第14話 本当は [裏腹]
両親を、家族の関係を、壊したのは茜だった。
元々、望まれた子供ではなかったらしい。
けれど両親はそれを茜に気付かせることはなかった。
上手く家族を演じていた。
小学校に上がるまで、茜は自分が幸せな家庭に生きていることを疑いもしなかったし、周囲も羨むほどだった。
治安のいい地区の、駅からそれほど離れていない位置に建つ一軒家。
朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくる父親は、しかし茜が起きていれば構ってくれた。
誕生日以外でも、習い事などで茜が褒められると、小さな贈り物を枕元に置いていてくれた。
母は専業主婦で、いつだって綺麗だった。
家の中は完璧に整っていたし、小さい庭は季節の花々で彩られていた。
茜と二人きりの食卓は毎回何品もテーブルに並び、時には厳しいことも言われたが、わがままもそれなりに叶えられた。
父の仕事が忙しく、あまり家族で出掛けることは多くなかったが、そのことに対する不満はあまりなかった。
幼稚園のお迎え時には、茜の母は他の誰より綺麗で、自慢のタネだった。
友達から「あかねちゃんのママ、キレイだね」と言われる度、得意げになったものだった。
茜は生まれた時から人には見えないものが見えたわけではない。
時々、無性に嫌な予感がして自分の行動を変えたりすることはあったが、そのくらいだった。
しかし小学校四年生の時、母方の祖母が亡くなった瞬間から、世界は一変してしまったのだ。
茜が物心ついた時、存命だったのは母方の祖母だけだった。
他に親戚もいないと聞かされていて、正月や何か特別な行事の際に祖母に会うだけ。
あまり関わってこなかった祖母だったが、葬式をあげないわけにはいかない。
両親とともに初めて葬式の準備を見守っていると、目の前に祖母がいた。
死んだのだと、もう会えないと聞かされたのは嘘だったのか?
けれどそんな不謹慎な嘘をつく理由は?
色々な疑問が脳内を巡ったが、もちろん答えなど出ない。
茜はこっそりと、母に耳打ちした。
「おばあちゃん、本当は死んでないの?」
「何言ってるの、さっき棺の中のおばあちゃんに会ったでしょう?」
「うん……でも……」
「おばあちゃん、ここにいるの」と、そう続けようとした言葉は口から紡がれなかった。
言葉が結ばれる瞬間、目の前に立つ祖母が喋り始めたのである。
「
祖母の言葉は延々と続いた。
茜はその内容に驚愕し、憤怒の表情で母を見つめる祖母を恐れた。
祖母の発言の内容は、茜には到底受け入れがたいものだった。
だから葬式の間中、茜はそれを必死に無視し、母の腕に縋り付いた。
お坊さんがお経を唱えてくれているのだから、きっと葬式が終われば祖母の霊も成仏してくれるはずだ。
そんな茜の思いも虚しく、葬式が終わっても祖母は消えなかった。
玄関先で塩を撒いても、祖母は家の中までついてきた。
自分が見えていることを祖母に知られてはいけない。
茜は毎日、なるべくいつも通りに生活するようにしていた。
けれど、時にはすぐ隣で呟かれる恨みの言葉に、茜はどんどん憔悴していった。
祖母の葬式から日に日にやつれていく茜に、一体何事かと心配する両親。
祖母の言っていることは嘘なのだと信じて、茜は自分に起きている現象を話すことにした。
祖母の霊の話す内容を聞いた途端、両親の顔から笑顔が消えた。
茜の頭を優しく撫でていた母の手は離れ、無表情の二人が茜を見下ろしている。
「マ、ママ……? パパ……?」
「何よ、アンタ知ってたんじゃない。一応は腹を痛めて産んだ娘だし、可愛がらなきゃと思ってたけど、全部知ってるならもういいわ。離婚しましょ。慰謝料は払ってよね。あ、茜はアンタにあげるわ」
「ふざけるな! 離婚は喜んでしてやるがお前なんかに払うような金は一銭もない。今までコイツのために散々金を出してやったんだ、十分だろう。それにコイツは押し付けられても困る。どうせ俺との子供じゃないんだろ?」
「ハァ!? 避妊もせずにアタシを無理やり犯したのはテメーだろ! 他のやつらとはゴム付けてたんだからアンタの種に決まってるじゃない」
耳を塞ぎたくなるような言い争いの中、茜は泣きながら震えていた。
醜い形相の祖母が、母の背後から包丁を突き刺したのである。
どこから取り出したのか分からないその包丁は、母の背中に飲み込まれ、消えてしまった。
瞬間、母が血を吐いて倒れた。
びちゃびちゃと吐き出された血液にまみれた父は呆然としていたが、すぐに我に返ると慌てて救急車を呼んだ。
既に母は事切れていて、祖母の葬式から一ヶ月もしない内に母の葬式をあげることになった。
突然死ということで解剖もしたようだったが、結局何が原因だったのかは分からないままだった。
身体には何の傷も痕跡もないのに、内臓だけがズタズタになっていたらしい。
父は仕方なく茜をそのまま手元に置いた。
茜の発言を信じたのか、自分でも何か感じるところがあるのか、時々ビクリとしながら周囲を窺うようになった。
父がそうやって怯える時、父のそばでは祖母と母が血みどろになりながら争っている。
茜が見えていることは理解しているようだったが、目下のところ二人の標的は父とその愛人のようだった。
父は体面を気にしてか、愛人とすぐに結婚することはなかった。
ただ、家には度々連れてくるようになった。
家に愛人が来る度、母の霊は荒れ狂った。
その影響からか、だんだんと愛人が家に来る頻度が減っていき、最終的には別れてしまったようだった。
何人もの女の人が家に来たが、誰とも長続きはしなかった。
父は茜を気味悪がるようになっていた。
茜の視線を追い掛け、勝手に恐怖し、ありもしない妄想を喚き立てる。
父は家が呪われているのだと言って引越しをし、家を売り払った。
引越しをしても、当然のように祖母と母はついてきた。
何も変わらない状況に、父は原因を茜に押し付けた。
怪しげな宗教にのめり込んでマンションを追い出されたり、茜の部屋の扉をお札で埋め尽くしたり、父の奇行は止まらなかった。
父が頻繁に住居を変えるため、茜は通う学校で友人を作ることを諦めた。
転校生だと紹介される度に向けられる好奇の視線を完全に無視し、何にも属さず、誰とも関わらず、また転校していく。
そういう日常を選んだはずだった。
そういう日常に慣れたはずだった。
ここでもまた、誰とも関わらずにいようと、そう思う気持ちとは裏腹に、茜は声を掛けていた。
教室の中に満ちる今までに感じたことのない気配のせいだったかもしれない。
和斗から漂う、違和感のせいだったかもしれない。
見えると言った時の、康平たちの瞳が、茜の頭から離れてくれない。
あんなにキラキラとした、期待に満ちた目を向けられるなんて。
七不思議の説明をしながら校舎内を案内する彼らは、楽しそうだった。
楽しそうなのだけれど、そこにはそれ以外に何か、大きな喪失感が含まれているようで。
どこか割り切れない空気を感じながらも、同年代との久しぶりの会話に心が浮き足立った。
調子に乗ってはいけない。
いつまた父がここを離れると言い出すか分からないのだから。
そう思って心を静める茜を、和斗の言葉が揺らがせる。
ああ、自分を、自分だけを特別だと思わない彼らと、普通に過ごしたい。
じわりと溢れ出しそうになる思いを、涙を、堪えるように空を見上げる。
太陽の眩しさが、目に沁みた。
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