」

「お前な……」

「僕が気になるのはね、和泉さんは梢さんを恨んでるんじゃないかってことなんだけど」

 相変わらずさらりと、世間話の続きのように位空がぶち込んできた。

「……」

 視線を遣ると、和泉は黙って佇んでいた。  

 ナキの……さとりの視界に収まることをただ受け入れていた。隠すことなど何もないというように。

 和泉の身体に重なるように、彼の心が情景となって写し出される。老練の執事の心はやはり見た目ほど穏やかではなかった。

 仕えるべき者を失った悲しみから生まれた、喪失感や不安や絶望を含んだ雲が見える。そこから降った雨が美鶴木科戸という女に対する不信の花を育てている。そして主人と奥方、息女に対する敬愛が攻撃的な暴風へと姿を変えて、近づくものの肌を切り裂かんばかりに吹いている。

 ……現実ではない。ナキの視界の中でだけの風景だ。それでも狂暴な風に頬を打たれた気がするほどの強い感情。

 ナキは目を瞑り、簡潔に感想を述べた。

「暑苦しいことだ」

「ふぅん?」

 興味深そうに、面白がるように位空が首をかしげた。

「和泉さんは見たままの誠実な使用人という訳だね」

 少なくともこの老人が吸血鬼至上主義のメンバーである可能性は考えなくてもいいだろう。

「……奥方様は種族の違いに悩み、苦しみながらも必死に旦那様を支えておられました。その苦悩を知りながらどうして奥さまを恨んだりできましょう。そしてそのお二人の大切なお嬢様を私たちはお守りしなければなりません」

「なるほどね。貴方の忠誠を疑うような発言をして申し訳なかった」

 素直に位空が謝罪を口にすると、和泉は首を振った。

「生前の旦那様と奥様は、このかお嬢様のことを本当に心配しておられました。私どもも旦那様と奥様の大切な忘れ形見であり、敬愛するお嬢様を何としてもお守りしたいと考えています。ですが……」

 そこで和泉は一端言葉を区切った。

「ですが?」

「吸血鬼至上主義の考え方は吸血鬼族の中にも未だ根強く残っていると、生前の旦那様がよく話されていました。現代社会は建前として全ての種族の平等を謳っているが、本当はそうではないと……。今の深際家を支援することは一部の吸血鬼からの反感を買うことになりましょう。そうと知りながら……九堂様におすがりしなければならないことは本当に心苦しく……」

「ん?」

 位空がキョトンとした顔になり、それからナキの方を見た。

「僕って、人の言う事とか気にできるの?」

 心底疑問といった声だった。

「僕の行動で吸血鬼族の誰かが怒ったとして……それで自らの行いを反省したり、以後の行動に何らかの修正を加えるなんて事が、果たして僕にできるのかな。自分で言うのも何だけど、僕にはとっても難しそうだよね?」

「社会不適合者だからな」

「他人事みたいに言うけど、玄葉さんも大分こちら寄りだけどね?」

 確かに位空には難しい芸当だろう。それが出来ていればこいつはこの場にはいない。他人の気持ちを理解して慮ることが出来るならば、勝手に他人の家の合鍵を作って上がり込みはしないだろう。そもそもとうに疎遠になっている。お前の顔なんぞ見たくないと散々態度に出しているのだから。

 こいつのたちの悪い所は、他人の気持ちが分からない訳じゃない、という所だ。他者の心情を察して、理解して……その上で、慮らない。

 嫌がる事こそむしろする。

 そういう、ねっとりとした嫌な奴だ、こいつは。

「あは。君ってさとりでもあるけど、さとられでもある。君の考えてる事って何となく分かるよ。内心で僕を罵っているんだね。君が頭の中を僕でいっぱいにしている時の顔、好きだよ」

「気色悪い言い回しするな」

「ふふ」

 振り返って、位空は和泉に声をかけた。

「まぁ、お聞きの通り僕の事は心配には及びませんよ。一族も僕の事はよく知っているでしょう。長いお付き合いですからね」

「は……」

 和泉は納得したような、致しかねたような曖昧な表情をしていた。主人の友人というだけで、こんな社会不適合者に真面目に対応しなければならない立場に同情を禁じ得ない。

「……美鶴木科戸嬢にどうやって接触するか悩ましいですね?ファーストコンタクトは慎重を期さねばね。彼女が本当に組織の信奉者なら、簡単に心を読まれないように記憶の一部にプロテクトがかけている可能性もある。脳を弄って別人格になっている、なんてのも過去にはあったからね。そうなるといくら玄葉さんが優秀なさとりでも少し眺めただけでは本心は分からない。親しくなって心に入り込まなくては……ね」

「九堂様……」

「自分に何かあった時は娘を頼む、と僕も瑶一郎からお願いされていましたからね。このか嬢が健やかに成長できるよう、微力ながらお力添えしましょう」

 歌うように位空が言った。

 何だ?とナキと僅かに違和感を覚える。位空がいつもよりほんの少し早口で……落ち着かない態度に見えたからだ。

 しかし和泉はそうは思わなかったらしい。うっすらと涙ぐみながら位空に頭を下げ、謝意を述べる。ナキに対しても同様に丁寧に感謝を伝えてくるのを適当にかわし、じっと位空を見据えた。

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