越えてはならない境界 越えたくない一線

 次に目が覚めた時、辺りはもう真っ暗だった。あれだけ居た兵士の気配もまるで無い。

顔中が血濡れで気持ち悪かった。ずっと頭を殴られ続けてるような痛みが続いている。


 我ながらよく生きていたなと暢気な事を思いながら、やっとの思いで上体を起こし、ちょうどいい場所にあった壁に背を預けて座り込んだ。

 その壁が単なる壁ではなく、ドラゴンの死骸である事は直ぐに気付いたが、それすら気にならない程に頭がボーッとしていた。


 まぁ当たり前か。石で頭かち割られてんだから、出血で意識が薄れるのは必然。


 万が一の時の為に持ってきていた治療用の布キレを腰のポーチから取り出し、それをグルグルと頭に巻いて、雑ながらも止血。

 もう一度ポーチの中に手を突っ込んで支給されたポーションを取り出す。栓を抜いて中身を一飲み、残りは頭の傷口に布の上から直接ぶっかけた。


 これで少なくとも出血はどうにかなるはず。


 「……なんで、こうなるかなぁ」


 溢れ出た弱音。きっとこの時の俺は酷い顔をしていたと思う。


 俺を殴ったアイツ。名前すら覚える気にもなれないアイツの狙いは分かりきっている。

思えば、ここに来る道中で何かを企むような顔をしていたのはアイツだったように思う。


 目的は功の横取り。自らは手を汚さず、誰かがデモンズドラゴンを倒すのを待ち、倒した本人を不意打ちで始末する。そしてさも自分が仕留めたのだと装い特別手当を頂く、と……ゲスめ。

 どうせアイツの取り巻きも報酬金の山分け目的で協力しているに違いない。



 とにかく、こうしてはいられない。

 あれからどれくらい時間が経ったのかは分からないが、直ぐに王都に戻らなければ俺の苦労が水の泡だ。


 休ませろとうるさい体に鞭打ち、立ち上がる。

 物言わぬ骸と成り果てたドラゴンの頭を一撫でして、俺は駆け出した。

 負傷している分足取りは非常に重たい。それでも俺は走り続けた。少しでも間に合うという可能性を信じて――。








 結果から言えば間に合わなかった。


 この体で休み無く走り続けるなど不可能なわけで、数日間休み休み帰った結果……連中は既に特別手当を受け取り終わっていた。

 俺の帰還に心底驚いた様子の他の兵士に詰め寄って得た情報によれば、奴等は受け取った特別手当を片手に毎夜毎夜酒場へ繰り出しているとの事。


 流石にコイツも無理やり俺から奪った事実が納得できないのか、すんなりと居場所を吐いてくれた。そこだけには感謝しよう。

 見て見ぬふりで帰った事は許さんけどな。兵士全員恨んでやる。


 「それで、ドラゴンがこう……噛み付いてきた訳だ。それを華麗に躱した俺が隙をついて頭にグサリ! 必殺の一撃が炸裂って訳よ!」


 「すごーい! 怖くなかったの?」


 「ハッ! ドラゴンなんざそこいらに居るゴブリンと変わりゃしねぇよ!」


 「いよ! ドラゴン殺しの大英雄!」


 「我ら兵士の誇り!」


 「だぁーっはっはっはっ! 褒めるな褒めるな! おーい姉ちゃん! チマチマしてねぇで酒樽ごと持ってこい! お前ら! 今日も俺様が奢ってやるぜー!」


 「「「「よっしゃーっ!!!」」」」


 「……」


 酒場に赴けば聞くに耐えない法螺話が聞こえてきた。

 外にまでダダ漏れになるくらい大音量で、よくもまぁここまで大嘘を吐けるもんだと逆に感心する程だ。


 腸が煮えくり返る思いである。たぶん今まで生きてきて1番激怒している自覚があった。

 だけど冷静さは欠いていない。このまま殴り込みに行ったところで返り討ちに遭うのは目に見えている。特別手当を取り戻すなど夢のまた夢だろう。


 悔しいけど、俺の実力なんてたかが知れてるからな。


 ……でもまぁ。


 「1発くらい殴らんと気が済まん」


 自分を奮い立たせるように呟き、酒場の扉を潜り抜け、奥の席で女を囲んで酒をかっ食らう奴の姿を確認する。


 泥棒風情がいいご身分だ。殴らない理由が見当たらない。


 「はっはっはっ! それでよぉ……んあ?」


 「よお、ご無沙汰」


 「おま、ぶへっ!!!?」


 「きゃあぁぁっ!?」


 真っ直ぐに、澱みなく、奥へと歩みを進める。固く固く握り締めた右拳を掲げ、辿り着いた瞬間に顔面の骨を砕く勢いで奴の鼻っ柱を殴り付けた。


 俺自身驚く程に綺麗に入った。奴はソファの背もたれにもたれかかったまま動かない。どうやら今ので意識が飛んでしまったらしい、ざまぁみろ。


 「返せとは言わねぇよクズ野郎。これでチャラだ」


 「……あ、て、テメェ! タダで済むと――」


 「あ゛ぁ?」


 「ひっ」


 踏み込む前は冷静である自覚はあったのに、殴った瞬間に怒りが爆発した。仲間が殴られた事に憤る取り巻きが俺に掴みかかってくるが、ドスの効いた声音で睨み返せば、アッサリと手を離して尻もちをつく。


