第19話 闇営業 [クリーニング屋]
彼がクリーニング屋を始めたのは、自分の才能に気付いてしまったからだった。
不本意な才能ではあったが、稼ぎの良さに目が眩み、気付けば立派なクリーニング屋の店長になっていた。
地域密着型のクリーニング屋であり、利用客のほとんどは近くの団地や住宅街に住む主婦たちだ。
持ち込まれる服のクリーニングは基本的には雇っている社員たちが行う。
どうしても落とせないシミがあった時だけ、彼が呼ばれるのだった。
彼は、シミ抜きの才能があった。
特に、血液の。
元々は、ただの不良だった。
地元の高校で暴れ、ヤクザのシマを荒らしたせいで酷い目に遭った。
ボコボコにされて殺されそうになったところを、面白がった男に運よく拾われ、汚れ仕事を任されるようになった。
その過程で気付いた才能だった。
初めは女性用の洗剤を使っていた。
生理の際に汚してしまったショーツを洗うための洗剤らしく、確かに良く落ちた。
それでも消えないシミに出会った時、彼は考えた。
様々な洗剤やシミ抜きに効果のあるとされる物を集め、試し、そして見付けた。
白いシャツに飛び散った返り血も、彼に預ければ新品同様になって帰ってくると仲間内で評判になった。
ちょうどその頃、ヤクザも今までと同じやり方では立ち行かなくなるだろうという話が挙がっていた。
何人かは無関係を装って会社を設立し、裏で金のやりくりをするようになった。
その流れで、彼も会社を持つことになった。
それがクリーニング屋だったのである。
彼と、顔立ちが柔和な組員が一人、クリーニング屋の経営を任された。
彼はシミ抜きの得意な店長という立ち位置に落ち着き、もう一人の組員が事務的な部分を担う。
通常の営業を行う傍ら、自分たちの組ならず、どこにも持ち込めないような服のシミ抜きも請け負った。
彼と組員はそもそも下っ端であったから、ほとんど顔割れしていない。
普通ではありえないシミ抜きを請け負ってくれるクリーニング屋があると噂は広まり、すぐに重宝されるようになった。
組を限定しなかったことで、様々な情報も手に入れることができた。
クリーニング屋が疑われるのを避けるため、あまりに突っ込んだことはできなかったが、事前に身構えることができるだけでも結果がまるで違う。
彼はただ、無心でシミ抜きをし続けた。
いつしかシミを見ただけで、その時どういう状況だったのかが想像できるようになり、ますます彼はシミ抜きにのめり込んだ。
自分が手を下すわけではない。
誰の恨みも買うことなく、殺人の妄想に耽る。
地面に転がる相手に馬乗りになって殴った後、ナイフで首を切ったのかな。
壁に押し付けた相手の心臓を一突きにしたのだろう。
顔面を殴った後に腹を殴ったから、口から血が飛んできたんだな。
血に塗れたシャツやズボンを眺めながら、あまりの興奮に自慰をすることもあった。
裏業務であるシミ抜きは、営業時間外に地下の作業場で一人で行うため、彼の邪魔をする者は誰もいなかった。
その日も裏の仕事が何件か入っていた。
裏の仕事はクリーニング屋の正面の受付に直接持ち込まれるわけではない。
そんなことをすれば完全なる一般人であるアルバイトや社員たちにすぐにバレてしまう。
裏口にある投函口に、外から見えないよう黒のビニールなどに包んで申し込み用紙を貼り付けた服を投函してもらうのだ。
振込先である口座に、申し込み用紙に書いた名前で前金を振り込んでもらい、それを確認してから仕事に取り掛かることになる。
シミを落とした服は通常通り、店頭で受け取ってもらう。
顔を確認させてもらう意味もあるのだが、一般人に見えないような人間が受け取りに来ることはなかった。
ポストの鍵を外し、中身を確認する。
中には二つの包みが入っていて、貼り付けられた用紙を見ると片方は前に利用したことがある名前が書かれていた。
もう一つは、初めて見る名前だった。
あらかじめ聞いているよその組のリストにも、その名前はなかったはずで。
もしかしたらどこからか情報を得た一般人かもしれない。
名前を覚えてはおくが、殺人犯かもしれない人間に深入りするつもりもない。
携帯電話を操作して、同じ名前で振り込みが済んでいることを確認した。
それから包みを持って作業場に向かう。
最初の包みの中身はそれほどの作業量ではなかった。
おそらく殴りすぎてしまったのだろう多少の返り血がある程度。
これくらいなら自分に頼まずともいいのではないかと思ったが、金でなんとかなるならそうしたいと思うのも人間だ。
そもそも捨てればいいのに、わざわざクリーニングに出してまでまた着たいというのだから、よほど服が大事なのだろう。
