母は偉大なり
あの子が産まれて4日。
たった数日。それでも夢のような時間だった。
子を持つ事がこんなにも素晴らしいものとは、今まで気付かなかった私はどうかしていたのかもしれないな。
見守っているだけでも愛おしさが止まらない。
ふふ、産まれたばかりの頃に溺れかけた時は流石に肝を冷やしたがな。
ふむ……肝を冷やすとはまた違うのだが、不安で仕方ない事がある。
あの子は産まれてからこれまで、何も口にしていない。初めてご飯を持ってきた時は豪快にかぶりついてくれたが、直ぐに吐き戻してしまった。
それ以来、どれだけご飯を持ってきても食べようとはしない。
どうしてだろう? 困った。
まさか何かの病だろうか。このまま何も食べないでいると、いくら竜族と言えど衰弱するのは時間の問題。やはり早急に何とかしなければ。
とは言え解決策など簡単に思いつけはしないし……やはり知恵を借りるか。
「……」
「キュ?」
私が身を起こすと、我が子が見上げてくる。
かわいい。クリクリお目目がたまらん。今すぐにでも抱き締めたい。が、ここは心を鬼にして出掛けねばならない。
直ぐに戻るぞと一撫でして、私は寝床を飛び立つ。
天井の穴から勢い良く飛び出し、身を翻して急降下。
目的地はこの山の麓。そこに広がる人族の街だ。
私の翼をもってすれば街まであっという間である。案の定、私が近付いている事に気付いた人達がにわかに騒ぎ始めた。
悲鳴の類いではない。むしろ喜び。そういえば、街に降りるのは随分と久しぶりな事かもしれない。
皆が手を振ってくれる中、私が降りる為に設けられた広場へと降り立つ。直ぐに数人の兵士達が駆け寄ってきた。
「シェラメア様! ご無沙汰しております!」
髭面の兵士が私の前に跪く。それに習って残りの兵士達も慌てた様子で膝を折った。
返事をしたい所だが、この姿では人の言葉は話せない。ので、私は対話可能な形態へ姿を変える必要がある。
意識を集中し、人の形をイメージ。そして心の中で呟く。
「(
私の中を巡る魔力の脈動を感じた瞬間、全身は輝き始め、私の体はみるみるうちに小さくなり始めた。
やがて人の形を取り、光が収まれば、そこに居るのは人と変わらない姿をした私。
うむ、久々なものだから少々不安ではあったが、体も服も問題なく創造出来たようだ。
……む? いや、服は少しサイズを誤ったか。前より乳と尻部分が窮屈だな。
「おお、相変わらずお美しい」
「世辞は要らん。久しいなルドルフ、少し老けたか? まぁ息災そうで何よりだ」
「はっはっはっ、これはまた手厳しいお言葉ですな。
日々何事もなく、まこと平和な日々が続いております。これもシェラメア様のご威光あればこそ。
して、此度はどのようなご用向きで?」
この髭面の男はルドルフ・ビガー。
ここに住まう者の中でも古参の人物であり、幼少の頃より私に仕えてくれている老兵。
この街を警備する兵士達のトップでもある兵長だ。
「うむ、実は皆の知恵を借りたくてな。出来れば女性陣に聞いて回ろうかと思っている」
「シェラメア様程の聡明なお方が知恵を、ですかな?」
「ルドルフよ、私とて知らぬ事はあるのだ。神ではないのだぞ?」
「我々にとっては守り神も同然でありますがな。……それで、知恵というのは?」
「なに、子についての質問を少しな。なにぶん私も初体験の事で分からぬ事が――」
「
な、何だいきなり目玉をひん剥いたりして。私は何かおかしな事を言っただろうか?
ルドルフだけではなく、他の兵士、果ては周りに集まってきた住人達もがザワザワと騒ぎ始めている。
「そう言ったが……何だ?」
「つまり! シェラメア様は母になられたと! そういう解釈でよろしいか!!!」
「お、おおう……そう、なるが」
「な、なんと、なんとぉぉぉぉぉぉぉ……」
どうしたのだルドルフは。付き合いの長い私でも、コイツがこんなにも態度を乱すのは初めて見るぞ。
ルドルフだけではない。誰もが打ち震え、必死に何かを我慢しているようだ。
言葉を溜めに溜めた後、ルドルフは大きく両手を広げて皆へ振り向く。
「聞いての通りだ皆の者!! シェラメア様のお子がお生まれになられた!! なんと、なんとめでたい事か!!
全ての住人に伝えよ!
「え」
「全ての飯屋は馳走を作りこの広場へ!」
「お、おいルドルフ何を――」
「男共は酒を持て! 盛大に! 今宵は祝おうではないか!」
「……」
私の意思とは関係なしに事はトントン拍子に進み、皆が歓声を上げて蜘蛛の子を散らすように街中へ走っていってしまう。
この様子では、もはやルドルフの頭の中からは、私が知恵を欲している事など消し飛んでいるに違いない。
我が子の事ですっかり忘れていた。コイツは昔から私の事になるとやり過ぎる癖がある事を。
「聞いたか! シェラメア様が母となられたと!」
「嗚呼、なんと素晴らしい事でしょう。神よ、この奇跡に感謝致します」
「ママ〜、あの女の人だぁれ〜?」
「あの方は私達とこの街をお守りくださっている竜神様よ。とっても偉い方なの」
「シェラメア様の子供かー。どんな姿をしているのか」
「ばっかそりゃお前、シェラメア様のお子だぞ? 男でも女でも、そりゃあ可愛らしい姿をしているに違いねぇさ。成長して人化すれば美男子か美少女確定だ」
皆好きな事を言ってくれる。
しかしまぁ悪い気はしない。あの子が褒められているというのは、なかなかどうして私も心地良いものだ。
……って、いや! そうではなく!
その大事な可愛い息子が私の帰りを待っているのだ! 迅速に知恵を貰い帰らねばならないというのに、暢気に宴に興じている暇など――。
「シェラメア様。子を持った今、どのようなお気持ちでしょうか?」
暇、など――。
「よろしければ、是非ともこのルドルフにお聞かせください。シェラメア様の血を継ぐお子の
「よかろう!!!!」
自分でも驚くくらい即答だった。どうやら私は、子供の事になるとチョロくなってしまうらしい。
そして同時に確信もした。これが世に聞く、親バカであると。
――――
あとがき。
目指せ書籍化!
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