第31話 鮮

 息を吸ったら吐くしかない。胃袋は空になったら満たさなければならない。眠気に襲われたら横になって目を閉じなければならない。

 日常生活の中のありとあらゆる行動は、気づけば義務になっていた。そこに自分の意思は介在しない。


 揺らがない自分というものに焦点を置いたとき、数年前まで確かにあった個性は跡形もなく消え去っていることに気づいた。気づいたときにおかしくて笑ってしまった。あの「私」は、誰かありきの私だったのだ。それは普通なのかもしれない。もうあの「私」はここにはいない。生きていない。必要がなくなったから、自然と消えてしまった。


 久しぶりに、かなり久しぶりに温かい夢を見た。内容はよく覚えていないが、母から優しい言葉を投げかけられる夢だった。きっと母はこういうことを言うのだろう、と言うイメージがおそらく自分の中にあったのだろう。実際に現実の母親が言いそうなことだと思った。目覚めた朝は変わらず部屋で一人だった。少し泣いてしまった。


 体の節々に痛みを感じる。何もしないとこうなる。体を動かせ、ご飯を食べろとは人からよく言われたものだがどうにも億劫だった。全てのことが億劫だ。起きて寝るだけの生活が許されるなら続けていたいし、それが許されているから今がある。

 退屈だ。代わり映えのない毎日で、何度目覚めても同じ景色。退屈だが、揺らがなくてもいい。私はもう、激情に身を振り回されることはない。退屈と引換に安定を手に入れたのだから、束の間の平穏にしばらくの間だけでも身を置けるのなら行幸だと思う。

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