第23話 楽しいお菓子作り [レシピ]

 結局、廃工場での一件以来、康平たちの足は心霊スポットから遠ざかっていた。

 情報収集は変わらず続けていたし、地図の付箋も増えたけれど、今日の放課後にどこどこに行ってみよう、みたいな会話が減っていることを、全員が分かっているのに口にすることはなかった。


 怜二はそんな三人を見つめながら、複雑な気持ちでいた。

 三人の命を危険に曝したいわけではもちろんない。

 けれど、普通の中学生の日常を送ることで私に飽きられる可能性を考えてしまうのだ。


 私は私で怜二以外にもそれなりに興味を引かれるものはあるし、少しぐらい怜二の周囲がつまらなかったとて、見限るつもりもないのだが。

 それを言ってしまっては面白くない。

 結局のところ、怜二が色々なことで思い悩む姿も面白いのだ。


「今度さー、うちでお菓子作ろうよ」

「は? お菓子?」

「うん、こないだ新しいオーブンレンジ?ってやつ買ったんだって。お母さんが大喜びでさ。お菓子作るから、せっかくだしみんなも一緒にって。どう?」

「康平の母さんの作ったパウンドケーキ美味かったしな〜」


 康平が生まれる前から家にあった電子レンジが、ついに壊れてしまったのだ。

 寿命を超えて頑張っていただけに、いきなり壊れてしまった時は結構悲しかった。

 よく頑張ってくれましたと家族で礼を言い、代わりにやってきたのは大きくて綺麗なレンジ。

 液晶画面が付いていて、いかにも最新といった風だった。

 それでいて全体的に丸みを帯びたフォルムが可愛らしく、電気屋さんで母が一目惚れしたらしい。

 大容量であると同時にたくさんの機能が付いていて、見た目に反してお値段は可愛くなかったそうだが、父がそれにしようと言ったので、そういうことになった。


 その日から康平の母は楽しそうに台所をうろうろするようになり、父は「こんなことなら、もっと早く買い換えておくんだった」と苦笑いを溢していた。


「お菓子なんて作ったことない」

「おれもねーわ」

「ぼくもないです」

「ぼくもないよ! だから大丈夫!」


 お菓子作りどころか、友達の家にお呼ばれするのも初めてな茜である。

 この間の流星群の時に康平の住むマンションには行ったが、エントランスから屋上に直行だったため、家の中には入っていない。

 友達の家でお菓子作りだなんて、夢ではないだろうか。

 茜は無意識に太ももをつねり、痛みに顔を顰めた。

 和斗が変な顔をして茜を見ていることに気付き、恥ずかしくなって顔を逸らす。


「行く」

「まあ、作ったお菓子は自分で食べられるんだもんな。美味いの作んなきゃな」

「だね」



「いらっしゃーい!」


 康平の母は満面の笑みで和斗たちを迎え入れた。

 リビングのテーブルには材料が並んでいて、準備万端。

 すでに蒸しておいたらしいさつまいものいい香りが、部屋中に充満していた。


「せっかく秋だし、今日はさつまいも使おうと思って。みんなさつまいも平気?」


 全員が大丈夫ですと返事をし、洗面所に案内される。

 勝手知ったる和斗が先んじて歩くのを、怜二と茜が追いかける形だ。

 うがいと手洗いを済ませて、いよいよお菓子作りである。


「大丈夫。すごい簡単なやつだし、レシピ通りにやれば間違いないから」


 ボウルに入れたバターを頑張ってなめらかになるまで混ぜまくる和斗の隣で、茜はホットケーキミックスをふるいにかけていた。

 康平と母は仲の良さそうなやりとりをしながら、柔らかくなったさつまいもを荒く潰している。

 怜二は計量器の数字を真剣に見つめていた。


 和斗のボウルに砂糖が追加され、どんどん混ざっていく。

 一種類だけじゃもったいないしね、と言いながら、康平の母も和斗と同じような作業をしている。

 茜は潰したさつまいもと牛乳を一生懸命混ぜていた。

 バターと砂糖のよく混ざったボウルに、溶き卵を少しずつ加えていく。

 それが混ざれば最後にホットケーキミックスだ。

 一気にボウル内の質量が増し、混ぜる手が疲れてくる。

 時々混ぜ手を交代しながら、康平たちはさつまいものパウンドケーキと、マフィンのタネを作り終えた。


 四角い型にパウンドケーキのタネを流し込み、小ぶりのカップにマフィンのタネを溢さないように入れる。

 パウンドケーキの上にスライスアーモンドをこれでもかと乗せ、余ったものはマフィンの上に散らした。

 黒ごまも用意してくれていたので、それも振りかけた。


「あ! 和斗、それかけすぎ!」

「えー、ごま美味いからいいだろ」

「いっぱいかけてもいいけど、適当すぎでしょ」

「見た目も大事ですよね」


 茜が和斗から黒ごまを奪い取り、何もかかっていないマフィンの上に綺麗に振りかける。

 一ヶ所にどばっと固まってしまっている和斗のものと違い、全体的に控えめにかけられたごまが美味しそうだ。


「そーゆーのはお前に任せた」

「はいはい」


 普段だったらイラっとしてしまったかもしれない和斗の言葉も、友人宅でのお菓子作りという状態の今は気にならない。

 流星群の時は途中で怖い思いをしたが、今日は何も起きていない。

 茜はそれほど霊の気配を察知するのに優れているわけではないが、それでも康平の家の中が今安全であるということは分かる。


 廃工場での一件があって、三人とも恐怖を遠ざけたい気持ちが強まっているというのは怜二にもよくわかった。

 だから、今日は絶対に怖い思いをしないで済むようにしようと決めていた。


 待ち合わせの時間よりかなり早く康平のマンションに着いた怜二は、準備を始めた。

 マンションの周囲に自分の力でシルシを付けていく。

 ここは自分の縄張りだと主張するように、丁寧に。


 マンションを囲っている最中に、目に入った弱い霊には消えてもらうことにした。

 きちんとした形を保てず、自我もない、なり損ないのような小さな霊は、怜二に話しかけられただけで、“認知してもらえた”と満足して消えていく。

 その辺に浮遊しているだけの霊体も、誰かに声を掛けられれば自我が芽生える。

 それがその霊体の存在を強く意識していればしているほど、鮮明に。


 怜二に声を掛けられた霊体たちはみな、生前を思い出して自分の死を自覚し、生きた人間に干渉したいという欲求を抱えることなく消えていった。

 死してなお、生きた人間に何かを為したいと考えるような霊体は、初めからしっかりと自我を持っている。


 マンション周辺を一通り綺麗にしてから、今度はマンションの内部を確認する。

 内部は死んだ人間というよりむしろ、生きた人間の思いが渦巻いている。

 康平の家族に絡んだものはないようだったが、どんなことが原因で矛先がこちらに向くか分からない。

 万が一の可能性があるのなら、排除しておく方がいい。

 怜二は私をチラと見たが、結局自分でなんとかするようだった。


 怜二がいわゆる生き霊の背後から近付き、背中に手のひらをかざす。

 生き霊の内側に怜二の力が注ぎ込まれ、耐えきれずに弾け飛んで掻き消えた。

 後に残るのは周囲と変わらぬ空気だけ。


 怜二は全ての階を確かめて、待ち合わせ場所に向かうのだった。


 康平の家に入ってからも、外から何かよくないものが入り込んでこないように気を張っていた。

 家に帰るまで、和斗が自宅に入るまで、見届けるつもりである。

 茜にいろいろなものが見えてしまうことをどうにかすることは、怜二にはできない。

 せめて無害なものと有害なものの見分けが付くように、怜二はお菓子作りに夢中になる茜へと力を少しだけ分けた。


『そうまでせずともよかろうに』

「今日だけ。今日だけは絶対に怖い思いをしてほしくない」

『今日だけでよいのか?』

「…………分かってるくせに」


 私は声を上げて笑った。

 私の声が聞こえるのは怜二だけだが、もはや怜二は私の方を見てもいない。

 焼き上がったばかりのマフィンを見て、嬉しそうに笑っているだけ。


 分かっている。

 分かっているとも。

 お前のことを一番よく分かっているのは私なのだから。


 先に焼き上がり、荒熱を取っていたパウンドケーキも、いい具合に仕上がっていて、康平たちは歓声を上げた。

 アイスティーと、カットされたパウンドケーキ、自分で飾り付けたマフィンがテーブルに並ぶ。

 自分たちで作ったのだと思うと、今まで食べたどんなお菓子より美味しく思えたし、実際本当に美味しかった。


 康平の母は和斗たちに今日作った二つのレシピをコピーした紙を渡してくれた。

 和斗は、自分の家の電子レンジは果たしてオーブンになるのだろうかと考えながら家に帰った。

 怜二はその後ろ姿をバレないように追い掛けながら、和斗の周囲を見張り続ける。


 茜はいつもよりはっきりと色々なものが感じ取れる状態を不思議に思いながらも、家への道を歩いていった。

 父は、自分の作ったお菓子を見たら、どんな顔をするのだろうかと考えながら。


 その日は三人とも、怖い思いはしなかった。

 夢さえも、見なかった。

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