_02
「共犯……?」
僕の問いかけにもなっていない問い声は、辺りに薄く溶けてしまった。
「共犯関係が結ばれたのは、祐樹さんが消息不明になった日の深夜十二時以降だと思い込んでいた。しかし、もっと前に二人が共犯関係を結んでいたなら、祐樹さんの身に真の異変が起こった時刻は、あの日の深夜十二時以前に限定されなくなる。いや、むしろ、異変はあの日よりずっと以前から起こっていた――と言ったほうが正しいかもしれない」
「どういう事?」
「あの時、君の母上がこの家に着いた時、まだ君の父上は生きていたんだ」
言われた事の意味が分からなかった。
あの時、まだ生きていたって、どういう意味……?
「水森蛍とアリスさん、二人で祐樹さんを殺したってことだ――」
月ヶ瀬さんは無慈悲に言って、ついに辿り着いた本物の真相を語り始めた。
「計画的な犯行だったのだよ。祐樹さんを殺すつもりで、水森蛍とアリスさんは二人で、十年遅れの新婚旅行の計画を立てた。旅先での事故を装って殺すつもりだったんだろう。だが、遺体が発見されては犯行が露見する可能性もある。だから、周囲には海に落ちたと言い張る事にし、遺体はここで処理する事にしたんだ。祐樹さんが海に居たという証拠の写真を撮った後、アリスさんが睡眠薬で昏睡させた祐樹さんをこの家に運んで来る――最初から、そう取り決めてあったのだろう。どんな理由があったのか分からんが、あなたたち二人は結託し、あなたが祐樹さんを殺し、あなたが遺体を鹿や猪と同様に処理した。そして、誰が見ても人骨と知れる頭蓋骨だけはエゴノキの根元に埋めたのだ」
チカッ、と目の裏で光が瞬く。父さんの白い骨が脳裏に浮かぶ。
「私はずっとアリスさんの言葉に躓いていた。『パパとはもう会えないの』というのは、つまり『これから殺すから、パパとはもう会えないの』という意味だったのだ。君の言う通り、アリスさんは普通に『パパは殺された』と、第三者が犯人であるように言ったのだ。それは極めて当然の言い回しだった。なぜなら、祐樹さんを直接手にかけたのは水森蛍だったのだから」
蛍さんは否定しない。肯定だ。月ヶ瀬さんの推理は正しいのだ。
叫びたいのに、言葉が出なかった。心が麻痺したようになってしまっていて、まともに考えも回らない。そんな、そんな……
最初から殺すつもりで、新婚旅行に行ったなんて……酷いよ――
ああ、でも――
僕は図々しいエゴイストだ。母さんも罪を犯した事は間違いないのに、それでも、良かったと思ってしまった。僕が思っていた通り、感じていた通り、やっぱり、父さんを殺したのは蛍さんだった。やっぱり母さんじゃなかった。良かった……
例え、遺体の損壊に手を貸したとしても、父さんを殺す為にここに連れて来たのだとしても、それでも、それでも、だ。
母さんが殺したんじゃなくて良かった。
「まったく腹立たしいが、君が正しかった。『パパは水森蛍に殺された』――それが、君の母上が本当に言いたかった言葉だ」
月ヶ瀬さんは視線の矢で蛍さんを射抜く。
「そういうことではないか? 水森蛍――」
蛍さんは綺麗だった。穏やかに、清らかに、貴婦人のように上品な微笑を浮かべた。
「厭味な子。よく頭が回るのね」
月ヶ瀬さんは舞台俳優のように胸に手を当ててお辞儀をする。
「褒め言葉と受け取っておこう」
呆然としている僕に向き直り、月ヶ瀬さんは別の言葉の謎も解いてくれた。
「君は、その女が遺体を処理する間、おそらく睡眠導入剤で眠らされていたのだ。薬剤による入眠時にしばしば起こる意識混濁のせいで、水森蛍とアリスさんの言葉を断片的に聞いて覚えていたのだろうと推察する。きっと、君が記憶している言葉の前に、アリスさんが死体をどうしたらいいかと問い掛けるようなことを言ったはずだ」
あ、と頭の中で記憶が弾ける。
「死体なんてどうしよう」
「肉にするしかないじゃない」
そうだ、確かにそう言っていた。
あれは誰かの独り言ではなく、二人の会話だったのだ。
†††
一角獣が犯人だった。
明るく爽やかで、みんなに信頼されていた優等生。
優しく親切で人当たりも良く、デイトレードで生計を立てながらも、後継者不足になっている害獣駆除の仕事で地域に貢献し、人々から尊敬され、愛されていた、名士の娘で善良な元農協事務員。
小日向祐樹から「清らかな獣」と賛美された女性。
だが、彼女は心に闇を持っていた。
虎を愛していたからだ。
虎が獲物だった。
一角獣は虎に追い払われた後も、虎への想いを断ち切れず、こっそり戻って来て虎を見詰め続け、上品に、礼儀正しく、辛抱強く、獲物を手にかける機会を待っていた。
ついに機会が訪れた時、一角獣は光の中にいることをやめた。
水森蛍が、真犯人だった――
†††
「あなたは清らかな善人などではなかった。人の品性は言葉に表れる――これはメナンドロスの言葉だが、その通り、あなたの品性は言葉に表れている」
月ヶ瀬さんは断罪するように蛍さんを真っ直ぐ見据えた。
「cut off his head すなわち、彼の首を斬り落とす――こんな言葉を使う人間が清らかでなどあるものか」
言葉の鞭で鋭く打たれて、それでも、蛍さんは静かに微笑むだけだった。
僕はそんな蛍さんに問い掛ける。
もう分かっているけれど……
「動機は何だったんです?」
「あの童話よ。それについて多くを語る必要があるかしら?」
ああ、やっぱり、とあまりにも自然に腑に落ちた。
一角獣と虎の物語――あれが、蛍さんを縛った魔法の呪文だったのだ。
「酷いと思わない? アリスを選んだくせに、あんな童話を書くなんて。他の誰にも分からなくても、私には分かってしまった。卑怯よ。面と向かっては何も言ってくれなかったくせに、あんな方法で、愛していると言ったのよ。愛しているから遠ざける――そう言われて歓喜しない女が……絶望しない女がいると思う?」
蛍さんの声は、ついに少しだけ乱れて、震えた。
「何も出来ないじゃない。アリスのものになって、子供まで作って、そのくせ中途半端なまま、仕事もせず、お酒におぼれて腐っていく彼を見ているしか出来ない。本当の気持ちを問い詰めることも出来ない。諦めて忘れる事も出来ない。私のものになってと言えるわけもない」
「母さんは、どうして父さんを?」
「暴力よ。彼は、祐樹くんは、妻に暴力を振るわずにはいられない人だったの。あの頃のアリスはいつも全身痣だらけで、夏でも長袖の服を着ていたわ。あなたのお母さん、左耳が聞こえなかった事を知っている? 祐樹くんが鼓膜を破ったの。アリスは歯を折られた事もあったし、肋骨も何度か折られていたわね……」
知らなかった。いや、知っていたのかもしれない。幼い僕は、目を逸らし、耳を塞ぎ、見ないように、聞かないようにして、逃げていた。自分を守っていた。
そんな気がする……
蛍さんは、分かっているわ、という眼差しを僕に向けた。
「アリスはどうしようもないくらい追いつめられていて、私は、病んで狂っていく祐樹くんをそれ以上見ていたくなかった。アリスと私は利害が一致したのよ。ただし、アリスは私の本当の気持ちは知らなかっただろうと思うけど……」
†††
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます