第16話 水神と和斗 [水の]
水の中にいるみたいだった。
ふわふわと身体が浮いていて、呼吸をする度に空気の泡がこぽこぽと上がっていった。
身体は動かない。
ただ揺蕩っていて、流れに身を任せているだけ。
水はほんの少しの流れがあるようで、一ところに留まらず、どこかに向かって移動していく。
これは、夢だろう。
そうでなければこんなに長い間、水中にいることなどできるはずがないのだから。
そう気付いた瞬間、和斗は動けるようになった。
「う、わっ」
急に崩れたバランスを立て直そうと手足をバタつかせると、どこからか笑い声が聞こえた。
それは前にも聞いたことのある声で、和斗は声のした方を向いて唇を尖らせた。
「笑うなよ! アンタがここに連れてきたのか?」
『ああ、そうだよ。たまには構ってもらわないとねェ』
水神はケタケタと笑った。
相変わらずの巨体で、蛇の下半身の先は見えないほどだったが、和斗はもう水神に対して恐怖を感じることはなくなっていた。
しばらくジタバタしていると、ようやく身体の感覚が掴めてくる。
最終的に、浮き輪の穴に座って浮かんでいる時のような体勢で落ち着いた。
「なあ、これ、痛かったんだけど」
和斗は左腕を突き出した。
ガラガラを拾おうとした瞬間のあの痛みは、今でも思い出すと顔が歪む。
覚悟した上での痛みであればそれなりに我慢することができるが、急に痛み出しては覚悟もなにもあったものでなはい。
しかもかなり痛いのだ。
文句を言いながら左手を見ると、あったはずの鱗模様がない。
「あれ?」
『ここはアタシの世界だからね、シルシはなくていいんだ』
「へぇ……で? 痛いのはどーにもなんねーの?」
『ならないよ。アタシの力はそこまで強くないからね』
「え? 神様なのに?」
和斗が驚いて水神を見ると、蛇の身体を器用にくねらせて頷いた。
『あー……思ったより繋がりが深くて嘘が吐けないね。まァ、いいか。アタシはね、元々神様なんかじゃないのさ。長く生きた蛇が、偶然地脈と結びついて力を持っただけ。それを人間たちが勘違いして、崇め奉った』
「勘違い」
『そう。でも勘違いとはいえ、人間たちの祈りは本物だった。だからアタシは更に力を付けた。初めは蛇神だったのが、洪水の被害から助けてやった時に水神になってね。あの頃が一番強かったんじゃないかねェ』
そう話す水神の瞳は、どこか遠くを見つめていた。
今はもうないものを、記憶を掘り起こすように眺める瞳。
それは、和斗にも覚えがある感情だった。
繋がりが深い、とさきほど水神が言っていたことと関係があるのかは分からないが、和斗の感情とは別の感情がすぐ隣にあって、そっちに向かって引っ張られるような感覚だった。
『信仰は廃れて、今はギリギリってところだね。願いが叶うとか言われてるけど、もうアタシにそこまでの力はない。そんな状態で長生きしてても楽しくなくてさ、なんか楽しいことしてるの見かけたから、似たようなアンタを引きずり込んでやろうと思ったわけ』
今の人間たちの願いは、大きすぎる。
願われる内容は欲深く、水神の操れる規模を遥かに超えるものばかりだ。
請われることを実行する力はなくとも、自分の棲家と繋がっている場所であれば幼い子供一人を閉じ込めるくらいはできた。
「ふぅん。じゃあ水神様が出てきておれを助けてくれるみたいなことはないんだ」
『やろうと思えば出来なくはないだろうが、それをしたら力尽きて消えるかもしれないねェ』
「げ、マジか。そこまでのことならしなくていーや。おれ別に水神様に消えてほしいわけじゃないし」
『もう少し力があればよかったんだけどね』
そもそも水神の行動可能な範囲はかなり狭い。
和斗の目を通して周囲を窺うことくらいは出来るが、そこから更に外部に対して影響を与えることは出来なかった。
自分の領域内であればそれなりに振るえる力も、一歩外に出ればほとんど使い物にならなくなってしまう。
夢や無意識下に働きかけてこうして姿を現すことは出来ても、外で自由には振る舞えないのだ。
和斗との契約を辿って利用しても、万が一の時に備えておくくらいのことしか出来なかった。
巨大な身体でしょんぼりと項垂れる水神がかわいそうに思え、和斗は慌てた。
自分に何か出来ることはないかと考えたが、彼女に楽しんでもらえるように色んなことに首を突っ込んでみることしか思い浮かばなかった。
色々なことに首を突っ込むのは頼まれなくてもやるつもりだからいいのだが、和斗に危機が迫ることで水神が消えてしまうのは嫌だった。
「あ、団地の人たちだけじゃなくて、もっとたくさんの人が水神様のお社にお参りしたら力って復活するのか?」
『そうだねェ。どこまで戻るかは知らないが、今よりはマシだろうね』
「じゃあ、宣伝してやるよ」
和斗たちの中学校に通う生徒たちは、全体的にオカルトに寛容だ。むしろ好んでいると言っていい。
この辺りの地域のオカルト地図が作りたいのだと言う和斗たちに、学年の異なる生徒も情報を持ってきてくれるくらいには。
この近辺には七不思議がない中学も多いが、和斗たちの中学ではきちんと全て語り継がれている。
怪奇現象について話しても、変な目で見られることはほとんどないし、恐らく茜が自分には普通の人には見えないものが見えるとカミングアウトしてもさほど問題はないのではないだろうか。
そんな生徒たちは噂や都市伝説も大好きだ。
団地の池の話は康平の母に聞くまで知らなかったが、まだ知られていないということは、それだけの伸び代があるということでもある。
『だけど、アタシには願いを叶える力はないよ』
「いいんだよ、別に叶う叶わないは問題じゃないから」
『そうなのかい?』
「もしかしたら叶うかもしれないってドキドキするのがいいんだよ、こーゆーのはさ」
『そういうものかい』
「そーゆーもんだね」
和斗と水神は目を見合わせ、笑った。
「それに、もし叶えられる願いが来れば叶えてやるんだろ?」
『それは……まァ、そうだね』
「なら問題ない。むしろ全部叶っちゃうより信憑性があっていい」
『分かったよ、任せる』
「おう!」
和斗は親指を立てた。
既にこの話をする何人かの顔が浮かんでいる。
「目が覚めたら、この会話のこと忘れたりする?」
『アンタは普段、夢のこと覚えてる方かい?』
「うん」
『なら大丈夫だろう。きっと覚えてるよ。すぐに忘れるかも知れないがね』
「じゃあすぐにメモする。宣伝しなきゃだからな!」
子供だからなのか、和斗個人の性格故か、あんな目に合いながら水神とこうして話せる和斗に、水神は心の中で感心していた。
水神にとっては大いに利のあることであるから、余計なことを言って和斗の機嫌を損ねるようなことはしないが、人間というのは本当に変な生き物だ。
『眠りの邪魔をして悪かったね。また面白い話を聞かせておくれ』
水神はぐるぐると和斗の周りを回り始めた。
水の流れが渦を作り、和斗の身体をどんどん押し上げていく。
陽の光が差し込んでいるみたいに明るい場所に頭から突っ込んだと思った和斗は、次の瞬間、自分のベッドから転がり落ちていた。
「だから、痛てーっつーの!」
床に強かに打ち付けた二の腕を擦りながら叫んだ和斗の声が水神に届いたのか、和斗には分からなかった。
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