第12話 ベビーカーに子守唄 [坂道]
「和斗ーーーー!」
行方不明だった和斗が突然家に帰ってきた。
そう連絡を受けた康平は、母と和斗の家までやってきた。
マンションの下に母親とともに立っているのは紛れもなく和斗で。
康平は泣きながら和斗に抱きついた。
水中花の効果がこんなに早く現れるものなのだろうか。
自分のしたことに意味がなかったとしても、どうでもいい。
和斗が戻ってきたなら、それでいいのだ。
「怜二が、助けてくれた」
「れい、じが?」
ここにいない怜二の名前に、康平の涙が一瞬止まり、そしてまた滝のように流れ出した。
「そっか、怜二、そっかあ」
「うん、どうやっておれのところに来てくれたのか分かんないけど」
そして和斗は、自分の左腕を見せてくる。
袖をまくった左の手首の皮膚が、うっすらと蛇の鱗のようになっている。
それは腕輪のようにぐるりと一周していた。
「なにそれ」
「えーと、水神様の印、だと思う」
「え!」
水神聞いて康平が食いつく。
和斗の家に上がって詳しい話を聞くうちに、自分は和斗を攫った相手に助けを求めていたのかと悲しい気持ちになった。
けれど、その後に続いた水神との約束の内容を聞いて、悲しい気持ちは一気に吹き飛んだ。
「え、じゃあ、心霊スポットに行って悪霊がいても、和斗は死なないってこと?」
「おう!」
「なにそれ! チートじゃん!」
「おれを盾にして逃げてくれ」
「幽霊に肉盾通用するの?」
「知らん」
康平は思わず吹き出した。
特別な力を手に入れて帰って来たことを羨ましく思わないこともないが、それでも自分を守ろうとしてくれる発言に嬉しくなる。
和斗の体感時間では、現実世界と隔離されてからそれほど長い時間は経っていないそうなのだが、やはり疲れたのだろう。
康平たちは長居せずに和斗の家を後にした。
◆
次の日、和斗は話題の中心だった。
真山と近藤も教室に押しかけ、和斗に土下座する勢いで泣きながら謝っていた。
二人はホームルームに来た担任によってカウンセリング室に連れて行かれ、しばらくして早退した。
一緒に行動していた相手が突然消えて帰ってこなかったというのは、やはり相当な衝撃らしい。
当事者であるのにどこか他人事に思えていた和斗は、そんな二人の様子に申し訳なさそうにしていた。
和斗本人のダメージが少ないのは、完全に水神との約束のせいだった。
人間以外には殺されなくなった無敵感が、和斗のテンションを最大にまで上昇させていたのだった。
康平と怜二以外は知らない話だったが、さすがに不用意に自慢するようなことはなかった。
和斗が行方不明になってから、心霊スポット情報の集まりが悪くなった。
自分の発言によって他者に被害がある可能性を知ってしまったからだろう。
今までは無責任に放り投げていた言葉が、急に大きな責任を帯びて目の前に現れたのである。
そんなこととはつゆ知らず、和斗は積極的に情報を求めて歩き回るのだった。
その結果、ある言葉がまるで合言葉のように口にされることになる。
『実際に現場に行くのは自己責任でお願いします』
その言葉に頷いて、今日も康平たちは自己責任で心霊スポットにやってきたのだった。
そこは側から見れば何の変哲もない坂道であった。
住宅街の中にある、車がすれ違ってもまだ歩行者道路に余裕があるくらいに広い、坂道。
広い道なのに人気があまりないのは、そこに出るからである。
坂道の中頃には、花瓶が置かれ、花が供えられている。
たくさんの花と一緒に置かれているのは、おもちゃだ。
赤子用のものから、小学生くらいの子供が遊ぶものまで様々。
この坂道では、昔交通事故があった。
昼から飲酒していた大学生の運転する車が歩道に突っ込み、そこを歩いていた小学生女児と、ベビーカーに乗った赤子が撥ねられたのである。
ベビーカーを押していた母親も轢かれたが、先に車と接触したベビーカーが衝撃を吸収し、大怪我を負ったものの命は助かった。
命は助かったのだが、むしろそれは彼女にとっては地獄だった。
自分だけ助かってしまったこと、我が子を守れなかったこと、周囲からの暖かな慰めの言葉も、そんな彼女には毒だった。
全ての言葉の裏を想像し、自分を責める言葉を見つけて受け止める。
