第25話 魔法少女になりたくて [ステッキ]

 少女にそれを与えたのは、ほんの気まぐれだった。


 少女の母はシングルマザーで、多数の男と関係を持ちながら生活をしていた。

 父親はもともと水商売の客で、店から上がらせてくれたものの、子供ができたと分かると新しい女に乗り換えた。

 捨てられた母は再び水商売の世界に戻ることはせず、以前の上客に狙いを定めて金を搾り取ることに決めたのだった。


 少女の家は安いボロアパートで、母は毎日違う男と出かけて行った。

 毎日タイプの違う化粧をして、違う服を着て、まるで別人のようになって男と腕を絡める母は、まるで魔法少女のようだった。


 少女は母に与えられたアニメのDVDを延々と見続けていた。

 それは様々な職種の女性に変身して悪の組織の元へ潜入しては懲らしめる魔法少女が主人公のアニメだった。

 きっと自分の母も、魔法少女の仲間に違いない。

 幼い少女は無邪気にそう信じていた。


 そのアニメに登場する魔法少女は五人いたが、それぞれ違うモチーフのステッキを持っていた。

 少女が最も好きだったのが、星のステッキを持ったイエロー主体のキャラデザインをした女の子だった。

 少女の髪は色素がやや薄く、茶色みがかっていて、それがそのキャラクターの髪色と似ていたことも理由の一つだった。


 少女はいつか自分も魔法少女になれると信じていた。

 母がステッキを用意してくれて、悪の組織と戦うのだと。

 少女が話すと母が怒り出すため、少女が母に対してステッキをねだるだとか、そういうことはなかった。

 しかし、何度も何度も食い入るように見るのはイエローの女の子。

 母の目にも、少女のお気に入りはあのキャラなのだと分かるくらいにあからさまだった。


 母の相手の一人は都心に複数の住処を持つ男だった。

 その男の発言を信じるのなら、彼はその住処に女を囲い、面倒をみているのだと。

 母も囲われないかと言われたことがあった。

 けれど、その手の発言が全く信用ならないことを痛いほど理解してしまっていた母は悩むこともなく断った。

 男との関係は週に一回のデートとそれに付随する肉体関係のみ。


 普段は外を連れ回す男だったが、その日は珍しく家に案内された。

 また囲われないかと言われるのではと警戒した母だったが、ただ単にそこで面倒を見ていた女が自立して家が空いたからだと説明される。


 確かに、家の中には子供用のおもちゃや知育道具なんかが転がっていて、女を囲うような話をする様子ではなかった。

 少女のことを思ってそれらを放置したまま母を呼んだのではと勘ぐったが、結局そういう話は出なかった。

 むしろ、片付けが間に合っていなくてすまないと謝られ、中古でよければ好きなものを持って帰っても構わないと言われて戸惑った。


 母は一応、散らばった物を部屋の隅にまとめながら何か気になる物がないかと探した。

 すると、山になったおもちゃの中に魔法のステッキが埋もれている。

 引っ張り出してみると、それは少女の大好きなキャラが用いる星のステッキだった。


「これ、もらってもいい?」

「ああ、もちろん」


 男が安心したように笑った本当の意味を、母は知らなかった。

 それから男に手料理を振る舞い、リビングや台所、ベランダや玄関で行為に耽り、帰る頃には日付が変わっていた。

 少女はもちろん眠っていて、母は少女の枕元にステッキを置いた。

 何にも包まず、そのままのステッキを。


 翌朝、目覚めた少女は枕元のステッキを見て目玉がこぼれ落ちるのではないかというくらいに驚いた。

 中古のステッキはそれなりに使用感があり、それがかえって本物なのだと示しているようだった。


 まさか、自分にこのステッキが受け継がれるなんて。


 そう言いたげに潤んだ瞳でステッキを握りしめる少女を視線の端に映し、安上がりで楽だと昨日とは全く傾向の異なる化粧をする母は、そのステッキから溢れる悪意に気付かなかった。


 家に一人になり、少女はステッキをまじまじと見つめなおした。

 どこからどう見ても、テレビ画面に映るステッキと同じ物だ。

 少し傷付いたりしているが、これはきっと戦いの最中に付いた傷なのだとむしろ嬉しくなったりして。

 少女は自分を背後から見下ろす視線に気付かない。


「?」


 ふと、誰かに見られているような気がして後ろを振り返ったが、人がいるはずもなく。

 静まり返った部屋の中、少女の呼吸音だけが響いている。


(魔法少女になりたいの?)