 ……なんだ。これくらいで怯むのか。

 だとしたら今まで俺はこんな奴等にいいように使われてきたのか。……いや、違うな。

たぶん今の俺が異常なんだと思う。許されるならコイツらを殺してしまいたいと思っている今の俺が、マトモな目付きをしているとは思えない。


 とは言えこれ以上事を大きくするつもりもない。

 横取りした張本人を思い切り殴り飛ばせただけでも収穫はあった。スッキリとはしないが、一矢報いたのだから良しとしよう。


 騒然となる酒場を後にして、俺が向かうのは帰りたくもない家。本当はちゃんとした医者に頭の傷を診てもらいたいけど、今回俺は一銭も儲けていないからな。

 金のかかる事は避けて、家にある必要最低限の治療道具で何とかするしかないのだ。





 木造のボロボロな家に帰れば真っ暗な部屋と鼻を突く酒臭さが出迎えてくれる。

 灯りくらい付けろよと内心で零し、天井に吊るされたランプに火を灯す。真っ暗だった空間が照らされると、部屋の中央に置かれたテーブルに突っ伏している女が1人。


 俺の母親だ。


 「……ただいま。母さん」


 「……お金」


 そら来た。こっちは酷い目に遭ってやっとの思いで帰ってきたばかりだってのに、開口一番お金と来た。


 普段であれば稼ぎを渡して終了。その後は会話も無く寝床に潜り、迎えたくもない朝を迎えて家を出る。


 しかし今回は事情が違う。稼ぎは無いのだ。

 帰還が遅れてしまったから、今更王城に通常の報酬金を受け取りに行っても門前払いされるのが関の山。あの国王がどこにでも居る兵士の1人ごときに構う筈もない。

 どうせ兵士1人1人の顔も覚えてなどいないだろう。喚いたところで「先日払っただろ!」と突っぱねられて終わりだ。


 故に今の俺はほぼ無一文。渡せる金など無い。

 だからと言って貯めてきた金を渡すなど論外だ。


 「……」


 「何黙ってんのよ。お金。あんたが居ない間にお酒切れたのよ、早く出しなさい」


 「……」


 「返事くらいしろぉっ!!!!」


 「っ」


 黙っていたら酒の空き瓶で思い切り側頭部を殴られた。

 瓶が割れて辺りに散らばる。衝撃で傷が開き、再び頭から流血して倒れる俺を見ても尚、そんな事はどうでもいいと今度は馬乗りになって両手で殴り付けてくる。


 「知ってんのよ! あんたドラゴン討伐に行ってたんでしょ!? それが終わったから帰ってきたんでしょ!?

 ならたんまり貰ったんでしょ!? お金! お金!! お金!!!」


 「っ……ごめん。無いんだよ、だから……うぐっ!!?」


 無いのにあると言えばもっと酷い目に遭うかもしれない。そう考えた結果、正直に答えた俺に待っていたのは最悪の展開。


 今思えば、どっちを選んでも結末は変わらなかったように思う。


 どの道、こうして首を絞められて・・・・・・・いたに違いない。


 「あ…が……か…ぁ……さ、ん」


 「なら何で帰ってきてんのよ役立たず!! お金が無きゃ私はどうすればいいのよ!? 出せ! 出せぇ! お金お金お金お金お金お金お金お金ぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 首を絞められたまま、幾度となく頭を床に叩き付けられた。

 痛みがぶり返す。血が飛び散るのを感じる。そしてそれら全てが、だんだんと感じられなくなっていく。


 「ああぁぁぁぁぁぁっ……!!!! はぁ……はぁ……!」


 「……」


 「……あんたなんか、産まれてこなければよかったのに」


 「……」


 やり返す事は出来た。いっそ殺して楽になりたいとさえ思った。

 こんな親、生きている価値なんてない。子を何だと思っているのだと、そんな偉そうな事を喚き散らしてズタズタに切り裂いてやりたかった。


 でも、それでも……俺の母親だ。

 たとえこの先どんな罪を被る事になったとしても、俺は――。




 親殺しだけは、したくなかった。




意識を手放す瞬間、あのドラゴンを殺した時に感じた痛みが、再び胸に走った気がした。





――――




あとがき。


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