それに耐えきれなくなった母親は、壊れてしまった。
事故にあったベビーカーと同じものを購入し、そこに赤子を模した人形を置いた。
その人形は彼女の手作りで、死んだ赤子とは似ても似つかぬ出来栄えだったが、彼女はそれを我が子のように可愛がった。
そうしてそのベビーカーを押し、自分たちを轢いた大学生(その頃には既に大学は退学しており、実家に住んでいた)の自宅に押し掛けたのである。
恨み辛みをぶつけるわけではない。
ただ、ミルクの入った哺乳瓶を差し出し、「娘に謝って、仲直りのしるしにミルクをあげてちょうだい」と、そう言うだけ。
加害者であった彼は、初めのうちは罪悪感からか彼女の要求に答えていた。
しかし、毎日毎日続くそれは彼の精神を蝕んでいった。
警察が介入し、接近禁止令が出ても、彼女はお構いなしに彼を訪ね続けた。
とうとう追い詰められた彼は、赤子の人形に包丁を突き立てた。
発狂した母親はその包丁を奪って暴れたが、揉み合いになった結果、死んだのは母親の方だった。
その日以来、坂道の上にある彼女の家から事故現場を通り、彼の家に至るまでの道を、ベビーカーを押す幽霊が歩くようになった。
彼女はベビーカーを押しながら家を出て、事故現場で赤子を探し、見付けられずに人形を乗せたまま、大学生の家まで行くのだという。
目撃情報はその道のりのところどころで見受けられ、出発地点から到着地点までずっと見え続けているわけではない。
見える時と見えない時があるが、目撃情報の多さから、ほとんど毎日彼女の幽霊はその場所を歩いているようだった。
康平たちは噂の大元、出発地点である家の前まで来た。
今は空き家になっていて、いつまでも買い手がつかないそうだ。
家自体も心霊スポットであり、この家を使って撮られた映画がお蔵入りになったという噂もあるが、廃屋ならともかく、まだきちんと家として保存されている場所に入るのは憚られた。
そのため、康平たちは家の向かいに立って、門を見つめていた。
五時になり、帰宅を促すオルゴールが町内に響き渡る。
スピーカーの上で羽を休めていたカラスが飛び立ち、それを追い掛けるように二羽のカラスも夕焼け空に飛び立っていった。
そちらに気を取られた瞬間、閉まっていたはずの門が、キィと音を立てた。
音を追って目を向けると、門が閉まりきる瞬間だった。
坂道の方へ視線を向けるが、康平と和斗には何も見えなかった。
「見えないけど、いる……はずだよな」
「たぶん」
怜二は、ぼさぼさの長い髪の毛もそのままにベビーカーを押す女が見えていた。
彼女は小さな声で子守唄を歌っている。
康平たちは坂道の方へ歩き始めた。
自分たちのペースで事故現場の向かいまで歩き、二車線の向こうを見る。
いつまで経っても何の変化もなく、どうしようかと思っていると、地面に置かれたガラガラが音を立てた。
風は、吹いていない。
野良猫がじゃれたわけでもない。
同じ場所をグルグルと回り続けていた女は、ひび割れた唇からまた子守唄を漏らし、坂道を下っていった。
怜二は女を追い掛けようとし、同じ方向に歩くと思っていた和斗が道路を渡ったのに気付いて立ち止まった。
車が一台通り過ぎ、怜二が道路を渡っている最中、和斗がガラガラに手を伸ばしているのが見える。
「だめです!」
「イテッ」
怜二の声と和斗の声が重なった。
和斗は涙目になりながら左腕を振る。
袖を捲って露わになった左腕の鱗が、今までよりも濃く、ハッキリと見えた。
青黒く、まるで刻印のようなそれは、和斗と諌めるように熱を持っていた。
「マジいてぇ! こんなんなるなんて聞いてねーよ!」
「今逃げなきゃ危ないってこと?」
「いや、たぶん、これに触るなってことだと思う……」
和斗が供えられたおもちゃから手を遠ざけると、痛みが弱まるようだった。
鱗も比例して薄くなっていく。
「もーちょっと優しく守ってほしかったー!」
「ないよりいいでしょ」
「まあ、そうだけど」
康平たちのやりとりに、怜二は胸を撫で下ろした。
子守唄はもう、聞こえなくなっていた。
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