 そんな声がどこからか聞こえた気がして、少女は部屋を見回した。

 やはり部屋の中には誰もいない。

 首を傾げながら、水道水を手ですくって飲んだ。


 母が家にいない間、少女に許されているのは水道水を飲むことと、テーブルの上に置かれた物を食べること、そしてDVDを観ることだけだった。

 水道水を飲むにも、コップを使って叩かれたことがあるため手で飲んでいる。

 テーブルの上には大抵パウチに入った栄養食品が置かれていて、少女は周りを汚さないように慎重に開けて慎重に食べるのだった。

 ティッシュ一枚自由に使えない上に、こぼして服や家具が汚れたらベランダに締め出されるからだ。


(魔法少女になりたいの?)


 またその声が聞こえて、今度こそ空耳ではないと確信した。


「だれ?」

(魔法少女になりたいの?)


 何を聞いても同じことしか言わない謎の声は、女の声だったが、アニメで聞くキャラクターの声とは異なっていた。

 母の声とも違う、若い女の声。


「なりたい」


 結局、少女はそう答えた。

 魔法少女にはずっと憧れ続けているのだ。

 いずれなるものだと思っていたし、そのチャンスが本当に今巡ってきたのかもしれなかった。

 アニメの中の魔法少女たちは猫のような犬のような不思議な生き物に案内されてステッキを手にし、力を得ていたが、少女の場合は突然枕元にステッキが現れたのである。

 いろいろなことがアニメで観たものとは違うのだろうと納得した。


(魔法少女になるためには、力が必要)

「うん」

(力を得るために、あなたは試練を受ける必要がある)

「しれん?」


 試練という言葉は聞いたことがある。

 アニメの中で、一度悪の組織に敗れてしまった魔法少女たちが、試練によって新たな力を手に入れていた。

 その時は入り組んだ洞窟の中を一人で歩き、襲いかかってくる敵を倒しながら自分の中の隠された本音をさらけ出し、弱さを乗り越えてパワーアップしていた。


「どうくつに行くの?」

(そう。そして洞窟に行くためには、あなたの今の体ではだめ)


 試練の洞窟は、魔法少女たちの精神世界にある。

 人間の肉体から離れ、むき出しになった精神体で試練に挑むことによって、内面から強くなるのだ。


「どうしたらいいの?」

(まずは、ここから出ましょう)

「でも、おかあさんがおこる」

(魔法少女になれば、怒られない)


 家から出ることなど、考えたこともなかった。

 長方形の扉の向こう側は、少女の知らない世界だった。

 母が変身して向かう先、きっと悪の組織の人がたくさんいて、危険な場所なのだ。

 けれど、少女は魔法少女になりたかった。

 母と同じ魔法少女になれれば、少しは認めてもらえるかもしれないと思った。

 アニメの中で、魔法少女たちは成長し、家族に認めてもらっていた。

 そういう風に、なれるかもしれない。

 そう思うと、少女はいてもたってもいられなくなった。


「行く」

(行きましょう。私が案内してあげる)


 少女は扉の鍵を開け、外に出た。

 吹き付ける風が、冷たくて震える。

 いつから着ているのか分からないパジャマは、ちっとも風を防いでくれない。


(階段を降りて、右に曲がって真っ直ぐよ)


 声に従って歩いて行くと、高い建物の前に着いた。

 平日の昼間、人通りはほとんどなく、少女は誰に見咎められることもなくそのビルの裏口から中に入った。

 小さなエレベーターがあり、少女は初めてそれに乗り込んだ。

 自分が少し浮かんだような感覚が不思議だった。

 身体に重さが戻ってきて、少女は最上階に辿り着いた。

 そこから非常階段を上り、屋上へ。

 フェンスで囲まれた屋上はから見える景色は、少女の目に焼きついた。


「すごい……こんなに広いんだ……」

(さぁ、いよいよ最後の準備よ)

「うん」

(フェンスを乗り越えて)


 少女は言われるがままにフェンスを乗り越えた。

 下から吹き上げる風が、少女の身体を揺らす。


(ここから飛び降りたら、あなたの心は解き放たれて、試練に挑戦できるようになる)

「……わ、かった」


 飛び降りたらどうなるか、少女にはよく分かっていなかった。

 分かっていないにも関わらず身体が震えるのは、本能が警告しているのか、それとも寒さのせいか。

 その理由を知る前に、少女の身体は宙に投げ出された。


 ふわり。


 一瞬だけ浮いたような心地がして、すぐに勢い良く落下が始まる。

 少女の意識は失われ、痛みを感じることもなく、地面に叩きつけられて弾けた。


 屋上には、やつれた女が立っていた。

 落ち窪んだ瞳に狂気を宿らせて、眼下の赤いシミを見つめている。

 

『あは』


 女は自分の胎を撫でた。

 そこは不自然に膨らんでいて、ぼこぼこと形を変える。


『すてようとしてもだめよ、あなたのもとにかえるからね、いまかえるから、あなたのあかちゃんもいっしょに、かえるからあああああっはあはははあああああああああ』


 女は魔法のステッキを振りかざし、自分の胎に突き立てて消えた。

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