丁寧にシミ抜きをし、洗濯機に放り込む。
それからもう一つの包みを開け、彼は動きを止めた。
「なんだ、これ」
初めて見るシミだった。
どういう状況でそうなったのか分からない。
人の顔のようにも見えるそれは、見慣れた血液よりもずっと濃く感じられた。
ただのワイシャツなのだが、背中に大きなシミがある。
内側を確認すると、胸の裏側にあたる部分にもシミがあった。
擦り付けられたような血のシミの下に、何か描いてあるような気がするがよく分からない。
服を包みから出してから、どうにも落ち着かなかった。
いつもなら見たことのない血の付き方をしていれば、どういう状況だったのか楽しんで考察しているのだが、今はそういう気分にはなれない。
一刻も早く作業を終わらせて、外の空気が吸いたかった。
胸元のシミの方を先に済ませてしまおう。
彼はいつものように洗剤を手に取り、水やお湯、熱湯や蒸気を組み合わせてシミを浮き上がらせていく。
布にシミを何度も吸い取らせ、胸元のシミがかなり薄まった頃、彼は視線を感じて顔を上げた。
周囲を見回すが、誰もいない。
作業場には鍵を掛けているし、防犯システムにも入っている。
システムを解除して中に入った後、鍵を閉めて作業を始めたのだから、誰かがここにいるなんてことは有り得ないのだ。
それなのに、どうしてか視線を感じる。
それも一ヶ所からではない、周囲を取り囲まれて見つめられているような。
疲れているのかもしれない。
ポケットからラムネを取り出し、三粒ほど食べる。
ふぅと息を吐き、作業を再開した。
胸元のシミを取り終えた瞬間、作業場の電気が点滅した。
停電かと身構えるが、数回点滅して元に戻る。
扉を開けて外の様子を伺うが、雨音も雷の音もない。
静かなものだった。
また鍵を掛け、作業を再開する。
背中の大きなシミは骨が折れそうだ。
一気に取り除くのではなく、少しずつ綺麗にしていく。
四分の一ほど落としたところで携帯電話から着信音が鳴り響いた。
ここは地下で、電波が悪いのに。
携帯をズボンのポケットから取り出して確認すると、右上に圏外の文字が見えた。
それなのにどうして着信を告げているのだろう。
画面には非通知の文字。
出なくていい。
出ない方がいい。
そう思っているのに、指は意思に反して通話ボタンを押した。
勝手にスピーカーモードに切り替わった携帯電話から、ノイズが聞こえる。
ノイズの向こうに、何かが聞こえてきそうで、通話を切ろうと指を動かした。
「ザザッ……シッ……ル……ォマエ……テル……ザザザッ」
「っ!」
どうしてすぐに切らなかったのかと後悔してももう遅い。
言っている意味は分からなかったが、よく聞き取れなかっただけで確実に言葉を話していた。
必死になってシミを落とし、洗濯機を回して乾燥機にかける。
電話がかかってからは目立ったこともなく、ただ視線だけはずっと感じていた。
◆
「お疲れさまでした〜」
「おつかれ」
結局、今日受け取りに来たのは簡単なシミの付いた服の依頼者のみで、謎のシミがついたシャツを受け取りにくる人間はいなかった。
明日以降来るつもりなのだろうか。
社員たちが仕事を終えて帰っていくのを見送り、店のシャッターを下ろしに外に出た。
週に一日、水曜日だけは開店時間を短くし、自由な時間を設けていた。
五時になったことを知らせる童謡のオルゴールがスピーカーから流れる。
ランドセルを背負った子供たちがはしゃぎながら帰る中、数人の中学生が連れ立って歩いていた。
あまり見かけない顔だなと、いつもの癖で観察をしてしまった彼の耳に、少女の声が届く。
「この辺、気持ち悪い」
「え、大丈夫かよ」
「確かに……この辺りはひどいですね」
「ぼくは分かんないや」
「なんか、分かんないけど、たくさん人が死んだのかも」
「えー、ここで? 図書館行ってみる?」
「そうすっか」
立ち去ってしまった彼らの後ろ姿を見送りながら、冷や汗が滲んだ。
嫌な予感が身体中を包む。
そんなはずはない。
自分は何もしていない。
なにも。
ただ、持ち込まれた服をクリーニングしているだけだ。
その背景に何があるか知っていたとしても、それがどうしたというのか。
そう言い聞かせながら、シャッターを下ろして鍵を掛け、裏口に回る。
ポストの中には包みが一つ。
そこにはまだ受け取りに来ていないシャツの依頼人の名前が書かれていた。
持ち上げた包みからは、血が滴っていた。
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