第32話 五
全てうまくいきますように。
毎日、毎日、一日のどこかで、一人で、心の中で、密かに、見つからないように、そっとお願いを口にする。祈りに近い願いだった。叶うだろうか。こんな後悔が、こんな感情が、いつか報われるときはくるのでしょうか。
子供の頃から人の影響を受けやすい。口癖だったり趣味だったりが影響されたものだったことは少なくない。そして現在人との交流がほとんどないからか、昔の誰かの癖がいまだにどこかに残り続けている。それに気づいたとき少し嫌な気持ちにはなったが、自分から直せる気もしない。
そういうわけで財布の中に五円玉が溜まり続けている。勝負日の直前にでも貯めてる五円玉を一気に賽銭として投げ入れて神様にお願いしておくと何かしらのご利益がある、らしい。聞いた当時は馬鹿馬鹿しいと一笑した記憶があるが、いつの間にか伝染していたようで腹立たしいことこの上ない。邪魔ならさっさと使えばいい、とは勿論思うのだが、別に今じゃなくてもいいとか、余計な邪念がいまいち振り払いきれずに、気づけば財布を圧迫するほどの量になっていた。
近所に有名な神社がある。私にとっての勝負の日もそう遠くない。出不精続きの毎日だったが、財布を軽くするというだけの理由で出かけてみるのも一興なのかもしれない。なんて。
製造年月が様々な五円玉たちを見つめながら、在りし日々を思い出す。それでももう前ほどは暗い気分にはならなかった。少しだけ過去から解放されたのかもしれない。
忘れてはいけない痛みだと思っていたから、忘れそうになるたびに瘡蓋を剥がすかのように何度も何度も思い起こしていた。その行動は振り返ってみれば建設的ではなかったし決して褒められたものでもなかっただろう。しかし無意味ではない。無駄ではない。
苦しんだ者にしかわからない感情があるし、傷ついた者にしかわからない痛みがあるし、そういう世間的には負と言える経験がいつか別の誰かを何かしらの形で救えるはずだと、今更ながらそういう風に考えられるようになった。ポジティブな物語だけで人は救われるとは限らないのだから。
病める者に手を差し伸べるような音楽があり、言葉があり、絵がある。かつて私が救われたように、そういうものをいつか作れるようになりたいと漠然とながらそう思っている。
私には私の物語がある。
誰にも共有できない、誰にもわからない、私だけの物語。
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